明日には何をされるのか。
予想なんて全然出来なかったし、想像なんてしたくもなかった。
ただ分かるのは、明日も“恐怖”が待っているということだけ。
痛みと苦しみ。
そして、別れ。
昨日まで一緒に笑っていた友達の筈なのに、殺し合いをさせられて。
勝利した者だけが生き残る。
謝ったところで済む問題でもなければ、謝って心に区切りがつけられる問題でもない。
勝てば勝つほど友達は減り、勝てば勝つほど新たに力を得ていく。
どんどん、どんどん、人間から逸していく。
身体も、心も。
気が付けば。
挨拶の握手すら出来なくなっていたなんて、信じたくもなかった。
大切な人を抱きしめることすら出来なくなっていたなんて、信じたくもなかった。
気が付けば。
優しく触れることが出来なくなっていたなんて、信じたくもなかった。
手の温もりを感じたとき
自分はもう人間じゃない。
人間としての名前はとおに捨てられて、物である番号を付けられた。
研究としての材料となったのだ。
「うわぁ~、綺麗なお花!」
しかしそれは、過去の話し。
今はファントムハイヴ家に雇われて、庭師をしている“フィニアン”だ。
毎日注射をされることもなく、閉じ込められることも無い。
ましてや友達と殺し合ったりもしない。
庭師として働く幸せな日々。
「坊ちゃんにあげたら、喜ぶかなぁ」
フィニは見つけた白い花に手を伸ばし、摘み取ろうとするが。
「あ」
グシャリと花びらを散らせながら、花は潰れてしまった。
フィニの手の中で。
「だめ、だなぁ。僕、庭師なのに」
ははは、と笑ってみるが、ひんやりとした何かが自分の中から溢れ出してくるのが分かる。
あぁ、またいつもの感覚だ。
フィニは無意識に首の後ろに…コードナンバーが刻まれている部位に手を回した。
自分のこの行き過ぎた力は、研究されている間に得たもの。
否、得させられたものだ。
今が幸せな日々であっても、この力が消えることはない。
イコールそれは、過去を無かったことには出来ないのだという証拠だ。
この花のように、友達を殺してきたことだって…。
「ごめん、ね」
花になのか、それともあの頃の友達になのか分からないけれど、フィニは謝罪を口にする。
「僕、まだ上手く調節できなくて」
潰しちゃうんだ、いろんなもの。
どんなに幸せであったとしても、消せない過去がある。
それは仕方の無いことだと思っても、上手く割り切れなくて。
それでも今が夢ではないということが真実だから、儚く消えていかないように守ってみせるけど。
笑ってみせるけど。
どうしてだろう。
力が溢れている手の中は、いつも空っぽなんだ。
「どうしましただか?」
「虫にでもくわれたかぁ?」
後ろからだいぶ聞きなれた声が聞こえ、フィニは振り返る。
そこにはメイリンとバルドが歩いてきていた。
あわてて手の中に潰れてしまった花を握り締め、自分の背に隠す。
「メイリンさん、バルドさん。どうしたんですか!こんなところで」
「ちょっくら休憩しようと思ってな」
「私もだよ」
「そうだったんですか」
「で?お前はどうしたんだ?」
頭を掻きながらバルドに尋ねられ、フィニは咄嗟に僕もです、と答えた。
「雑草抜きをセバスチャンさんに頼まれたんだけど、ちょっと疲れちゃって」
「セバスチャンは口煩いからなぁ」
「バ、バルド!失礼だよ!」
メイリンが怒るように言うと、バルドはだってよう…とブツブツ文句を言い始める。
そんな二人のやり取りに何だか心がくすぐったくて笑ってしまう。
その時につい花を隠した手を前に出してしまい、バルドが目ざとくソレを指摘した。
「フィニ、お前なにを持ってるんだ?」
「あッ」
フィニは慌てて再び後ろに隠すが、見られてしまってはどうすることも出来ない。
「お前さん、雑草以外のお花を抜いちゃったんだろう」
「一本くらいバレないですだよ」
「ち、ちがっ」
ただ僕は坊ちゃんに綺麗なお花をあげようとして…。
しかしその言葉は口から出ずに、心の中で消えてしまう。
花を摘もうとしたら握りつぶしてしまったなんて、言いたくなかった。
この二人が自分の力を知っているからと言って、全てを受けて入れてくれているとは限らない。
花1つ満足に摘めない庭師なんて…って思われたらどうしよう。
フィニは唇を噛んで俯いてしまう。
「フィニ…?」
優しく声を掛けられるが、顔を上げることが出来ない。
このままじゃ駄目だと分かっているのに…。
バルドとメイリンも困ったように顔を見合わせていたところ。
「どうした」
「あ、坊ちゃん…」
自分を助けてくれた人…シエルの声が聞こえ、フィニはビクリと震えた。
なんともタイミングが悪いものだ。
余計に潰した花のことを言い出せなくなってしまう。
「何かあったのか?」
「いやぁ、大したことじゃねェんですけど」
「…フィニ」
フィニの様子がおかしいと思ったのだろう。
シエルは真っ直ぐに声を掛けてくる。
「う…」
「顔を上げろ」
自分の主の命令は絶対。
それはずっとセバスチャンに言われ続けている。
フィニは唇を噛んだまま顔を上げれば、心配そうにこちらを見るバルドとメイリン。
そして凛とした瞳で見つめてくるシエルが視界に映った。
「どうした」
「・・・」
「言え。命令だ」
しょうが、ないよね。
フィニはおずおずと手を前に出し、開いてみせる。
三人は覗き込むように、その手の中のものを見れば首を傾げた。
「花?」
「…坊ちゃんに、摘もうとしたんです」
「僕に?」
「でも僕、力強いから潰しちゃって。お花1つ、摘めなくて」
もうこの手は優しさなんて知らないんだ。
挨拶の握手すら出来なくなった自分。
誰がこんな自分を受け入れてくれるだろう。
何一つ出来ない自分を、一体誰が。
だけど出来ることなら、一緒にいたいのに。
捨てられないように頑張るから。
いっぱいいっぱい、頑張るから。
一緒にいさせて。
「仕方ない奴だな」
シエルから出た言葉に、フィニは涙が零れそうになったのだが。
「バルド、メイリン、花を摘んでフィニに渡してやれ」
「イエッサー!」
「え?」
聞こえた命令に目を見開く。
バルドとメイリンは元気よく返事をし、素早く花を摘みフィニの元へと駆け寄ってくる。
「ほらフィニ、綺麗な花ですだよ」
「落とすんじゃねェぞ」
「え、え?」
開いた手の平の中に、花がどんどん満たされていく。
最初にフィニが摘んだ花を筆頭に。
気が付けば、綺麗な花が両手一杯になっていた。
「綺麗だな」
「坊ちゃん?」
手に溢れる花を見つめながらシエルは言う。
「それを後で僕の部屋に持って来い」
「…ッ!」
「それも庭師の仕事だ。綺麗な花を僕に見せてくれるんだろう?」
シエルの言葉にフィニは何度も力強く頷く。
「…お前の力は何かを壊しやすいかもしれない。だがな、お前の手は一つだけじゃない」
「そうですだよフィニ」
「俺たちだっていんだぜ?」
「そっと触れられないからってなんだ。お前は、お前自身もそういう“人間”なのか?」
僕はそう思わないがな。
バルドとメイリンもシエルの言葉に力強く頷く。
「お前がどういう奴かこの二人も分かっている…それで十分だろう」
フィニの手から二輪花を掴み、シエルはバルドとメイリンにそれを渡す。
まるでフィニの代わりに渡したように。
どんなに幸せであったとしても、消せない過去がある。
それは仕方の無いことだと思っても、上手く割り切れなくて。
それでも今が夢ではないということが真実だから、儚く消えていかないように守ってみせるけど。
笑ってみせるけど。
挨拶の握手すら出来なくなっていたなんて、信じたくもなかった。
大切な人を抱きしめることすら出来なくなっていたなんて、信じたくもなかった。
優しく触れることが出来なくなっていたなんて、信じたくもなかった。
けど、違ったんだ。
握手だって抱きしめることだって、向こうからしてくれたら出来るんだ。
行動に表せなくったって、気持ちが伝われば十分なんだ。
そっか。
そうなんだ。
まだ僕は優しく触れることは出来ないかもしれない。
でも、この手が優しさを忘れたわけじゃないんだ。
だって、こんなにも今両手は満たされて、温かいんだから。
僕は決して独りじゃないんだから。
「じゃぁ、僕は仕事に戻る」
「あ、坊ちゃん!」
さっさと行ってしまおうとするシエルにフィニは声を掛ける。
そして満面の笑みで。
「ありがとうございますッ!」
胸いっぱいの感謝を口にした。
するとシエルは。
「…御礼なら僕じゃなくて、そこの二人にだろう」
と、しかめっ面をしながら行ってしまう。
そんな自分達の主人を、三人は微笑みながら見送った。
****
「ん~!いい天気!」
フィニは庭に出ながら伸びをする。
「今日も一日頑張るぞッ!」
にこやかに微笑みながら、駆け出す。
庭師としての仕事をするために。
そしてその庭を見る人たちのために。
消せない過去を優しく包み込んでくれる人のために。
窓からそんな様子を眺めていたタナカさんの瞳には、先日シエルから貰った麦藁帽子がフィニの首元で軽やかに揺れているのが映った。
END

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