ファントムハイヴ家の朝。
「坊ちゃん、今日の午後来る予定でしたヨークシャー工場の責任者・カナード様ですが、工場で何かミスがあったようで、こちらに来られなくなったそうです」
セバスチャンはシエルに紅茶を渡しながら報告をする。
シエルは紅茶を受け取りながら、そうか、とだけ返してモーニングティーを堪能し始める。
報告をするセバスチャンに最小限の言葉だけを返すのはいつものこと。
セバスチャンだってそれを理解しているので、気に留めたりなどしない。
けれど。
もう少し甘い時間を過ごしたいと言ったら、貴方は顔を真っ赤にして激怒するんでしょうね。
セバスチャンはため息をつきながら、内心で独り愚痴た。
その時シエルは紅茶を堪能しながら、隅に飾られている白い薔薇の花びらが落ちたのを静かに見つめていた。
― Envy of rose ―
コンコン。
珍しく朝の時間にノックされる扉。
シエルは少し眉を顰めながら紅茶を飲む手を止め、入れ、と言う。
開いた扉の向こうには、笑顔一杯のフィニが立っていた。
「おはようございますっ!坊ちゃん!」
フィニは元気良く挨拶をしながら、部屋の中へと入ってくる。
セバスチャンはもしやまた何かをやらかしたのかと思い、身構えていたが、この満面の笑みを見る限りそうではないらしい。
「どうしたのですか?フィニ。坊ちゃんはこれから着替えるところですよ」
「朝からお邪魔してすみません坊ちゃん。僕どうしてもこれを渡したくて」
「何だ?」
フィニはシエルに近づくと、白い薔薇を差し出した。
棘も綺麗に抜き取られ、どこも潰れていない。
普通の人から見たら、それは当たり前のことだが、フィニにとっては大きな意味を持つ。
セバスチャンはその薔薇を遠くから見て、どうしてここに来たのかをすぐに理解する。
「僕、今日初めて綺麗に薔薇が摘めたんです。ほら、僕力が強いからいつも摘む時とか棘を抜く時とかに潰しちゃうから・・・」
苦笑しながら話すフィニ。
どうやら初めて潰さなかった薔薇を見せたかったらしい。
シエルもその言葉に苦笑し、フィニの頭をそっと撫でてやる。
「力の加減が分かってきたんだな。凄く綺麗な薔薇だ」
「はいっ!それで、あの。もし良かったら、この薔薇貰ってくれませんか?」
「だが、初めて上手く摘めたのだろう?自分の部屋に飾っておいたらどうだ?」
けれどフィニは首を振る。
「いえ、初めて上手く摘めたからこそ坊ちゃんに貰って欲しいんです」
「フィニ・・・」
シエルはフィニが差し出す、美しい白い薔薇を静かに受け取る。
その目元は優しげに緩み、しかし口元は少し照れくさそうに歪んでいる。
それはシエルの嬉しいときの表情だと、セバスチャンは知っている。
なぜなら、いつも二人きりの時は自分に向けられる表情だからだ。
セバスチャンは無意識に拳を握る。
そんなことも知らずにシエルは少し離れたところに立っているセバスチャンに命令をする。
「セバスチャン、この薔薇が映えるような花瓶に水を入れて持って来い」
「そ、そんな立派にしてくださらなくてもいいですよ!坊ちゃん!」
「何を言う。お前が初めて美しく摘めた薔薇だ。大切にさせてもらう」
命令の言葉を聞き慌てるフィニに、シエルは返す。
それはどう考えても、主人と使用人のやり取りではない。
全く、坊ちゃんは本当に甘い方ですね。
セバスチャンはため息をつきながら、御意と一礼をして部屋から出て行く。
向かう先は物置部屋だ。
命令どおり、あの白い薔薇に合った花瓶を取りに行くために。
きっと今頃フィニが感激のあまり坊ちゃんに抱きついているでしょう。
あの嬉しそうなご様子だと、きっと抵抗しないで呆れるだけなのでしょうね。
「たかが一輪の薔薇が何です?」
セバスチャンは歩きながら、窓の向こうに咲く白い薔薇を眺める。
それは毎日丁寧に整えられ、美しさを保っている。
あんな一輪よりもよっぽど美しい。
それに。
「私だっていつも部屋に持っていっているのに」
シエルは白い薔薇がお気に入りだ。
だからセバスチャンは、いつも部屋の隅に飾っておいている。
けれどそれをシエルは嬉しそうな顔をしたこともなければ、セバスチャンに何かを言ったことはない。
それなのに・・・。
恋人は私なのだと、坊ちゃんはちゃんと分かっているのでしょうかね。
セバスチャンはギリっと奥歯を噛み締めた。
****
「ふぅ・・・」
午前中に処理する予定の仕事を終え、シエルはコトリとペンを置く。
その先には朝に貰った一輪の薔薇が飾られ、じっとこちらを見守っている。
まぁ、見守っているのは一輪だけではないがな。
シエルはこの部屋にも飾られている薔薇の方に目線をやる。
それは気がつかないうちに、セバスチャンが飾ってくれているものだ。
よく手入れしてくれているのだろう、枯れたところを見たことがない。
流石、完璧なる執事。あの三人とは大違いだな。
シエルはフィニから貰った薔薇に触れながら苦笑する。
あの三人は僕らが選んだ私兵だ。
庭師やメイド、料理人をするのはたいそう大変だろう。
けれどこうして僕の元で働き、気に掛けてくれる。
使用人が主人に気に掛けるのは当たり前だとしても、ファントムハイヴ家の当たり前はそこらの当たり前とは違う。
なんせ悪魔にまで執事をやらせているからな。
シエルは一輪に触れながらも視線をセバスチャンが飾ってくれている薔薇に移す。
アイツは今、何をしているんだろう。
もしかしたら、またあの三人がやらかした後始末でもしているのだろうか。
シエルは自分の恋人であるセバスチャンのことを想う。
いつもあの薔薇を見ると、相手のことを想い胸が苦しくなる。
無意識に、合いたいと望んでしまう自分がいる。
まさかアイツ、そう望ませるために飾っているわけじゃないだろうな・・・?
ふとそんな考えがよぎったが、すぐにシエルは首を横に振る。
美学を大切にするセバスチャンのことだ。
きっとこれは執事として飾っているまでに過ぎない。
勘違いしてしまわないように、シエルはソレから視線を逸らす。
すると。
コンコン。
部屋にノック音が響く。
短く、入れ、と言うと、失礼しますという声と共に扉が開く。
そこにはセバスチャンが立っていた。
「そろそろお仕事が終わりになるかと思い、紅茶を用意しました」
にっこりと微笑みながら入ってくる。
「あぁ。丁度終わったところだ」
シエルは一輪の薔薇に触れていた手を離しながら答えると、一瞬セバスチャンの顔がピクリと反応した。
そしてそのまま不機嫌そうな雰囲気になる。
先ほどまで微笑んでいたのに、この早変わりよう。
この間で一体何があったのだろう。
「どうした、セバスチャン」
声を掛けると、嫌味ったらしく口に弧を描かせる。
これはセバスチャンが怒っているときの表情だ。
その表情を見て、シエルはより混乱する。
もう一度声を掛けようとすると、先にセバスチャンが口を開く。
「そんなにもその薔薇が嬉しかったのですか?」
「は?」
紅茶をドア付近に置いたまま、こちらへと向かってくる。
「とても喜んでおられましたものね」
「おい、セバスチャン?」
「たかが一輪の薔薇で・・・」
コツリコツリと近づいてくるセバスチャンに、本能的に冷たいものを感じて立ち上がる。
けれど視線で射られ、後ずさることも出来ずに立ち上がったまま動けなくなってしまう。
そんなシエルをクスリと笑い、机の上の薔薇を花瓶から荒々しく掴み上げる。
「こんなものより、私がいつもあげている方が美しいでしょう」
今にも握りつぶしそうな手付きでシエルは焦って声を上げる。
「そのまま潰すなよ」
「なぜです?」
「なぜって・・・」
そんなことを聞く方がおかしい。
これを貰った時、セバスチャンも同じ場にいたはずだ。
「お前、本気で聞いているのか?」
「えぇ。本気ですよ」
クルクルと手の中で薔薇を回しながら答える。
ニヤリと哂う瞳は悪魔そのものだ。
一体コイツは何に怒っているんだ?
朝からの出来事を思い返してみるが答えは見つからない。
しかしその薔薇と関係しているのは確からしい。
聞き出す前に、あの薔薇を手放させるのが先だな。
大切にするとフィニに言ったばかりなのに潰されてはかなわない。
シエルは射抜かれる視線を睨み返し、セバスチャンの方まで歩いていく。
「お前は一体何が気に食わないんだ」
隣に立ち、わざと薔薇のことは避けて話し掛ける。
苛立ちの原因のものに触れたら、余計苛立たせるだけだ。
だが、セバスチャンはそんなシエルの思考を正確に読み取っていた。
「ストレートにその薔薇を手離せ、と仰ればよいではないですか」
シエルの方に向き直りながら言うセバスチャン。
その言葉に内心舌打ちをする。
コイツの性格の悪さには、ほとほと感心するな。
シエルはこれ見よがしに大きくため息をつく。
理由が分からない以上使いたくなかったが、仕方ないな。
「セバスチャン命令だ。その薔薇を花瓶に戻せ」
「っ!!」
命令した瞬間何かが爆発したように口を開くが、そのまま何も言わずに口を閉ざす。
ギリっと唇を噛み締め、投げ捨てるように薔薇を花瓶に戻す。
美学を大切にする悪魔とは思えない荒々しさだ。
本当に何なんだコイツはっ!!!
だんだんシエルも原因の分からないセバスチャンの苛立ちにイライラしてくる。
けれど自分まで感情のままに流されたら、解決できるものも解決できなくなる。
「たかが使用人相手に、お優しい方だ」
「あ?」
「いっそのこと、あの三人を執事にして傍に置いたらいいじゃないですか」
「・・・」
「私が何かするよりも、坊ちゃんは嬉しそうですし」
言いながらセバスチャンは手袋を脱ぎ捨て、黒い爪と契約印を露にさせた状態でシエルの頬を撫で上げる。
その手付きは酷く厭らしい。
・・・なるほど。だいたい見えてきた。
今までの緊張感が嘘のように心の中で呆れかえる。
「お前はそれでいいのか?」
セバスチャンが一体何に怒っているのか分かった状態で、あえて聞く。
セバスチャンの性格の悪さも大概だが、シエルも負けたものじゃない。
「私がそれを許すとお思いで?」
まるで威嚇するかのように朝結んだタイを引き、音を立てて抜き取る。
「貴方は私のものなんです」
私だけの、ね。
はだけた首元に顔を近づけ、チリリと甘い痛みを刻み付ける。
シエルはセバスチャンのものだという、所有印の証。
いつもならば文句を言うが、今日は黙ってそれを受け入れる。
しかしそれだけで満足をするような奴ではないということを、シエルはよく分かっている。
けれどその先に行く前に。
「あぁ、僕はお前のものだ」
セバスチャンの苛立ちを・・・不安を取り除きたい。
シエルは首元に顔を埋める頭を優しく抱きしめる。
「お前以外の執事なんか要らない」
「・・・」
「なぁセバスチャン?」
「・・・はい」
「お前はフィニから貰った薔薇に喜んでいる僕が気に食わなかったのか?」
核心を突く言葉を口にすると、セバスチャンは顔を上げてシエルの顔を覗きこむ。
そして酷く歪んだ顔で、えぇ、とても・・・と小さく言うと荒々しくシエルの唇を塞ぐ。
「んっ・・・んんン~~~」
息までも吸い尽くそうかというほどの荒々しさ。
それは愛情というより、熱情。
欲情というより、衝動的。
そして。
快楽を求めるよりも、シエルという存在を求める口付け。
歯列をなぞられ、上顎を擽られれば力が抜けてしまいそうになる。
けれどしっかりとセバスチャンの首に抱きついて、求めるように舌を伸ばす。
ざらりと擦れ合い、強く吸い付かれ、電気が通ったように痺れてくる。
そっと目を開けてみれば、赤い瞳がじっとこっちを見つめていた。
「っん!?」
まさか、ずっと目を開けて見てた?!
途端に恥ずかしくなって胸をドンドンと叩くがセバスチャンは離さず口内を執拗に犯していく。
「ふぅ・・・んン!・・・っ」
本格的に力が入らなくなってきて目で睨むが、見つめ返してくるだけで止まることはない。
息も苦しいって!!!
半ばヤケになって少し強くセバスチャンの舌を噛むと、やっと唇が離れていった。
「全く。酷いお方ですね」
「っ・・・少し、は・・・手加減・・・しろ!」
シエルは乱れた息のまま悪態をつく。
「これでも手加減したのですが・・・」
こうして口付けも解いたでしょう?
嫌みったらしい物言い。
けれど今までの中で一番柔らかい声音だ。
どうやら苛立ちは収まってきたらしい。
「お前に、嫉妬されると・・・恐ろしいな」
呆れるように言うと、また一瞬だけ唇を啄ばまれる。
「嫉妬させる坊ちゃんがいけないんです」
「僕はそんなつもり」
「ないと仰る方がタチ悪いですよ」
セバスチャンはコツンと額を合わせ、疲れたようにため息をつく。
ため息をつきたいのは僕の方だ。
ムカついて合わさった額でセバスチャンの額を押すと苦笑された。
「1つ、聞いても宜しいですか?」
「何だ」
「私が毎日差し上げる薔薇と今日フィニが差し上げた薔薇、どちらが嬉しいのですか?」
真剣な表情で問いかけてくる。
けれどなぜかどこか諦めているような声で。
どうしてそんな悲しそうにするんだ、と怒鳴りたくなったが・・・。
今回は僕が悪いな。
シエルは唇を噛み締める。
フィニが初めて上手く摘めた白い薔薇。
シエルの為にフィニ自身がくれた花だ。
嬉しくないわけがない。
しかも執事が仕事としてくれる薔薇と比べるのならば、フィニがくれる薔薇の方が嬉しいに決まっている。
けれど、そうじゃなかったんだ。
シエルが勘違いしないようにと思っていたことの方が間違いだった。
セバスチャンがいつも飾ってくれる白い薔薇だって、セバスチャン自身がくれていたのだ。
執事だから、美学の為だからではなく。
セバスチャン自身がシエルの為に。
フィニの薔薇にはあんなにも喜んだのに、セバスチャンの薔薇には1つも声を掛けたことがなかった。
どんなに心の中では喜んで、切なくて、愛しく想っていても。
だからセバスチャンは不安になって嫉妬したのだ。
きっと早くセバスチャンに喜びを伝えておけば、ここまで苛立たせずにすんだ筈だ。
『こんなものより、私がいつもあげている方が美しいでしょう』
そう。その台詞はコレに繋がっていた。
ごめんな、セバスチャン。
シエルはセバスチャンから額を離し、その額に口付けを落とす。
小さな謝罪を込めながら。
「正直言うと、お前がくれる薔薇とフィニがくれた薔薇を比べることなんて出来ない」
「・・・そう、ですか」
「だが勘違いするなよ」
シエルは言う。
「僕はお前から貰っている薔薇だって凄く嬉しい」
見る度にお前を思い出してしまう程な。
セバスチャンは目を見開く。
そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
そんな表情をするくらい諦め半分だったことに、よりシエルは胸が締め付けられる。
「だからその、嬉しさを比べることは出来ないが、愛しさ・・・というか何だ・・・だから」
どうにか自分のセバスチャンへの気持ちを伝えようとするが、うまく言葉が出てこない。
元々シエルはこういうことに関しては不器用なのだ。
セバスチャンはそんな様子を見て笑う。
「坊ちゃん、ありがとうございます」
「・・・それは僕の台詞だ」
シエルは唇を尖らせる。
口には決してしないが、顔には子供みたいに『ごめんなさい』という文字が書かれている。
どうやら嫉妬に気がついたシエルは、セバスチャンに悪いことをしたと思ったらしい。
私も大概現金な奴ですね。
坊ちゃんが本当は心の中で私を思い出してしまうほど、薔薇を喜んでくださっていたことが嬉しくて。
先ほどの怒りが嘘のように無くなっていく。
そもそもよく考えれば分かること。
シエルは嬉しい、欲しいと思うことほど言葉にしない。
特にセバスチャン相手には。
嫉妬のあまり失念してしまいましたね。
「セバスチャン」
「はい」
「午後の予定は確か無くなったよな?」
赤い顔をしながら尋ねてくる。
再び誘うように首に腕を回しながら。
「えぇ、本日の予定は全て終了致しました」
「なら・・・」
これからの時間、全てお前にやる。
恥ずかしそうに、ぶっきらぼうに言う。
すぐに言い訳がましく、今後こんな勘違いをしないようにだっ!ありがたいと思え!と叫んでくるが、それも甘い誘い文句にしか聞こえない。
「では、お言葉に甘えて・・・」
セバスチャンは首に抱きつくシエルを抱き上げ、歩き出す。
向かう先はもちろん寝室だ。
「こんな勘違いを二度としてしまわないように、骨の髄まで貴方の愛を感じさせてください」
おしおきもかねて、ね。
毒を含ませた台詞を吐きながら、部屋を後にする。
机の上に置かれた白い薔薇の花びらが一枚落ちたことを二人は知らない。
END
******
相互リンクをしてくださった『空と花と君と』ぴのろ様に捧げます!!
こんな稚拙サイトと相互してくださって、本当にありがとうございます(>▼<)☆
リクエスト『セバシエのセバス嫉妬話』ですが、いかがでしょうか・・・(ドキドキ)
少しでも喜んでいただけると嬉しいです^^
ぴのろ様、本当にありがとうございました!!

PR