聞こえてくるのは小鳥のさえずり。
見上げれば、気持ちのいい青い空。
息を吸えば胸いっぱいに広がる緑の香り。
「たまにはこのような場所でのんびりするのも、良い気分転換になりますね」
セバスチャンはシエルに向かって微笑んだ。
今シエルとセバスチャンは、屋敷から少し離れた森林に来ているのだ。
本来ならば今の時間は馬車に乗りながらロンドンに向かい、必要な買い物をしている筈だろう。
そのついでに、ファントム社の製品が売っている店を視察しながら。
しかし使用人たちが、たまには自分達がおつかいをすると言い出したのだ。
少しは役に立ちたい、今日くらい身体を休めてください・・・と。
一体どんな間違った物を買ってくるか分からないので、セバスチャンもシエルも初めは断固拒否をしたのだが。
『たまには羽でも伸ばしては如何ですかな』
タナカさんにまでそう言われてしまっては流石の二人も拒否の言葉が小さくなっていき、結局二人は無理やりというか、お言葉に甘えてというか・・・近場の森林へと出かけたのだった。
直射日光をあまり浴びないよう木陰にシートを敷き、いつもより簡単なスイーツを並べていく。
急な予定だったので凝った物を作ることが出来なかったのだ。
「すみません坊ちゃん。折角の休息なのにこんな物しか作れず」
「別に。急に決まったことだ」
シエルはどこか遠くを見つめながら答える。
その表情は普段と変わりないが、どこか落ち着かない様子にセバスチャンは首を傾げた。
「どうしましたか坊ちゃん」
「いや、少し落ち着かなくて」
「と、申しますと?」
「普段こういう所には仕事で来たりするだろう?けれど今回は仕事もない。だから妙に落ち着かなくて」
目線を泳がせながら言うシエルに、セバスチャンは苦笑する。
ここで笑ったらきっと恋人はへそを曲げてしまうだろう。
折角こんな気持ちの良い場所に二人でいるのだ。
空気を壊すようなことはしたくない。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん」
ふと、森林に咲いている沢山の花が目に止まり手を伸ばしてその一輪をそっと摘む。
そしてそれをシエルの方に差し出せば、シエルは驚いたように目を見開き、セバスチャンと花を交互に見た。
「今は落ち着かないかもしれませんが、じきに慣れます」
出来る限り優しく微笑み言えば、シエルも嬉しそうに口元に弧を描き、そうだな・・・と花を受け取った。
「綺麗な花だ」
「お気に召したのでしたら、屋敷の庭にも植えましょうか」
「いや、こうやって自然に咲いているからいいんだろう」
勿論、お前が手入れしてくれている花も美しいがな。
どこかうっとりとした表情で話すシエルをじっと見つめる。
仕事の時とはまた違う表情。かといって自分に向ける表情ともまた違う。
やはりたまにこういう場所に来て休息をした方がいいですね。
そんなことを思っていると、シエルの頬が赤く染まり、どこか恥ずかしげに先ほどの話しの続きを口にする。
「それに」
「・・・?」
「お前が、くれた、花だし・・・な」
「ッ!!」
予想外の嬉しい言葉にセバスチャンは目を見開く。
言った本人は酷く恥ずかしいらしく、顔まで背けてしまう。
しかしもうすでに染まった頬は見てしまったし、耳まで赤くなっているのはここからでも丸見えだ。
そんな姿を見ていると、こちらまで赤くなってしまいそうになる。
「坊ちゃん」
「・・・しばらくこっちを見るな」
「見なければいいのですね」
そっと近寄り、後ろからシエルを抱きしめる。
ピクリと身体は震えたが、抵抗する様子は見られない。
それが尚更嬉しくて、頭に頬擦りすれば、こちらの胸に寄りかかってくる気持ちのいい重みを感じた。
「今頃、あいつらは買い物をしてるんだろうな」
「そうですね」
「今度、ここに連れてきてやろう」
「きっと喜びますよ」
「・・・あぁ」
柔らかい空気に包まれる二人。
それは今この場所にいるからだけではないだろう。
「あ・・・」
「どうしました?」
シエルは声を上げると、身体を少しだけ前に倒した。
よって少しだけセバスチャンから離れる形になる。
一体何があったのだろうと、その様子を見守っていると。
「ん・・・」
小さな手は先ほど摘んだセバスチャンと同じ花を摘み、上目遣いでこちらへと差し出してくる。
「お前のぶん」
消えそうな声で呟くシエル。
あぁ・・・この人間はどうしてここまで可愛らしいのだろうか。
「ありがとう、ございます」
震えてしまいそうな声を落ち着かせながら受け取れば、シエルは嬉しそうに微笑んだ。
「おそろいだな」
「そうですね」
お互いの手に同じ花。
それはどこか永遠を誓う指輪のようにも見えて、苦笑してしまう。
しかし愛する気持ちは同じなのだから、大きな違いは無いのかもしれない。
シエルとセバスチャンはクスリと笑いながら額と額を合わせ、そして花を持っていない方の手を絡めた。
そしてお互い自然と唇が近づき、口付け合う。
決して深くはなく、けれど・・・愛情深く。
「はぁ・・・」
唇から甘い吐息が漏れ、シエルはセバスチャンの胸に身体を預ける。
先ほどのような背中だけではなく、今度は全てを。
そんな愛しい存在をセバスチャンも抱きしめ、そっと瞳を閉じた。
とくん、とくん、と鼓動が身体に響いてくる。
きっとシエルにもセバスチャンの鼓動が身体に響いているだろう。
それは、今軽やかに歌っている小鳥の声よりも優しく、そしてどこか気持ちがいい。
身体を照らす太陽の光よりも、頬を撫でる風よりも。
「なぁ、セバスチャン」
「はい」
「折角ここに来たんだから、一緒に周りを歩きたい気持ちもあるんだが」
「・・・はい」
「なんか、離れがたいな」
苦笑しながら言うシエル。
セバスチャンもシエルと同じ気持ちなので、そうですね、と苦笑しながら答えた。
「では、こうしませんか?」
「ん?」
とある提案を思いつき言葉を掛ければ、シエルは顔を上げて覗き込んでくる。
そんな恋人にニッコリと微笑みかけて。
「手を繋いで、一緒に周りましょう」
手袋を脱いで手を差し出せば、シエルは一瞬驚いたような顔をし、けれどすぐにその手を掴んで。
「あぁ」
二人で仲良く森林の奥へと歩いていった。
end

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