自分は悪の貴族だ。
裏の世界の秩序であり、女王の番犬という首輪を絞めている。
「・・・・」
一般人と同じように平凡な暮らしなど出来ない。
そんなことは分かっている。
復讐を糧に生きる僕だ。
そんな“偽り”など欲しくない。
シエルは一回瞳を閉じて、もう一度開く。
片方の蒼い瞳に全ては映っているのにそれはただの情報として取り入れているだけで、本当は何も映ってはいない。
今この世界にいるのは排除すべき鼠と、これから排除を行おうとしている自分のみ。
シエルは息を吸うこともせず、重たい鉛の引き金に指を掛けた。
が。
コツリ。
耳に別の音が入り、その動きを止めた。
先ほどまで気配すら消していた悪魔が、まるで自分の邪魔をするかのように絶妙なタイミングでその存在を響かせたのだ。
「・・・どうなさいました、坊ちゃん」
「・・・・」
わざとらしい声に小さく舌打ちをする。
動きを止めたのは貴様だろうと言いたくもなるが、勝手に動きを止めたのは自分自身だ。
この悪魔の存在なんてそのまま無視しておけばよかった。
しかし“仕事”の邪魔されたという苛立ちが心を侵食してくる。
一度何も感じないように凍らせた筈なのに。
「どこか行け」
「なぜです」
「邪魔だ」
「ここでお独りにするなんて・・・そんな冷たい使用人ではございませんよ」
きっとセバスチャンはニッコリ笑っているのだろう。
振り向かなくても分かる。
冷たい使用人ではないだなんて、どの口がほざいているんだか。
シエルは引き金に指を掛けたまま、ため息をついた。
「じゃぁ言い方を変える。思いやりを持った使用人なら独りにさせろ」
「こんな場所でお独りになるのは危険です」
「じゃぁ・・・もう黙れ」
「先ほども黙っておりましたが」
遠まわしに、手を止めたのは其方だと伝えてくる。
先ほど自分でも思っていたことなので尚更怒りが膨れ上がり、シエルは持っていた鉛を鼠ではなく、振り返り悪魔に向けた。
「おやおや」
「何がしたい」
「何もございませんが?」
「ふざけるな」
低い声で唸る。
「ワザと足音を響かせたな」
「それが何か」
「どうしてそんなことをした」
「・・・・・・」
「命令だ、答えろ」
いつものように長々と押し問答をする気はない。
睨みつけたまま鉛を構えていると、セバスチャンは小さくため息を付き、一歩足を進めて此方との距離を縮めた。
そして手を伸ばしたかと思えば、握られた鉛・・・拳銃は素通りし、シエルの眼帯に触れ、それを剥ぎ取った。
行動の意味が分からず、剥ぎ取られた時には小さく声を上げることしか出来なかった。
「貴方がお独りだったからです」
「どういう意味だ」
「私の存在を消していたでしょう?」
貴方の世界から。
紡がれた言葉にシエルは眉を寄せる。
それが一体何だって言うんだ。
今必要なのは自分の世界には排除する鼠と排除を行う自分のみ。
それ以外はこの仕事に必要ない。
「それに何の問題がある?」
「今は問題ありませんが、その後が問題なんです」
「どういうことだ」
「鼠の排除を躊躇わない貴方は素敵ですが・・・」
セバスチャンはシエルの契約印が刻まれた方の瞳をそっと手で包み込む。
「それは虚勢に過ぎない」
「・・・・ッ!」
「心を消し去って排除を行うだなんて、貴方は人形ですか?」
「なんだとっ」
「だってそうでしょう坊ちゃん」
セバスチャンは哂う。
「貴方はまるで瞳を閉ざして生きようとしていましたよ」
「~~~ッ!!」
それは嫌味でも何でもない。
シエルの確信を突いた言葉だった。
シエルはこれから自分が行うことに傷つかないよう、心を閉ざした。
それはこの世界に生きる為には必要な知恵とも言えるだろう。
がしかし、それは結局のところ弱さにしかならない。
瞳を閉じて生きるなんて、それは現実から逃げているのと一緒だ。
まさに、情報のままに歩む人形の如く。
この悪魔がそれを許すわけが無かったのだ。
痛みには痛みを。
苦しみには苦しみを。
きっちりと味わえ。
貴様は、そう言いたいのだろう?
「・・・悪魔め」
「仰る通りです」
さぁ、坊ちゃん。
セバスチャンは声を掛けながら、シエルの身体を先ほどの向きへ戻す。
視線の先は先ほどの鼠の姿。
シエルはそれを見て、先ほどは感じなかった・・・否、先ほどは閉じ込めていた感情が一気に溢れ出す。
それは、自分の一番見たくない、知りたくない、感情。
けれどそれをこの悪魔は叩きつける。
「誰の為にでもなく、自分の為だけに。その自分の意志で、足を進めてください」
「・・・・・」
「私が最期までお供しましょう、マイロード」
ふとその言葉に違和感を覚え、シエルは一回鉛を降ろす。
僕が最初質問したとき、コイツは何て言った?
いつだってコイツの言葉には裏がある。
――― 貴方がお独りだったからです。
あぁ、そうか。
「セバスチャン」
「はい」
「僕は躊躇わない」
下げた鉛を軽く持ち上げ、ずっと引っ掛けていた指を引く。
軽い音を立てて弾は飛び出し、そして重い音を立てて鼠を捕らえた。
赤い色が視界に広がり、吐き気がするが、決して瞳を逸らさない。
「たとえ躊躇っても、僕は歩み続けるだろう」
「えぇ。それこそが我が主」
「だから」
命令する。
「僕の傍から離れるな。ずっと僕の後ろに立っていろ」
「イエス、マイロード」
唇を噛み締めたシエルを、セバスチャンは力強く抱きしめた。
(You are not one person.)
end

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