深い深い闇。
深淵へと堕ちていく姿。
その表情は、たいそう不快そうで。
しかし逆に、心地よさそうで。
汚れた世界を呆然と見つめながら
弱々しく手を伸ばしてくる。
それは、残酷なほど無垢な魂。
― Call me -
「また、ですか」
真夜中の時間。
セバスチャンはふと、仕事中のペンを止める。
どうやら主人である坊ちゃんが目を覚ましたらしい。
たとえどんなに離れていても、セバスチャンは気配でそれを察知する。
ただ目を覚ましただけならいいのですが…。
「一体、いつまで見続けるのでしょうね」
セバスチャンは悪夢で目覚めた坊ちゃんを思い、ため息をつく。
坊ちゃんが悪夢でうなされて目を覚ますのは、もはや定期的だ。
深い深い心の傷は、悪夢という形で表しているらしい。
まぁ、そのおかげで坊ちゃんは『憎しみ』という感情を忘れなくて済むのかもしれませんが。
セバスチャンは苦笑する。
坊ちゃんはまだアレに怯えていらっしゃるのですね。
セバスチャンはペンを置き、椅子に座ったまま窓の向こうを仰ぎ見る。
開けっ放しのカーテンの向こうには、白い月が冷ややかに輝いていた。
それは、セバスチャンの部屋を氷のような輝きで照らす。
「人はこれを、美しいと言うのでしょうか」
セバスチャンは無意識に口元に弧を描く。
静かな夜の中、ひっそりと存在する月。
闇と共にありながら、決してその輝きを失うことはない。
その冷ややかな光は淡く地上を照らしていく、孤独な存在。
闇の中で浮かぶ、孤独。
「まるで、坊ちゃんのようですね」
セバスチャンは、悪夢にうなされて起きた主人のことを想う。
檻の中に閉じ込められていた小さな少年。
何の力もない非力な人間であるにも関わらず、凛とした眼差しを持ち続け、背筋を伸ばす。
そして契約で私を縛り、命令する。
自分の道を進んで行くために。
けれど。
「見せているつもりは、ないのでしょう」
セバスチャンは手袋を脱ぎ捨て、契約印をそっと撫でる。
いつだって貴方の背中は泣いているのです。
貴方の後ろに立つだから見えること。分かること。
声に出さず、表情に出さず、貴方はいつも泣いている。
悲痛に叫んでいる。
しかし決して坊ちゃんは、誰にも弱みを吐かない。
泣き言も言わない。
「そんな貴方だから従えるのですよ。マイロード」
けれど。
後ろに立つ私に、少しくらい寄りかかってくださっても結構なのに。
たまには涙を流して、目を閉じて。
私が貴方を全てから守るから。
今だって、呼んでくだされば…。
「名前を呼んで。坊ちゃん」
そしたらすぐに、貴方のそばへ行くから。
END

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