「・・・・」
「・・・・」
「・・・もういい加減にしたらどうだ」
ついにシエルは怒りを抑えた声音で言葉を発した。
向けられた先は黒い執事の悪魔。
しかし今悪魔は目の前にいるのではなくシエルの後ろ、シエルの胸板へ腕を回し、背中に頬を押し付けている状態でいるのだ。
そのシエルはといえば執務室の椅子の上、に座っているセバスチャンの膝の上、だ。
若干視線が高くなり、机からも遠くなってしまうが腕を伸ばせば書類の処理には不自由ない。
不自由はないが、気にするなというのは無理な話しだろう。
「・・・・」
しかしセバスチャンはシエルの言葉に何の反応も返すことなく、むしろ背中にグリグリと頭を擦り付けてくる。
いつもより甘えたなソレは子供がしたら可愛いものかもしれないが、相手は大の男だ。しかも悪魔というオプション付きで。
可愛くもなんともない。
「そんなに拗ねることか」
「・・・坊ちゃんには分かりませんよ、私の気持ちなんて」
「・・・・・・・・・いい悪魔が拗ねたって可愛くもなんともないぞ」
「酷いですよ坊ちゃん!」
わぁ!と叫ぶセバスチャンに、シエルは可愛くしているつもりだったのかと大きくため息をついた。
セバスチャンがこのような行動に出た原因は、今から数時間前。
この屋敷にリジーが来ていたことが発端だ。
『ねぇシエル、この服新しく買った服なのよ~!レースがいっぱい付いていて可愛いでしょう!』
『あぁ、可愛いな。その色合いもお前によく似合っている』
『ほんとー!!嬉しいシエル、ありがとう!』
リジーは出掛けるついでに新しく買った服をシエルに見せに来たのだ。
そこまでして見せたかったということは随分と気に入った服だったのだろう。
だからシエルは素直にリジーを褒めれば、彼女は嬉しそうにいつものように抱きついてきた。
『ありがとうって、その服は僕があげたものじゃないだろう』
『だってだって、シエル、可愛いって言ってくれたでしょう?勿論可愛いものは好きだけど、その可愛いものを着て私を可愛いって言って欲しいっていう思いもあるから』
だから、ありがとうなの。
だんだん語尾が小さくなりつつも本当に嬉しそうに言うリジーにシエルは頬を緩ませ、そうか、と頭を撫でてやる。
この幼馴染の素直さは、心を和らげるものがある。特に自分が生きている世界なら尚更だろう。
『今度またニナに頼んで新しい服を買ってやる』
『え!あの、私そんなつもりじゃなくてっ』
『いい。ただ僕があげたいだけだ』
『シエル・・・』
『あの、坊ちゃん・・・?』
幼馴染特有の柔らかい空気感の間に、どす黒い声が混ざってくる。
それは言わずもがな、主の傍を離れることはない執事の声だ。
『どうした、セバスチャン』
『そろそろお仕事に戻られた方がよいのでは?』
『別にまだいいだろう。急ぎの件があるわけじゃないし』
『そういえば、セバスチャンはその燕尾服以外に服を着たりしないのかしら?』
ふいにリジーがキョトンとした様子で疑問を口にする。
それにセバスチャンは、私、ですか?と驚いたような表情をし、何かを込めた瞳をシエルの方に向けた。
しかしシエルはそんな瞳の意図を読み取ろうともせず、軽く言い放つ。
『コイツに燕尾服以外必要ないだろう』
『ぼ、ちゃん・・・』
『えー!だって私用で出掛ける時とか困るじゃない』
『コイツが私用で出掛けることなんて殆どないから問題ない』
それに、何かあってもコイツは自分で用意出来るからな。
今までの事件解決での姿を思い出しながら言う。
家庭教師姿や白衣姿・・・一体いつどのように用意しているのか分からないが、此方が何かせずとも自力でどうにかするのだ。
だから自分が新しい服を買い与える必要などどこにもない。
『ちょっとそれは・・・冷たいと思うわシエル』
『エリザベス様・・・』
『おい、何救いの女神でも見るような瞳で見つめているんだ。別に僕が服を用意する必要がないことはお前が一番よく知っていることだろう』
『ですが、私も主に頂いた服を着て褒められたいという、ごく一般的な思考は持っております』
『セバスチャンだって同じよね』
『・・・・・・たとえ貴様が違う服を着ようが褒める気など一切ない』
『なぜですかッ!!』
『えっと・・・シエル?セバスチャン?』
それから二人は妙な言い合いを始め、しばらくそれをリジーは見ていたのだが。
出掛けるついででここに寄ったので長くもいられず、途中で馬車に乗ってこの屋敷を後にした。
リジーを見送ったシエルとセバスチャン。
その後セバスチャンはムスっとした表情のまま口を利かず、それどころかシエルが仕事しようと執務室の椅子に座れば、目にも映らぬ速さで先にセバスチャンが座ってしまうという・・・。
そして冒頭へと繋がる。
「・・・お前、そんなに服が欲しいのか」
わぁわぁと騒ぎ立てる悪魔に眉を顰めながら聞けば、相手はそういうことじゃないと唸った。
「言ったでしょう?私も主に頂いた服を着て褒められたいという思考は持っていると」
「褒められたいのか」
「褒められたい、というのは少し違いますかね。ただ・・・」
セバスチャンはシエルの背中に頬をペタリとくっつけた状態でボソボソと言う。
「恋人に似合っているとか、格好いいとか、素敵だとか・・・言われたいじゃないですか」
別の女性に言っている姿を見たら、尚更ですよ。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
「そういうもんか?」
「そういうものです」
あまりそういう気持ちが分からなくて首を傾げながら聞けば、しっかりと頷かれた。
それにシエルはそういうものなのか・・・と唇を尖らせて。
「別に今更そんなことを言う必要ないだろう。お前が格好いいのは燕尾服でも変わらないし、褒めろだなんて言われたら全部言うのに、きっと夕方ぐらいまで掛かってしまうぞ」
素直にそう口にした。
本当にただ単純にそう思ったのだ。
全て今更だと。
「・・・そ、うです、か」
しかしセバスチャンはそうでは無かったようで、頬をくっつけた状態のまま巻きつく腕の力を強くした。
それにまだ何か不満なのかと首だけで振り返ってみれば、耳まで真っ赤に染めた恋人の姿が瞳に映り、そこでやっと自分がどれほど恥ずかしいことを言ったのか理解した。
しかし全て本音だ。今更撤回しても、それが本音だとバレてしまっているのだから意味がないだろう。
「まぁ・・・そういうことだ」
シエルもセバスチャンと同じくらい顔を真っ赤に染めて言うと。
「はい・・・ありがとうございます」
まるで蚊が鳴くような声で返事が返って来たのだった。
それからしばらく二人はそこから動けなかっただとか。
end

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