聞こえてくるのは小鳥のさえずり。
見上げれば、気持ちのいい青い空。
息を吸えば胸いっぱいに広がる緑の香り。
「たまにはこのような場所でのんびりするのも、良い気分転換になりますね」
セバスチャンはシエルに向かって微笑んだ。
今シエルとセバスチャンは、屋敷から少し離れた森林に来ているのだ。
本来ならば今の時間は馬車に乗りながらロンドンに向かい、必要な買い物をしている筈だろう。
そのついでに、ファントム社の製品が売っている店を視察しながら。
しかし使用人たちが、たまには自分達がおつかいをすると言い出したのだ。
少しは役に立ちたい、今日くらい身体を休めてください・・・と。
一体どんな間違った物を買ってくるか分からないので、セバスチャンもシエルも初めは断固拒否をしたのだが。
『たまには羽でも伸ばしては如何ですかな』
タナカさんにまでそう言われてしまっては流石の二人も拒否の言葉が小さくなっていき、結局二人は無理やりというか、お言葉に甘えてというか・・・近場の森林へと出かけたのだった。
直射日光をあまり浴びないよう木陰にシートを敷き、いつもより簡単なスイーツを並べていく。
急な予定だったので凝った物を作ることが出来なかったのだ。
それでも作ろうとするところが、優秀な執事だと言えよう。
「すみません坊ちゃん。折角の休息なのにこんな物しか作れず」
「別に。急に決まったことだ」
シエルはどこか遠くを見つめながら返す。
こんなところに休息として来たのはいつぶりだろうか。
前にエリザベスに進められた場所に行ったのは憶えているが、それもかなり前の話しだろう。
たとえ来たとしても必ず仕事絡みの為だった。
・・・こんな何もない所で一体なにをしたらいいというんだ。
シエルは内心ため息をついた。
すると。
「どうしましたか坊ちゃん」
こちらの違和感を察したのか、声を掛けられる。
悪魔だからなのか、それとも恋人だからなのか。
どちらにせよ、こちらのことが筒抜けなので苦笑してしまう。
「いや、少し落ち着かなくて」
「と、申しますと?」
「普段こういう所には仕事で来たりするだろう?けれど今回は仕事もない。だから妙に落ち着かなくてな」
目線を泳がせながら言えば、クスリと笑う声が耳に聞こえてきた。
「ワーカーホリックな坊ちゃんらしいですね」
「うるさい・・・」
自分でも思っていることを笑われ、なんとなく腹立たしいような恥ずかしいような気持ちになり、逃げるように空を仰ぐ。
広がる青色に、メイリンの目にも同じようにこの青は映っているのだろうかと、なぜか少し昔のことを思い出した。
「やはりこういう場所に来ると、気持ちが柔らかくなりますね」
「え?」
別のことを考えている頭に言葉が流れ込み、シエルは反射的にセバスチャンの方を向いた。
するとそこには悪戯気に笑う恋人の姿。
「貴方が素直に気持ちを吐露するなんて珍しいじゃないですか」
「・・・そうか?」
恋人の関係になってから、自分は昔よりも素直になったと思うのだけれど。
セバスチャンにとってはまだ足りなかったのだろうかと首を傾げる。
いや、これ以上見せられる自分はどこにもいないくらいセバスチャンには見せている筈だ。
「この場の優しい雰囲気に呑まれましたか・・・」
「・・・?」
「いえ、素直な坊ちゃんも可愛らしいですよ」
ニッコリと微笑む表情にシエルはどこか違和感を感じるが、自分が足を踏み込んではいけない領域なような気がして、あえて見て見ぬ振りをする。
どんな時でも的確な状況判断は疎かにしてはいけない。
「坊ちゃん?」
「あ、いや、なんでもない」
シエルは慌てて首を振り、目線を周りへと移す。
折角の休息だ。難しいことは考えずに今の時間を楽しむことが大切だ。
特に、恋人の関係になったセバスチャンとこのような場所に来るのは初めてなのだから。
「なぁセバスチャン」
「如何なさいましたか」
「ちょっと周りを歩かないか?」
「・・・」
セバスチャンの動きが止まり、その場の空気が凍るのをシエルは全身で感じた。
これは・・・何か・・・したか?
数回まばたきを繰り返し、とっさに今言った言葉を取り消す。
「あ、悪い。スイーツの準備をしてくれてたんだったな。先走ったことを言った」
「いえ、そういうことではなくてですね」
シエルの言葉で再び時間が動き出したかのようにセバスチャンも再び動き出す。
「なぜそのようなことを?」
「え、なぜって」
問われる意味が分からない。
ちょっとした散歩に誘った意図を尋ねるとはどういうことだろうか。
それとも森林で散歩するのはおかしいことなのだろうか。
グルグルと疑問が頭を回るが答えは出てこない。
いやまて、ここでセバスチャンが尋ねているものは、なぜ一緒に歩こうと誘ったか、ということじゃないだろうか。
それの答えならば簡単に導かれる。
「一緒に歩きたいからだ」
「・・・」
「だ、駄目だったか?」
再び空気が凍り、シエルは焦りと共に不安が滲み出てくる。
もっと別の答えを求めていたのだろうか。
だが、これが自分の素直な気持ちだ。
恋人と一緒に散歩したいという想い。
いや、散歩じゃなくてもいい。
二人で一緒に今この場所この時を楽しく過ごしたいという想いなのだが・・・。
セバスチャンとの気持ちの違いを感じ、シエルはどんどんそんな想いが恥ずかしくなってきた。
「ちょっと浮かれすぎたな。少し頭を冷やしてくる」
シエルは口元に弧を浮かべて立ち上がる。
穴があったら入りたいとはこういう気持ちだろうか。
セバスチャンから逃げるように立ち上がり、一歩を踏み出そうとすると。
「坊ちゃん」
「・・・ッ!!」
パシっと手を掴まれ、前に進まずに足はその場で留まった。
なんとなく顔を合わせ辛くて振り向かずにいると、フワリと身体が持ち上がった感覚にシエルは声を上げた。
「なッ!!!」
「すみません坊ちゃん。私としたことが少々驚いてしまって」
「ちょ、セバスチャン?!」
「まさか森林浴でここまで坊ちゃんが素直になるとは・・・人間とは本当に不思議なものですね」
「はぁ?!」
「折角素直になれたのです。このままもっと深く愛を深め合いましょう?坊ちゃん」
「んッ」
チュッと唇が額に触れ、シエルは一瞬目を閉じる。
しかしすぐに言われた言葉にハッとして襟首を揺さぶり、頬を赤く染めながら叫んだ。
「ちょっ!このままもっと愛を深めるって・・・!!お前何をするつもりだ!?」
「ここではあからさま過ぎますからね。さぁ、参りましょう」
「参りましょうって・・・!降ろせ!セバスチャン!降ろせぇぇぇ!!」
こうして、シエルとセバスチャンは森林の奥へと消えていったのであった。
end

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