急に誰かに会いたくなる時というのは人間ならば一度くらいは経験するだろう。
それはもしかしたら両親かもしれないし、友達かもしれないし、好きな人かもしれない。
会いたい理由も人それぞれで、ただ意味もなく会いたいという時もあれば、遠くにいていつも会えないから会いたいという場合もある。
(僕の場合、後で絶対に会うのにな)
シエルは授業中ノートを取りながらも、思考は別の方向を向いていた。
昨日学会で休んだこのクラスの担任の先生であるセバスチャン・ミカエリス先生が今日は来ていた。
自分と彼が会うのは放課後のみ。それ以外は全くと言っていいほど接触しない。
けれど放課後は必ずの割合で向こうから接触してくる。どんなに逃げたって。
だから。
今別に会いたいと思っても、放課後まで待っていれば自動的に彼には会えるのだ。
それに、嫌味な顔なら先ほどのSTで見た。
それなのに。
(こんな自分、気持ち悪いな)
今すぐにでも会って話がしたい、と思うのはどういうことだ。
どうやら自分は想像以上に彼に惹かれているらしい。
自分の気持ちをコントロール出来ないくらい。
格好悪いというより、気持ち悪い。けれど。
こういう自分を嫌いだと思えないのはなぜだろうか。
元々何かに執着することも、逆に執着されることもなく生きてきたからだろうか。
もしかしたら新たな世界に踏み出した新鮮さで惹かれているのかもしれない。
そう考えるも、その言葉はただの言い訳にしかならないというのは自分が一番分かっている。
自分の気持ちを知りながらも自分に嘘をつくことは出来る。
けれどその気持ちを見ないということは出来ないのだ。
(授業が終わったら会いに行くか・・・)
たまたま職員室の方を通り掛かったら彼がいた、という形にしてしまえばいい。
会えて嬉しい気持ちを必死に押し殺して、嫌々ながら会ってしまった表情を作ろう。
そして一言二言嫌味を吐き出せばいい、それでいつもの僕だ。
シエルは内心で満足げに頷いて、終わりを告げるチャイムを今か今かと待った。
「キーンコーンカーンコーン」
数十分後。
チャイムが校内に響き渡った。
シエルは教科書をしまい、何気ない顔をしたまま廊下へと足を踏み出す。
今誰かが彼の顔を見ても、胸が高鳴っているだなんて知る由も無いだろう。
そのままシエルは職員室がある方へと進んでいく。
きっとさっきの時間は別のクラスの授業を持っていただろうから、職員室に戻る為に彼も足を進めているに違いない。そこでたまたま会ってしまった形を取れば・・・。
ドキドキする胸を必死に押さえつけながら一歩一歩進んでいき職員室へむかう角を右に曲がると、視界には職員室の扉、そして。
(あ・・・)
シエルは進めていた歩を止め、逆に一歩下がり曲がった角を戻る。
そして壁に背中を押し付けて、天井を見上げながら小さくため息を吐いた。
視界に映ったのは、職員室の扉と“黒いスーツを纏った教師”と“女子生徒”
先ほどまで感じていた胸の高鳴りが音を立てて崩れていったのが、痛いほど身体全身に伝わる。
(馬鹿か僕は・・・)
別に女子生徒のことなど気にせず、通り掛ればいい。そしてたまたまを装って黒いスーツを纏った教師の瞳に自分を映らせれば、もしかしたら声を掛けられるかもしれないじゃないか。
けれど。
もしかしたら声を掛けられず、しかも僕が通ったことにも気が付かなかったら?
自分から話し掛ける勇気なんて、まだ僕にはない。
だがここまで来たんだ、こんなことで引き下がるのも何だか悔しくてチラリと職員室の方を覗き込めばまだ教師と女子生徒は楽しそうに話している。
何の話をしているかまでは聞こえないが、それをしっかりと見てしまえば自分があそこに入り込むのには躊躇われた。
シエルは唇を噛み締めながらそれをしばらく見つめていたが、首を振り苦笑する。
そして音を立てずに、来た廊下を戻り始めた。
(馬鹿だ、僕は)
なに調子に乗っていたのだろうか。
あの教師が現れてから、僕は僕を見失いすぎだ。
今まで自分は一人で生きてきたじゃないか。それなのにどうしてあんな教師に心を奪われ、乱されているのだろう。
こんなことで心に酷い痛みを感じるなんて・・・馬鹿げている。
ほら、警鐘は正しかった。彼に近づいてはいけなかったのだ。
彼は僕を傷つける。
傷つけることが出来る人間だ。
そこまで入り込んでくることが出来てしまう相手だ。
元の自分に戻ろう。
こんなのは自分じゃない。
教室に戻ってきたシエルは自分の席に座って先ほどの授業で使っていたノートを取り出す。
そして楽しそうに並んでいる少し前までの自分の字を見て。
「気持ち悪い」
そう笑いながら、そのページを音を立てながら破いた。
――――こういう自分を嫌いだと思えないのはなぜだろうか
心の中で回された、そう書かれたノートの切れ端も
ゴミ箱の中に丸めて捨てられた。
end

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