「お疲れ様でした」
そう声を掛けながら上着を着せれば、相手からは不機嫌な声が返ってくる。
それもそうだろう。先ほどまで大嫌いな夜会に参加していたのだから、機嫌がいいわけが無い。
その不機嫌さに満足しながらセバスチャンは口元を吊り上げた。
「随分と盛り上がっていましたね」
「・・・本当にそう思っているのか?」
「坊ちゃんの周りが、という意味でです」
そう言えば、相手はより嫌そうに顔を顰めた。
きっとこの子供は自分にどれほどの魅力があるのか理解していないのだろう。
その白い肌に、赤い唇、それに美しい蒼色をした輝きを放つ瞳。
どれも人間を、いや、悪魔までも惑わすものを秘めている。
その漆黒の艶を宿す子供が他の人間に手を出されないか、いつも厳しく見張っているということにも気が付いていないに違いない。
「他にも沢山の方が坊ちゃんと話したがっておりましたよ」
「もう勘弁しろ。必要な奴への挨拶は回っただろう」
「挨拶ではなく、もっと深くお話したいのですよ」
まぁ、それは私が許しませんけど。
サラリと本音を言ってみせれば、相手は一瞬だけ馬車を置いてある方へ向う足を止めるも、すぐに再び歩み出す。
しかしその表情はどこか居心地が悪そうだ。
(分かりやすい方ですね)
セバスチャンは内心でクスリと笑う。
夜会で他の人間を相手にする時は、もっと大人のような余裕のある笑みを浮かべて見せるのに、自分の前になるとそれが出来ない。隠しきれていないのだ。
それは己に隙を作っている、気を許している証拠。
そのことにゾクゾクと抑えきれない歓喜や興奮が全身に広がり、たまらなくなってくる。
「とにかく夜会はこれで終わりだ。もう今日は仕事をしないで寝る」
「おや、私とは話しをしてくださらないのですか?」
「どうしてお前と話しをしなくちゃいけない。それに今だって別に話しているだろう」
「そういうことじゃないと分かっているくせに」
「・・・なに?」
どういうことだと眉を顰めるシエルを、セバスチャンは緩い力で手首を取り引く。
そしてそのまま木の幹に押し付け、
「坊ちゃん、私と深い話しをしませんか?」
そう囁いた。
その瞬間シエルは怯えたような色を瞳に宿し、しかしすぐにそれは己で気が付かぬ振りをしたかのように奥へと姿を潜める。
(ほら、やっぱりわかっているんじゃないですか)
セバスチャンは逃げ道を塞ぐように片手でシエルの手首を取り、もう片方は幹に置いた。
しかし相手は怯えたような色を瞳に宿したにも関わらず、先ほどと変わらない声音で「・・・断る」と言い放つ。
負けず嫌いな主人らしい言葉にセバスチャンは大げさに肩を下げ、芝居がかったようにワザとため息をついた。
「たまにはご褒美をくれてもいいでしょう」
「なぜ使用人に褒美をやらなきゃならん。僕に従うのは義務だろう」
「厳しいご主人様です」
「褒美が欲しいなら他をあたれ」
可愛くない言葉を吐きながらフイと顔を背けてしまう。
不機嫌な表情を作っているが此方には困っているような表情にしか見ず、むしろ煽っているかのようにも思えた。
(それじゃぁ駄目ですよ、坊ちゃん)
セバスチャンは自然な動きでシエルの顎を掬い取り、此方を向けさせる。
そしてまるで口付けでもしようかというように顔をどんどん近づけていけば、相手の頬は赤く染め上がっていった。
「ちょ・・・近いだろう、離れろ」
「坊ちゃんはいつもそうやって逃げますよね」
セバスチャンは小さな声で囁くように耳元で息を吐く。
時折耳朶に唇が当たるのがくすぐったいのか、シエルは逃げるように身を捩るが開放する気はない。
「さっきも言ったでしょう、そういうことじゃないと」
「や、離れろセバスチャンっ」
焦った声が耳に届き、酷く心地いい。
きっと今シエルの頭の中は自分のことでいっぱいだろう。
他のことなんて入る隙間がないくらい。
ましてや復讐相手のことを忘れてしまうくらい。
「本当は全部分かっているくせに」
それでもまだ足りない。
もっともっと私のことを見て。
私のことで頭をいっぱいにして。
「さっきから何を言っているんだ!」
「言っていいのですか?」
その言葉にシエルはビクリと身体を震わせる。
瞳には再び身を潜めた筈の怯えが顔を出し、セバスチャンの口から言葉を発せられるのを嫌がっていた。
そしてシエルは逃げるように瞳を閉じて無理やり俯いてしまう。
「坊ちゃん・・・」
顔を上げるように甘く名前を呼ぶが、シエルは「・・・いやだ」と首を横に振る。
抑えている手首は細かく震え、まるで此方を拒絶するかのようだ。
「離してくれ・・・」
懇願する小さな声が耳に届きセバスチャンは若干不機嫌そうに瞳を細めるが、結局掴んでいた手首と顎をそっと離し開放する。
このまま拒絶されるのは正直気分が良くない。
無理やり手中に収めるという手も悪くは無いが、その前にはやはり・・・。
開放されたシエルは一歩下がり俯いたまま距離を取り、逃げていく。
その一歩は酷く重く、踏まれた草がカサリと音を立て静寂を汚した。
それを聞きながらセバスチャンはその音よりもよりドロリとした声で囁き掛ける。
「今日はこれで勘弁してあげますよ」
でも。
「いつまでも逃げられるわけじゃありませんからね、坊ちゃん」
いつまでも逃がしておく気はない。
この人間は自分のものだ。必ずこの両手で抱きしめ、全てを手に入れる。
その魂も、その身体も、その心も。
するとシエルは自身の服を握り締めながら、コクンと1つ頷いた。
それはいずれはセバスチャンに捕まるという予告。
「いい子ですね・・・」
それを見たセバスチャンは柔らかく微笑みながら頭を撫でた。
その手は頭から頬へ、そして首筋まで辿っていく。
シエルはビクリと身体を奮わせるが、先ほどのように逃げることはしない。
しかし代わりに「今日は勘弁するんだろう?」と此方を睨みつけてくる。
「今日勘弁するのは言葉を口にしないということだけです」
「なッ・・・!貴様、僕を騙したなッ」
「騙しただなんて。坊ちゃんが勝手に勘違いしただけでしょう?」
首筋に気をとられているシエルに、セバスチャンは逆の手で腰を撫でれば相手は面白いくらい身体を反応させ、自分から再び木の幹に身体を寄せた。
「やめろ、触るな」
「別にちょっと触っただけでしょう。随分と敏感なのですね」
「~~~~ッ!煩いッ!」
顔を真っ赤にさせながら睨んでくるシエルに、セバスチャンは舌なめずりをしながら一歩踏み込んだ。
先ほどシエルは逃げるように一歩下がったので、押さえつけていた時の裏側の幹に二人は位置しており、より木々の陰がある状態となった。
すなわちそれは、より深い闇が広がったということで。
「先ほどいつまでも逃げられないという言葉に頷かれておりましたが、いつ捕まってくださる予定ですか?」
セバスチャンは人間の目が利かないその暗闇の中でシエルの首筋に顔を埋め、舌で舐めあげる。
痕をつけないのは優しさだと思って欲しいところだ。
けれど相手はそう思ってはいないようで、嫌がるようにセバスチャンの髪を強い力で掴んだ。
「や、めろッ!」
「質問に答えてください」
首筋を舐めながら、腰に触れていた手をむき出しの太腿へと這わせれば小さな悩ましい声が上がり始める。
再び身体が細かく震え始めるが、先ほどとは違う意味の震えだとセバスチャンはしっかりと理解していた。
「私の質問に答えたら開放してあげますよ」
「そ・・・んな、ッ・・・だって、こんなっ・・・」
「こんなふうに触られていたら話せない?」
「ッぁ・・・!!」
カリ、と耳朶を甘噛みすれば掴んでいた髪を解き、代わりに刺激に耐えるようセバスチャンの首に腕を回した。
ぎゅっといつもよりも力強いそれにセバスチャンは笑みを零し、大丈夫ですよ、と耳元に声を吹き込む。
「そんなに怖がらないでください、坊ちゃん」
「じゃ、じゃぁ・・・もう、やめろッ」
涙声でシエルはそう訴えるが、セバスチャンの首に回した腕を離そうとはしない。
きっとシエル自身は身体に走った快楽に驚きセバスチャンに抱きついたのだろうが、これでは「もっと」と強請っているようなものだろう。
あぁ、このまま口付けて愛を囁いてしまいたい。
そして全身を愛して、愛して、愛してやりたい。
快楽を恐れながらも、その快楽に酔いしれ、身を震わせる姿が見たい。
自分の熱に翻弄されて乱れる姿が見たい。
けれど。
その前にはやはり。
貴方の気持ちが欲しい。
「・・・・・・では、もう帰りましょうか」
セバスチャンは慰めるように背中を優しく叩き、抱きついているシエルをそのままに持ち上げる。
そして闇から抜け出し馬車が置いてある方へと足を進めるが、シエルはセバスチャンの肩に顔を埋めたまま何も喋らない。
(少々怖がらせてしまいましたかね)
反省も後悔も一切無いが、これで自分へ向く気持ちが遠ざかってしまったのならば少々厄介だ。
セバスチャンは一定のリズムで子供をあやすように背中を叩きながら、出来るだけゆっくりと歩みを進める。
屋敷に帰るまでに落ち着いてくれるといいのですが・・・などと考えていると。
「セバス、チャン」
小さな声で名前が呼ばれる。
それに、ん?と視線をシエルに向けるが、何でもない、と首を横に振った。
名前を呼んだのにどうしたのだろうかと疑問に思うが、まだシエルの顔は自分の肩に埋めたままなので、表情を窺うことも出来ない。
けれど再びシエルの口からはセバスチャンの名前が。
「どうしました?」
「・・・別に」
「ですが、私の名前を呼んでいるでしょう」
「理由なんて知るか」
完璧に開き直った言葉が放たれ、セバスチャンは暫しの間絶句する。
(理由も分からず名前を呼ぶとは)
ただ、名前が呼びたいから呼んでいるということにはならないのだろうか。
それとも自分が勝手に都合のいい解釈をしてしまっているだけなのだろうか。
まぁ、どちらにしても。
(結局私が貴方を追い詰めたとしても、最終的に追い詰められるのは私の方なんですよね)
腕の中にいる最愛の人間を抱きしめながら、セバスチャンは深くため息をついた。
end
【あとがき】
嫉妬や追い詰めるセバス視点が読んでみたいとのお言葉を頂いたので、
【11.逃げる】別verみたいな感じで書かせて頂きましたv
お声を掛けてくださった方様、ありがとうございました(≧▼≦)/

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