(マダム・レッドの葬式の夜)
泣いているような気がした。
涙なんて1つも流れていないのに、なぜか見えない涙が頬を伝っている気がするのだ。
「坊ちゃん、大丈夫ですか」
「・・・・・何がだ」
ナイティを着せながら声を掛けてみると、シエルは眉を顰めるが此方と瞳を合わせることはしない。
いつもの不機嫌な顔に見えなくもないけれど、やはりその表情は悲しげだ。
そんな表情に見えてしまう理由は沢山浮かぶ。
今日ぐらい弱ってもいいだろうにと思うけれど、彼はそんな姿を見せたりはしないだろう。
あの墓場の前でも、そして“あの方”の前でも涙を流したりしなかった。
「随分とお辛そうなお顔をなされているので」
「は?貴様何を言ってるんだ」
決して馬鹿にしていもいないし、ふざけて言っているわけでもないのだが、どうやらシエルはそうは思わなかったようで、ギロリといつもより冷たい光を放ちながらセバスチャンを睨んでくる。
(別に素直になったって馬鹿にしませんよ)
内心でため息をつきながら見えない涙を拭うように頬に触れれば。
「触るなッ!」
バシリと手を叩き落された。
確か赤い死神を取り逃がした時もこの人間は自分の手を叩き落したなと、妙に冷静な頭で客観的に思い出す。
まるであの日から、否、あの事件の犯人を知った時から他人の体温を怖がっているかのようだ。
いや、きっと実際怖いのだろう。
あの方・・・マダム・レッドとは、生まれた時から可愛がってくれていた人間だ。
出会う前のことは知ることが出来ないので、一体どんな様子だったのかは知らないが、あの関係を見る限り、彼の方も随分と懐いていたのだろう。
しかし。
その彼女が女王の番犬として狩らねばならぬ存在となり、目の前で死に至った。
あれほどの地獄を味わった子供だ。“慣れた”ことであったとしても、大切なものを目の前で失うのはきっと何度経験しても痛みを受けるだろう。
現に今、彼は痛みを受け苦しんでいる。
(別に裏切られたのだから、そんなに苦しむ必要がないでしょうに)
正直、そこが自分には分からない。
一瞬でも彼女は彼のことを殺そうとした。最終的に殺せなかったとしても一瞬は裏切ったのだ。
自分からしたら、それは万死に値すると思うのだが・・・どうやら彼はそういうわけでもないらしい。
ここで割り切れるのならばこんなに苦しむ筈はないし、他人の体温を怖がることもないのだから。
「坊ちゃん・・・」
怖がるシエルを刺激しない為にセバスチャンは手を伸ばすことを諦め、出来るだけ優しい声で名前を呼ぶ。
怖がる必要などないのだと、そんな思いを込めて。
名前を呼ばれたシエルはピクリと肩を揺らし、気まずげに視線を逸らした。
それは何を思ってなのか。だが、自分を守るために必死に剣を振りかざしている姿よりもよっぽどいい。
もっともっと無防備になって。私に全てを曝してください。
「私は、傍を離れるなという命令にイエスと答えたでしょう?」
「・・・・」
「嘘は付かないと、前々から言っている筈ですが」
遠回しに、私は貴方の傍にいますとシエルに伝える。
すでに無くなった体温なんか求めず、ずっと傍にいる私を求めたらいい。
体温が離れていくことを不安に思うのならば、離れない私を求めたらいい。
けれど誰かに傍にいて欲しいと望むのならば、貴方を愛する私を求めたらいい。
虚勢なんて捨てて、ただありのまま私を望めばいい。
怖がる必要なんて、どこにもない。
「・・・坊ちゃん」
名前を呼びながら、もう一度ゆっくりと手を伸ばす。
今度は叩き落されることもなく、シエルは瞳を細めながらセバスチャンの手を受け入れた。
そっと触れた柔らかな頬。手袋越しだけれど、いつも暖かなそれが今日は冷たいのがよく分かる。
少しでも頬も、そして心も暖かくなるように優しく撫でれば、シエルはキュッと唇を噛み締め瞳を閉じた。
痛みを己の中に押し留め、我慢をする姿にセバスチャンは自身に痛みが走ったような気がして、咄嗟にシエルを抱きしめてしまった。
急に抱きしめられたことに驚いたシエルはセバスチャンッ?!と叫ぶが、セバスチャンは気にせずに力強く抱きしめ続ける。
「おい、なんだ!離せッ」
「私がここにおります」
「はぁ?!」
シエルは与えられる体温を嫌がるように背中を叩き抜け出そうとしていたが、セバスチャンの一言にピタリと身体が止まった。
「私は貴方を裏切らない。傍から離れない。だから貴方は私だけを求めたらいいのです」
「なに、を・・・」
ギュッと握られた燕尾服の裾が小刻みに震える。いや、それだけではなく抱きしめている身体全てが震えている。
落ち着かせるように背中を撫でながら名前を呼ぶが、シエルは首を横に振った。
- セバスチャンを拒否するかのように。弱い自分自身を拒否するかのように。
「ずっとここにおりますから」
「うる、さい」
「だから坊ちゃん」
「うるさいッ!!」
シエルは叫ぶ。
「貴様はただ僕の命令通りに動けばいいんだ。駒として働いて・・・だから、傍から離れないのは、当たり前で、それでっ」
だが弱った心を揺さ振られた彼はいつものように上手く言葉が紡げない。
普段の彼なら今のセバスチャンを嘲る言葉なんて簡単に思いつくだろうに。
「それは別に僕が求めているわけじゃ、ない!ただの命令で、僕は別に、必要なのは違うッ!!」
「分かりましたから坊ちゃん。もう、いいですよ」
「分かっていない!貴様、どれだけ僕を馬鹿にしたら気がすむんだ!」
「馬鹿になんてしておりませんよ。ただ、坊ちゃんのことを想っているだけです」
「ふざけるなッ」
「ふざけてなんていません」
セバスチャンは抱きしめているシエルの身体から自分の身体を少しだけ離し、顔を覗きこむ。
蒼い瞳は酷く揺れていて、今にも色を失ってしまいそうだ。
セバスチャンはそれを逸らすことなく見つめ、その瞳に自分の赤い瞳を映りこませる。
「坊ちゃん」
瞳を見つめたままセバスチャンは言う。
「私は何があっても坊ちゃんの傍を離れません。それを貴方に・・・そして自分自身に誓いましょう」
「・・・・ッ」
「だから、怖がらないでください」
瞳が見開かれる。
揺れていた瞳がピタリと止まり、代わりに美しい雫が溢れ。
音も無く零れ落ちてしまいそうになる前にセバスチャンは微笑みながらソレを拭った。
「だいじょうぶ。だいじょうぶですよ」
「セバス、チャン」
「はい」
シエルは瞬きもせず、まるで放心状態のようなまま名前を口にする。
それに答えてやれば相手はコクンと頷き、セバスチャンの肩に額を押し付けた。
「・・・お前は変な悪魔だな」
「否定したいところですが、自分でも最近そう思います」
そう苦笑すれば、相手もクスリと笑ったのが肩からの振動で伝わった。
「だが、悪くない」
「坊ちゃん・・・」
「・・・明日には元に戻る。けど・・・今日はこのまま、ここにいろ」
その言葉は何よりも素直で。
でも完全には甘え切れない言葉。
それでも今セバスチャンに見せられる最大の姿だと分かっているから。
「喜んで」
頭をそっと撫でて、再び強く抱きしめた。
end

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