人間誰しも一度は人肌が恋しくなるときがあるだろう。
どんなに人間を憎いと思っていても、寂しさを感じないというわけではない。
それはこのシエル・ファントムハイヴも例外ではないのだ。
シエルは執務室でコツン、コツン、と万年筆で机を叩き、頬杖を付いている。
その机にはすでに整理された書類が鎮座しており、どうやら今日やらねばならない仕事は全て終わったらしい。
けれど彼の顔は浮かばず、不機嫌そのものだ。
ここで周りの人が見たらそのまま“相手は不機嫌なのだ”と受け止めるだろう。
だが彼は決して不機嫌なわけではない。
(・・・・)
ただ、ほんの少し人肌が恋しくなってしまっただけ。
プライドが高い彼はそれが顔に出すことも出来ず、ただしかめっ面になってしまっているのだ。
しかしとある執事が見たのならば、それをすぐに見抜き、寂しがっている彼を抱きしめるだろう。
だが今彼はいない。
きっと屋敷のどこかで執事としての仕事をまっとうしているに違いない。
関係としては主人と使用人。そして恋人同士なのだから遠慮なく名前を呼べばいいものの、やはりプライドの高い彼が名前を呼べるわけがなかった。
シエルはちらりと時計を見て時間を確認する。
スイーツの時間にはまだならない、ということはセバスチャンがこの部屋に来ることはないということだ。
必要な書類は先ほど持ってきてもらったし、この書類もスイーツを持ってきた時に渡せば事足りる。
(あぁ・・・駄目だ)
どうにかして彼を部屋に呼べないだろうかと考えるも、全て自分の考えによってその案は潰されていく。
かと言って廊下に出て、たまたま出会ったのを装うわけにもいかないだろう。
きっと彼のことだ、演技だということに気が付いてしまう。
(・・・馬鹿セバス)
相手が悪いわけではないのにシエルは心の中で罵倒する。
こうでもしなければ、なんとなくやっていけない。
きっと今の自分を見たら、彼はすぐに抱きしめてくれるだろう。
優しく頭を撫でて「仕方ない人ですね」と口では言うものの、その顔は酷く緩んでいる。
それに此方が「煩い」と返したらクスリと笑って、キスを促すように親指で口元を撫で、情に濡れた瞳で見つめて。
「~~~~~ッ」
そこまで考えたシエルは万年筆の動きを止め、机に突っ伏する。
まるで本当にセバスチャンが自分にそれをしているような感覚に頬が熱くなってくる。
たかが考えでどうしてそこまで・・・と思うが、先ほどのシエルの考えは正確にいうと“考え”ではない。
今までの経験、身体に刻まれた感触がリアルに“思い出されている”のだ。
それに気が付いたシエルは一人でいるにも関わらず恥ずかしくなって両手で顔を覆った。
――――駄目ですよ、坊ちゃん。顔見せて
違う!
――――可愛らしい・・・恥ずかしいのですか?
こんな、やめろ!
次々と浮かんでくるセバスチャンの顔や体温、感触に眩暈がしてくる。
それなのに現実には独りぼっちという切なさも変に気持ちを揺るがせて。
セバスチャンセバスチャンセバスチャン!!
「・・・・ばす、ちゃん」
震えてしまう身体を抱きしめながら、ついに小さく名前が零れ落ちた。
「坊ちゃん、失礼します」
end

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