たとえば上に立つ者が有能だったら。
たとえば俺たちが強ければ。
たとえばそもそも戦争なんてなければ。
誰も死ななくて良かったのかもしれねェ。
仲間を失わなくても良かったのかもしれねェ。
戦争が終わった今。
残ったものは戦争以外の生き方を忘れた俺自身だけ。
それ以外は皆死んじまった。
みんなみんな、死んじまった。
守っているのは
相手よりも早く。
一秒でも早く動かなければ、自分に訪れる末路は決まっていた。
楽しく会話している暇なんて無い。
優雅に食事をしている暇なんて無い。
ただただ、生き残るので精一杯だった。
「それで?貴方は何でこのラムを焼いたんですか?」
「だから、火炎放射器だっつってんだろ」
「火炎放射器で焼いては、炭になってしまうと言っているでしょう」
「だってチンタラ焼いてたら敵が…来ねェんだな」
バルドは頭を掻きながら苦笑する。
今だに慣れることの無い生活。
完全なる平和とは言いがたいが、あの頃よりは平和な日常。
しかし身体に染み付いた習慣はなかなか消えることはなく、ついつい“焦り”が出てしまう。
その度に有能である執事に怒られ、ため息をつかれるが。
「敵が来る時は私が責任を持って、前もってお知らせいたしますのでご安心ください。ほら、もう一度オーブンでの焼き方を教えますから」
見限られたことは、まだ、ない。
この屋敷に雇われてから早一ヶ月と少し。
だが、仕事は先ほどのように失敗だらけだし、まだ全ての仕事についての情報を把握したわけではない。
この屋敷…ファントムハイヴ家当主、シエル・ファントムハイヴは小さな子供だ。
この有能な執事が当主だったらまだ話しは分かる。
けれどまだ回数を覚えているくらいしかあったことのない当主…我らが主が、この屋敷をどのように動かし、企業の社長として働いているのか、全く知らなかった。
そして、女王の番犬としての姿も。
こんな有能な執事が仕えている主人だ。
年齢など関係なく、様々な才能を取り揃えている“お方”なんだろう。
だが…。
「なぁ、セバスチャン」
「なんでしょう」
「“坊ちゃん”はどんな人間だ?」
上に立つからと言って、全ての“お方”が有能なわけではない。
自分の地位に酔いしれて下につく連中のことを何も考えない奴をごまんと見てきた。
「主人に対して、どんな人間かという質問は失礼ですよ。バルド」
「…質問くらいいいだろう」
「もう少し言い方を考えなさい、と言っているんです」
「へいへい」
悪うございました。
眉を寄せる執事にバルドはタバコを吐きながらあしらうように謝る。
この執事は見る限り、随分と主人への忠誠が厚いように見えるが…。
それが本心からなのか、それとも別のところからなのかは自分には分からない。
だから尚更、シエル・ファントムハイヴという主人が、どういう人間なのか分からないのだ。
執事の主人を想う本心を知れたら、まだマシなものを。
だが、聞いてみる価値はあるかもしれない。
たとえ嘘だとしても。
「じゃぁ、質問を変えるぜ?お前にとって主人はどう映る」
「私にとって、ですか?」
少し驚いたような顔をする執事に、バルドは頷いた。
「そうですね…気高くて、プライドの高いお方」
「…それはいい意味なのか?」
「さぁ、どうでしょう」
ですが。
セバスチャンは悪戯げに微笑む。
「他の方に仕えるよりは、あの方に仕えていた方が面白いかもですよ?」
「・・・!」
まるで自分が何を考えているかを見透かしているような言葉に、バルドは危うく口元からタバコを落としそうになった。
その様子に執事はクスリと笑う。
コイツぁ、エスパーか何かか?!
バルドは一旦落ち着けるようにタバコを吸って吐き出した。
「面白いってどういうことだよ」
「言葉どおりの意味ですよ。私にとってはね」
「お前にとって?」
「貴方にとってはどうでしょう。まぁ、それの答えは本人に聞いてみたらいかがです?」
「あ?」
セバスチャンの言葉にバルドは首を傾げると、
「実はこのあと坊ちゃんに呼ばれていますよ」
まるで地雷を踏んだ時のような音が耳に入り、今度こそバルドは口元からタバコを落とした。
****
あれから数分後。
執事に連れられて主人の部屋へと足を運んだ。
屋敷はあまりにも広く、まだ必要最低限の部屋の位置しか覚えていない。
その必要最低限の部屋の中に、一応主人の部屋も入っている。
「坊ちゃん。バルドを連れてきました」
「あぁ。入れ」
扉をノックし声を掛ければ、幼い声が返って来る。
執事は扉を開けながらバルドを部屋に促し、自分も入ろうとするが、そこで主人から制止が掛かる。
「セバスチャンは席を外していろ」
「ですが」
「別に大丈夫だ。下がれ」
「…何かございましたら、名前をお呼びください」
坊ちゃんに無礼の無いように…と釘を刺され、一礼して出て行く。
どうやら自分はまだ信用がないらしい。
まぁ、あんな話しをしたんだ。当然だな。
バルドは頭を掻きながら苦笑し、主人であるシエル・ファントムハイヴに向き直る。
「で?一体なんの用ですかい?」
「一週間後、僕とセバスチャンは屋敷を留守にする」
シエルは机の上で手を組みながらバルドに言う。
その表情はまさに貴族であり、闇を背負う者であった。
「その間、この屋敷を頼もうと思ってな」
「…頼むっつーことは、何かあるんですかい?」
「それは分からん」
「あ?」
執事に言われたことを早速破りながら、バルドは聞き返した。
しかしシエルは特に気にした様子もなく答える。
「この屋敷にいつ、どんなネズミが入り込んでくるのかは分からん。だから僕達が留守の間はお前らがこの屋敷を守るんだ」
「随分と物騒なネズミがいるもんでェ」
「それが裏社会の姿だ」
「まぁ、とにかく俺らがここを守ればいいんだな?」
「あぁ」
「命に代えても、か?」
相手を恨むような視線で笑ってみせる。
主人に対して無礼?
そんなことばかり気にしていたら、命がいくつあっても足りねェ。
上のせいで死んだ奴らが沢山いた。
馬鹿な命令のせいで死んだ奴らが沢山いた。
もうあんなんは、こりごりだ。
「どうせ俺らは死んでも代わりは沢山いるさ」
だから誰もが可笑しいと思うような命令だって簡単にする。
「別にアンタの命令を無視する気はサラサラねェ」
だがな。
「牙を向くことはあるかもしんねェぜ?」
もうそんな馬鹿にはついてなんて行くか。
それなら、死んだ方がマシだ。
仲間と一緒に。
一緒に戦った、アイツらと一緒に…。
「残念ながらな、バルド」
シエルはクスリと笑いながら、手を組んだ上に顎をのせる。
そこには子供らしからぬ威圧感、しかしどこか水のように純潔な透明感。
バルドはまるで切れない剣に首を刺されているような気分になる。
しかしそれは悪い意味ではなく。
「貴様の牙に掛かるような僕ではない」
相手に付き従いたくなるような、従服感。
「あぁ。僕は貴様らに何がなんでも屋敷を守れと命令するだろう。たとえ命に代えても、な」
シエルは言う。
「だが死ねとは言っていないだろう」
「・・・」
「この屋敷が守られた時、貴様は死んでいるのか?」
問われる言葉に、バルドは黙ったまま首を横に振る。
今自分を包んでいる空気は、言葉など発せられるような状態ではない。
「僕はどこかに攻めに行けと言っているわけじゃない。あくまでここを守れと言っているんだ」
「!!」
「いいか、よく聞け」
シエルはバルドに向かって指を指した。
「この屋敷が守られた時、貴様らが死んでいるわけがないんだ。なぜなら、貴様らが死んだとき、ここはすでに敵の手の中にあるんだからな。」
分かるか?
「貴様らが死んだら、ここは敵の手の中に堕ちるんだ」
「…!!」
バルドは拳を握る。
この主人が言う言葉。
それは。
生きろ、という響きを宿している。
「それに、別に僕は貴様らの戦い方を指図する気は全くない」
「…え?」
「そのテのプロは貴様らだろ?僕は大まかな命令を下すだけだ」
「それで、いいんですかい?」
ようやく出た言葉は、随分と弱々しい声だった。
「それでいいも何もないだろう。1つの目的さえ定まっているのならば、過程などどうでもいい」
シエルは呆れたようにため息をつく。
「間違えるなバルド。今お前はファントムハイヴ家の使用人だ。攻めるのが目的じゃない。守るのが目的だ」
「…まも、る」
「屋敷も命も…仲間も、守ってみせろ」
凛と前を見据えながらバルドに命令した。
たとえば上に立つ者が有能だったら。
たとえば俺たちが強ければ。
たとえばそもそも戦争なんてなければ。
誰も死ななくて良かったのかもしれねェ。
仲間を失わなくても良かったのかもしれねェ。
戦争が終わった今。
残ったものは戦争以外の生き方を忘れた俺自身だけ。
それ以外は皆死んじまった。
みんなみんな、死んじまった。
だから今度は。
今度こそは。
自分の手で守ってやる。
全ての力を使って、全身全霊をかけて守ってやる。
二度と失うものか。
なに、今度はきっと大丈夫さ。
自分達を想ってくれている主人がいるんだからよ。
そんな主人のことも、守ってみせらぁ。
「イエッサー」
バルドは背筋を伸ばして、自分の主人であるシエルに敬礼した。
****
「あれ、それ何ですだか?」
厨房へ新たな武器を運んでいると、メイリンが首を傾げながら近寄ってきた。
そんなメイリンにバルドはヘッと笑い、
「シェフの新しい器具だぜ!」
腰に手を当てて自慢する。
けれどメイリンは感激するどころか、またですだか…と息を吐いた。
「また屋敷を壊したらセバスチャンさんに怒られるだよ」
「アイツぁいつも怒ってんだろ」
「でも、よく坊ちゃんが渡してくれますだね」
新作の手ごたえを聞きたいと言っても、バルドに渡すなんて坊ちゃんにしては危ない判断ですだ。
そう言うメイリンに、なんだと?!と返すバルド。
しかしその顔は嬉しそうに笑っている。
坊ちゃんにしては危ない判断?
あの坊ちゃんが、そんな判断をするわけがねェだろ。
知りたいなんて建前で、本当に望んでいるのはただ1つ。
「知ってっかメイリン」
この武器はな。
「守るためのもの、なんだぜ?」
この屋敷のことを。
そして。
俺たちのことを。
END

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