聞こえてくるのは小鳥のさえずり。
見上げれば、気持ちのいい青い空。
息を吸えば胸いっぱいに広がる緑の香り。
「たまにはこのような場所でのんびりするのも、良い気分転換になりますね」
セバスチャンはシエルに向かって微笑んだ。
今シエルとセバスチャンは、屋敷から少し離れた森林に来ているのだ。
本来ならば今の時間は馬車に乗りながらロンドンに向かい、必要な買い物をしている筈だろう。
そのついでに、ファントム社の製品が売っている店を視察しながら。
しかし使用人たちが、たまには自分達がおつかいをすると言い出したのだ。
少しは役に立ちたい、今日くらい身体を休めてください・・・と。
一体どんな間違った物を買ってくるか分からないので、セバスチャンもシエルも初めは断固拒否をしたのだが。
『たまには羽でも伸ばしては如何ですかな』
タナカさんにまでそう言われてしまっては流石の二人も拒否の言葉が小さくなっていき、結局二人は無理やりというか、お言葉に甘えてというか・・・近場の森林へと出かけたのだった。
直射日光をあまり浴びないよう木陰にシートを敷き、いつもより簡単なスイーツを並べていく。
急な予定だったので凝った物を作ることが出来なかったのだ。
「すみません坊ちゃん。折角の休息なのにこんな物しか作れず」
「別に。急に決まったことだ」
シエルはどこか遠くを見つめながら素っ気無く答える。
その表情は普段と変わりないが、どこか落ち着かない様子にセバスチャンは首を傾げた。
「どうしましたか坊ちゃん」
「なんでもない」
「他に行きたい場所でもありましたか?」
適当なことを言ってみると、シエルは違うと首を振る。
この恋人は一体なにが落ち着かないのだろうか。
ジッと黙ったまま見つめていれば、恋人は嫌がるように舌打ちをしてため息をついた。
「いつも嫌味なお前が黙るというのも違和感があるな」
「え・・・?」
言われた言葉の意味は理解できるが、自分と結びつけることが上手く出来ないセバスチャンは聞き返すようにするがシエルはそれ以上その話を続ける気はないらしく、緩慢な動きで空を仰ぎ見た。
そして小さな声で喋り始める。
「・・・ただ、少し落ち着かないだけだ」
「なにが、ですか」
「・・・仕事をしていないことに」
「・・・」
耳から入ってきた言葉に数回まばたきをする。
えっと・・・これは何と答えるべきでしょうか。
ここで笑ったらきっと恋人はへそを曲げてしまうだろう。
折角こんな気持ちの良い場所に二人でいるのだ。
空気を壊すようなことはしたくない。
「・・・ちょっとその辺を回ってくる」
「ぼ、坊ちゃん!!」
逃げるようにシートから立ち上がろうとするシエルをセバスチャンは慌てて引き止める。
少し腰を浮かせて腕を掴めばパシリと弾かれ、頬を赤く染めながら睨み、八つ当たりのように呻いた。
「笑いたければ笑えばいいだろう」
「・・・ワーカーホリックな坊ちゃんらしいと思いますが、笑いはしませんよ」
「ふん」
「坊ちゃん」
唇を噛み締めてしまったシエルを困ったように見つめる。
しかしふと、森林に咲いている沢山の花が目に止まり手を伸ばしてその一輪をそっと摘む。
そしてそれをシエルの方に差し出せば、シエルは驚いたように目を見開き、セバスチャンと花を交互に見た。
「今は落ち着かないかもしれませんが、じきに慣れます。折角の休息をそんな顔で過ごさないでください」
出来る限り優しく微笑み言えば、シエルはどこか気まずげに手を伸ばし、セバスチャンの花を受け取った。
それをじっと見つめ、本当に小さな声で、あぁ・・・という返事が返ってくる。
まったく、手の掛かる恋人ですね。
先ほどよりも空気が柔らかくなったシエルを見て、セバスチャンは内心安堵のため息を吐いた。
「それにしても、本当に気持ちのいい場所ですね」
「・・・そうだな」
「このような関係になってから初めてではないですか?ゆっくりしたのは」
「は?」
何気なく言った言葉に対して、シエルはポカンとした顔になる。
自分は何か可笑しなことを言っただろうか。
セバスチャンは若干焦り気味になる気持ちを抑えて、笑顔を見せて話しを続けた。
「ただの執事と主人の関係の時には何度かこのような場所へと遊びに行きましたよね。エリザベス様に勧められたりして・・・」
「ただの執事と主人の関係の時?貴様、何を言っているんだ?」
「あの、その、言葉通りのことですが・・・」
「待て。さっきお前はこのような関係、と言ったな。このようなというのは、どのようなだ」
目を細めて尋ねられ、セバスチャンは冷たい汗を背中に感じた。
これは今自分との関係を口にして欲しいからねだっている様子では決して無い。
寧ろもっと悪い方向の様子だ。
機嫌が悪いせいだろうか。いや、さっき少しは良くなった筈だ。
どうしてこんなにも怒っているのか分からないセバスチャンは恐る恐る尋ねられた答えを口にする。
「恋人の関係、です・・・」
「・・・ほぉ?」
恋人(の筈)の口元が弧を描く。
しかしその弧は決して笑顔の類ではないことを長年の付き合いから知っている。
いや、たった今知り合った仲でもこの雰囲気を感じられる人ならば、それは理解できよう。
それぐらいシエルは。
「それは初耳だな」
怒っていた。
「え、初耳って・・・坊ちゃん?」
「いつから貴様と僕は恋人関係になったんだ?」
「お忘れになられたのですか?」
「いいや、何も忘れていない筈だが?」
「ですが」
「なぁ、セバスチャン」
空を仰いだときと同じように緩慢な動きで立ち上がり、セバスチャンを見下ろす。
先ほど渡した花は潰れそうなほど強く握り締められていた。
セバスチャンはその姿を見て、ゴクリと唾を飲み込む。
そして。
「調子に乗るなッ!」
怒鳴ったかと思えば、そのまま森林の奥へと走って行ってしまった。
状況や言われた言葉に頭が付いていかないセバスチャンだったが、シエルの後ろ姿が見えなくなるとハッとして、名前を呼びながら必死に追いかけた。
end

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