ここはどこ。
自分の声さへ響かない。
深淵に浮いたような感覚。
それは、俺にとって何も意味をなさない。
無情であり、無感で。
闇の中で目を開ける。
何も宿さない瞳に映ったもの。
それは、俺に望みを問うた一匹の蜘蛛。
― 私が傍にいるから ―
「ルカっ!」
真夜中の時間。
アロイスはベッドで飛び起きる。
夢の中で伸ばしていた手は空を切り、何も掴めてはいない。
もちろん、ルカだってここにはいない。
「っ~~~~!!!」
アロイスは空っぽな手の平を見つめ、唇を噛む。
夢を見るのは久々だ。
元々夢は見る方じゃなかったし、それに。
あのエロじじぃと共にいる間は、あまり眠ることがなかった。
「~~~~」
その時のことを思い出したアロイスは、背中に冷たいものが走る感覚がした。
別にあのエロじじぃに酷い扱いを受けたからって、傷ついたことはない。
子供の頃から糞にまみれた連中の相手をするのは慣れている。
けれど。
自分の心の中に、大きな扉があることを知っている。
鍵は両親が死んだ頃に捨てた。
だからこの扉の向こうに何があるのか分からない。
しかし、だからと言って扉の向こうに興味はない。
心のどこか無感情の部分が、開けてはいけないと、叫んでいるから。
「ルカ」
小さな声で弟の名前を呼ぶ。
瞼を閉じなくとも見えてくる、最愛の弟の姿。
いつだって俺に慕い、笑顔が可愛い弟だった。
「ルカ」
『おにぃ』
ベッドの傍らにルカの姿。
アロイスは無意識に唾を飲む。
分かってる。これは俺の都合のいい幻覚だ。
幸せな幻。
しかしアロイスは幻のルカに向かって手を伸ばす。
『おにぃの凄いお願いは凄い叶うんだよ』
「ルカ、俺の側から離れちゃダメだ」
声が、震える。
それでも言う。
それでも言うんだ。
「ル…カ」
触れられない頭を撫でる。
感触もない、何もない幻想を。
それでも俺の心はどこか温まる。
するとルカは嬉しそうな顔をして、
『イエス・ユアハイネス』
とある悪魔と同じ台詞を吐いた。
「あぁぁあアァアあアアっ!!!」
その台詞に、なぜか痛みが貫いた。
まるで胸に槍が刺されたかのよう。
「アアアァァああぁぁぁァアア!!!」
アロイスはベッドの上で転げ回る。
痛い、痛い、痛いっ!!!
苦しい苦しい苦しい!!!
ルカルカルカルカっ!!!
「クロードぉぉぉぉ!!!!!!」
涙を流し、胸を押さえながら執事の名前を呼ぶ。
するとまるで扉の向こうにいたかのような速さで扉が開かれる。
扉の向こうには、名前を呼んだ執事の姿。
黒い黒い色をした悪魔。
ルカと同じ台詞を吐く、悪魔。
名前を呼んだのは自分にも関わらず、アロイスは枕をクロードに投げつける。
クロードは避けることもせずに、それを体で受け止め、小さく息を吐く。
そして枕を地面に落としたまま、アロイスの方ではなく窓の方へと歩んでいく。
音を立ててカーテンを引くと、綺麗な月が顔を覗かせた。
先ほどまで真っ暗だった部屋が、月明かりで明るくなる。
「こういう夜には、嫌な夢も見るでしょう」
クロードはアロイスの方に顔を向けずに言う。
アロイスは額に伝う汗を拭い、乱れた息を整えようと努める、が上手くはいかない。
「クロ…ド。胸、が…痛…い」
「・・・・」
「ルカが・・・ここに、いて」
「旦那様の弟様は、もうここにはいらっしゃいません」
「っ!!!」
バッサリと切り捨てるクロード。
振り向いた顔は、月灯りの逆光となり表情は伺えない。
けれどきっといつものように無表情だろう。
どんなに冷たいものでも真実を突きつける。それがクロード。
「っ・・・ははっ・・・はははは!」
そうだ。
コイツに助けを求めたって、何もくれやしない。
ただコイツは餓えているだけ。
飽くまで貪りたいだけ。
誰だってそうだ。
だれだって。
どんなときだって。
いつだって。
「もう、いいよ」
出てけよ。
アロイスは扉に向かって指を指す。
しかしクロードは動かない。
「出てけって!お前なんかに、もう用はないんだよ!」
「旦那様・・・」
「悪魔は皆、全滅しろよ・・・。気持ち悪い奴らばっかりで腹が立つ」
「・・・」
「みんな、みんな!全滅しちまえよっ!!」
「私は、旦那様に腹が立ちますが」
クロードはいつもより強い口調で言う。
「なに?」
アロイスは目を細める。
いつも何をやったって文句1つ言わないクロードが、今なんて?
窓の方に行くときは足音1つ立てなかった悪魔が、今度は一歩一歩足音を立てて近づいてくる。
ゆっくりと。まるで苛立ちをこちらに伝えるかのように。威圧感を含めて。
「旦那様…」
両手で頬を包み込まれる。
いつもと同じ仕草なのに、なぜかドキリとしてしまう。
「何だよ、クロード」
「いつまで貴方はあそこにいらっしゃるのですか」
「はぁ?」
アロイスは頬を包み込むクロードの両手首を掴み、引き剥がそうとする。
けれど、ピクリとも動かない。
「クロード?」
「貴方は、今ここにいるのですよ」
腐った村なんかではなく・・・。
じっとこちらを見つめる瞳。
それは、俺の人生の中で初めて見る瞳。
俺だけを、求める瞳。
ギリっと歯軋りをする。
「離せよ、クロード」
小さな声で言う。
「旦那様・・・」
クロードは目を細める。
俺だけを求める瞳。
それは嬉しくて、嬉しくて。
甘えたくなる。縋りたくなる。
けれど、それは。
「その瞳は、俺を見てるわけじゃないだろ?」
お前はただ、俺の魂を喰らいたいだけ。
分かってる。
ちゃんと分かってるから。
全部、分かってるから。
「心外ですね」
声と共に、頬から手が離れ背中に回される。
今度は頬だけではなく、身体全体が包み込まれる。
アロイスは抵抗するより先に、素直に『あたたかい』と心が震えた。
「もちろん旦那様の魂も見ていますが、決して魂だけではございません」
旦那様のことだって、見ています。
クロードは力強くアロイスを抱きしめる。
まるでいつの日にか、ルカが抱きしめてくれた時のように。
「私は貴方だけを見ていますよ」
「クロード・・・」
痛んだ胸に、優しいお湯が流れてくる感覚。
すごく、変な感覚だ・・・。
アロイスは力を抜いて、クロードの胸に寄りかかる。
「だから、貴方も私だけを見ていただきたい」
「え?」
どういうこと?
頭だけをクロードの顔の方に向けて、疑問符を浮かべる。
するとクロードは目線だけこちらに向けて、苦笑する。
「旦那様は、いつも弟様のことを想っていらっしゃる」
「あ、当たり前だろ」
「今日の夜も、私よりも先に弟様の名前を呼ばれておりました」
「・・・クロード、お前」
腕に力を込めると、先ほどとは違い、あっさりとクロードの腕から体が離れた。
そして顔を真正面から表情を伺うと、いつもと同じ無表情。
けれど。
どこか拗ねているように見えるのは、気のせい?
そっと手を伸ばして、いつもとは逆にアロイスがクロードの頬を包み込む。
すると、表情は動いていないのに、どこか嬉しそうに、アロイスの手に自分の手を重ねてくる。
「俺、ちゃんとクロードのことも見てるよ?」
「分かっております」
静かに答えるクロード。
そしてそのまま、ゆっくりと目を閉じる。
「お願いがあります、旦那様」
「ぇっ?なに?」
クロードからお願いだなんて、初めて言われた・・・。
一体何のお願いをされるのか、検討もつかない。
そのまま黙って待っていると、クロードは今度はゆっくりと目を開けて、悪魔の紅い瞳を露わにする。
じっとこちらを見つめて。
まるで、吸い込まれそうなほどの紅。
「もし悪い夢をご覧になられたときは」
一旦言葉を切り、アロイスを再び抱きしめる。
そして。
「弟様の名前ではなく、私の名前をすぐにお呼びください」
耳元でそっと囁いた。
その言葉にアロイスは目を見開く。
まさかクロードが、こんなことを言うなんて・・・。
そしたら『私は、旦那様に腹が立ちますが』という言葉は、もしかして。
「ルカに、嫉妬してたの?」
聞くと、クロードは無言のまま腕の力を強くしてくる。
「ぷっ」
アロイスは、そんなクロードの様子に噴出してしまう。
全く。
分かりにくいようで、分かりやすい奴だなぁクロードは。
「クロード」
「はい」
「ずっと俺の側にいてよ」
「もちろんです。私だけの旦那様・・・」
その答えにアロイスはクロードの腕の中で、そっと微笑んだ。
END
****
あとがき
アロイスを幸せにしたいよ、第二弾!!
前回と違い、クロアロにしました。
クロードの腕の中で微笑むアロイスを・・・というコメントを頂いたので、書かせてもらいましたが・・・
やはりクロアロを書くのは大変で、時間が掛かってしまいましたorz
これは『solitary』や『coll me』と同じもので、しかし今回のクロアロverでは、名前を呼んだ・・・という形になっています
『solitary』のシエルは、セバスの名前を呼ばなかったからね^^;
こんな稚拙な文ですが、少しでも皆様の心が暖かくなりますように。

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