それは小さなお話で。
けれど、どこまでも深く。
少し切ない物語。
― Little Lover ―
「坊ちゃん、お目覚めのお時間ですよ」
執事は部屋に目覚めの朝日を入れる為にカーテンを勢い良く引き、声を掛ける。
今日も天気がいいようで、太陽の光は気前良く室内を明るく照らしてくれるが、起こされた主人は不機嫌にさせるものでしかない。
「・・・眩しい」
「当たり前でしょう、眩しくないと目覚ましになりません」
「僕の目を潰させる気か」
ムスっとした声音にクスリと笑い、仕方なしに自分の主人の元へ足を運べば太陽の光から主人を守る影は簡単に出来上がる。
「これで坊ちゃんの目は守れますか?」
「・・・ふん」
「小さい坊ちゃんの目がこれ以上小さくなっては困りますから」
セバスチャンはシエルの頬に指を伸ばすも、ちょこんと触れただけで離れていく。
それはそうだろう。自分が今シエルの目下を撫でようとすれば、きっと相手は潰れてしまう。
そう。
今のシエルの大きさは、手の平サイズなのだから。
いつから己の主人・・・恋人は手の平サイズの大きさになってしまったのだろうか。
その記憶は酷く曖昧で、新月の夜にしか元の大きさに戻らないということだけが知識として存在していた。
何があって、どうしてこうなったのか。
その原因を探る自分はもうどこにもいなく、あるのは未来のことだけ。
愛する恋人と触れ合える新月の日だけを、待ち望み続けているのだ。
「セバスチャン・・・」
「っと、すみません」
シエルは考えに耽ってしまっていたセバスチャンを見て、手袋の裾を握り締めてくる。
その顔は仕事中にも関わらず意識を飛ばしてしまった執事を叱る顔だが、声と瞳に含まれている不安は隠せていない。
(あぁ、やらかしてしまいましたね)
セバスチャンは苦笑しながら、人差し指でシエルの頭をそぉっと撫でる。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん」
「・・・何がだ」
「小さくとも、私は貴方を愛しています」
「・・・・」
そう愛を囁けば、シエルは唇を噛み締めてしまう。
シエルは自分の身体が小さいことを、新月の夜にしか元の大きさに戻れないことを酷く不安に思っているのだ。
それは将来の不安のことなどではなく、いつか自分はセバスチャンに愛想をつかされてしまうのではないかという不安。
セバスチャンにとってはそんなことあるわけがないと笑える話だが、本人にとってはどう足掻いても拭えない不安らしい。
当たり前のように恋人は毎日触れ合うことが出来る。
その当たり前が自分相手だと一ヶ月に一回しかない。
もちろんその現実はセバスチャンの胸を痛ませるものだ。けれどこうやって毎日シエルの話が出来るだけでも心温まることも確か。
きっとそれはシエルも同じだろうけれど。
「私の言葉が信じられませんか?」
「っ!そういうわけじゃない」
「なら、そんなお顔をなさらないでください」
ほら、坊ちゃん。
セバスチャンが手の平を差し伸べ優しく微笑めば、シエルは少し頬を染めながら頷き、その手の平に身体を乗せる。
そして落ちないようをゆっくりと持ち上げ、自分の頬に近づけると。
「・・・おはよう、セバスチャン」
「おはようございます、坊ちゃん」
シエルは少しだけ首を伸ばして、頬にちゅっとキスをする。
これが、いつもの朝のご挨拶。
長い一日の始まりだ。
****
執務室にて。
「こっちの書類は破棄で・・・こっちは・・・」
シエルは自分の身体よりも倍に大きい紙を慣れた手付きで右へ左へと動かしていく。
持ち上げることは難しいので、引きずりながら机の下に置かれている区分けした箱に落としていくのだ。
どんなに身体が小さくともシエルはファントム社の社長であり、仕事がある。
人前に出なければいけない時は、この屋敷で一番の年配である田中を出し、他の書類の確認、製品案件はシエル自身が行っていた。
勿論、その書類にサインを書くのもシエルである。
その時はセバスチャンに作らせた、この世界で最も軽い筆ペンを使って身体全体で書くのだ。
傍から見たらとても苦労しそうな動作だが、慣れたシエルにとっては普通の大きさの人間が字を書くのと同じくらい楽な作業となっている。
しまいには、そこら辺にいる人間よりも字が綺麗という・・・。
「・・・まぁ、こんなところか」
ひと段落ついたシエルは、机の上に立たせていた身体を座らせ、伸びをする。
どんなに慣れて楽になったとはいっても、決して疲れないわけではない。
下に積まれた確認済み書類を覗き見れば、シエルくらいの身長の山になっているようだ。ここまですれば、普通の人間でも疲れるだろう。
(いや、逆か。普通の人間がしても疲れないことを、僕が疲れてしまうのか)
普通一歩で歩けるところを、シエルは五歩掛けて歩かなければいけないのだから。仕事だって同じこと。
「今更、それが何だって言うんだ」
シエルは自嘲気味に笑い、座った状態のまま窓の外を見上げる。
外は朝と同様、天気のいい空が青く澄み渡っていた。
本当に全て今更だ。
自分の身体が小さくなってしまったのは随分前の話しで、その記憶すら曖昧。
今はこの身体での生活に何の不自由もない。勿論、周りの助けあってのことだが。
けれど。
ふと、青く澄み渡っている空に一点の黒。どうやら鴉が飛んでいるらしい。
それを瞳に映したシエルは無意識に手をソレに伸ばす。
「滑稽だ」
求めるものに手を伸ばす自分は酷く滑稽で、シエルはそのまま口にしてまた笑った。
不自由ない生活?別に不自由があったって構わない。
普通の人間が疲れないで出来ることが、自分にとっては倍に疲れるようなことだって。
ただ、ただ自分は。
―――小さくとも、私は貴方を愛しています
自分はただセバスチャンと当たり前のように愛し合いたいだけ。他は何もいらないというのに。
近くにいるのに遠くに感じる恋人の存在。
それはきっと恋人として当たり前に出来ることが自分には出来ないからだろう。
あの大空に飛んでいる鴉のように遠くて、遠くて。
「本当に、滑稽だ」
結局自分は、新月の夜を待つことしか出来ない。
****
新月の夜の日は心が躍る。
日々数えていた日数がゼロになった瞬間には、もう言葉では現せないくらいの喜び。
勿論小さい姿の恋人も愛しているが、それとは話しが少し変わってくるものだろう。
「寒くありませんか、坊ちゃん」
「あぁ、大丈夫だ」
大きなシーツに身体を包ませ、ベッドに横たわるシエル。
そのシーツの下は肌がむき出しになっている状態だ。
闇が世界を照らすとシエルは元の大きさに戻るので、いつもの小さな服を着ていると少々厄介になってしまうのだ。
だからいつも新月の夜には今のように身体をシーツに包んだ状態で、その瞬間を待っている。
「さて、そろそろ時間ですか」
ベッドの傍らにいながら開けっ放しのカーテンの向こう側を見ると、まるで世界を蓋するように覆っていた雲が少しずつその身体を風に剥がされていく。
そしてその向こうから顔を覗かせるのは。
新月・・・月の無い闇の世界だった。
「・・・ッ」
ドクンと、シエルの身体に何かが走る。
痛みはない、痛みはないが、指の先から足の先まで何かが這いずり回るような感覚はいつになっても慣れず、シエルは自分の肩を抱きしめてそれを耐える。
「坊ちゃんッ」
それをいつも見守ることしか出来ないセバスチャンは名前を呼び、身体に触れないギリギリまで手を伸ばせば。
「あ・・・」
触れない距離だった筈の手に、温かい体温を感じた。
音も無く、少しずつ身体が大きくなっていくシエル。
光を纏いながらとか、身体が浮きながらとかなら、緊張感だけではなくシエルの身体が元に戻る興奮も加わってくるのだろうが、そんなファンタジーなことは起こらず、ただシエルは音も無く身体が元の大きさに戻っていく。
その姿はまさに、新月という闇の世界で、身を隠しながら生まれてくるもののようだ。
「ぼっ、ちゃん」
「っ・・・セバスチャン」
顔を歪ませたシエルの表情がセバスチャンの瞳に映りこむ。
しかしそれはいつものように身体全体を映すことはなく、シエルの表情1つで瞳の中はいっぱい。
すなわちそれは、シエルの全身が大きくなったということで。
「坊ちゃん・・・」
セバスチャンは元の大きさに戻ったシエルをギュッと抱きしめた。
触れたところから相手の温度を感じる。
それだけでなぜか涙が出そうだ。
「セバス、チャン」
名前を呼びながらシエルもセバスチャンの首に腕を回してくる。
いつもは回るどころの話ではないそれも、強く強くセバスチャンの首を絞めてくる。
もっともっと痛いくらい抱きしめて欲しい。
むき出しの背中に手の平を滑らせれば、吸い付くような手触り。
指一本だけではなく、手の平全体で触れられることにも幸せを感じる。
いきなり背中に手を這わされて驚いたのか、それともくすぐったかったのか。
シエルはビクリと反応し、回していた腕を緩めたので、セバスチャンとシエルの間に少しの空間が生まれた。
セバスチャンはシエルを、シエルはセバスチャンを見つめ、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る。
セバスチャンも抱きしめていた腕を解き、手の平でシエルの頬を撫でれば少しだけ相手は頬を染めたのを見て、クスリと笑い。
「やっとキスが出来ますね、坊ちゃん」
「ん・・・」
そのまま唇を寄せた。
一ヶ月ぶりの口付け。
それは酷く甘くて、蕩けそうなほど柔らかい。
「ふ、はぁ・・・ン・・・」
「ん・・・・・・」
優しく舌で唇を割り、口腔へと侵入していく。
余すところなどないよう舌で辿り、久しぶり過ぎるせいか奥で怯えてしまっている舌を怖がらせないように外へ顔を見せるよう、誘い出す。
ゆっくりとだが姿を現した舌を逃がさず、すぐさま絡め取り深く深く口付けた。
そっと瞳を開けて口付ける相手を見れば、息苦しそうに眉を顰めているが開放する気は一切無い。
正直、そんな余裕などないのだ。
どんなに時間が止まってしまったかのような気がしてもそんなわけがない。
一刻一刻と針は進み、時は進む。それは今の時間の終わりを示している。
「は、ッあ・・・ん、セバ・・スチャぁ・・」
「坊ちゃん、坊ちゃんッ・・・」
だから、一秒も無駄になど出来ないのだ。
息を吸う時間だって勿体無い。
セバスチャンはゆっくりと、けれどどこか急ぎ足のような雰囲気でシエルの肌に再び手を這わせる。
この身体に自分を刻み込みたい。刻み込んで、その感触を忘れないようにさせたい。
そして、自分も忘れないよう自分の身体にも刻み込みたい。
いつだってこの時間の自分は必死だ。
それが傍からどう見えてしまうかなんて関係ない。ただ今は。
この恋人を感じていたい。
「シエル・・・」
「セバス、チャン・・・」
身体を手でなぞって、感触を味わって、舌で擽って、跳ねる身体を見つめて、指で柔らかく解して、甘い声を聞いて、その全てを自分のものに。
今しかないのだ。
今この時間しかないのだ。
次はまた遠い一ヵ月後。
今、今しか、今こそ、だから!
「セバスチャンッ!!」
涙声の悲鳴に、セバスチャンはハッと顔を上げる。
シエルの存在に没頭していて、そのシエル自身を見ていなかったことに名前を呼ばれてようやく気が付いた。
(どれだけこの方に溺れているのでしょうか)
自己嫌悪に浸りそうになりながら、シエルの顔を覗き込めば。
「シエ、ル?」
蒼い瞳に沢山の涙を溜めている恋人の顔。
まるで痛みを我慢しているかのようなそれにセバスチャンは一気に熱が冷めたような気がした。
「どうしました、シエルッ」
「も、やめ・・・よう」
「え?」
意味が分からずに聞き返せば、涙を溜めたままシエルは首を横に振る。
「僕じゃ、だめだ」
「何を仰っているのですか」
「ごめん、セバスチャン」
「だから、どういうことですか!?」
ついにセバスチャンは声を荒げ肩を掴んでしまう。
一体どうしたというのだ。
折角元の身体に戻ったというのに、何が気に食わなかったというのだろう。
相手の心境を掴めない苛立ちとタイムリミットが近づいてくる焦りにセバスチャンの心は侵食されていく。
それを見たシエルは先ほどよりも辛そうな表情をし、ポロリと一粒の涙を零した。
「小さい僕じゃ、駄目なんだ」
「え?」
「お前が愛しているのは結局“この僕”だろう?」
シエルは肩を掴んでいるセバスチャンの手首を弱々しく掴んで微笑む。
「どんなに僕が小さくて恋人らしいことが出来ないとしてでもお前は優しかった。愛してくれているのだと思える。けれど結局僕らはこの新月の日を待つことしか出来ない。別に身体の大きさが違うだけで一緒にいることには変わらないのに。傍にいるのに、凄く遠い・・・」
「しかしそれはっ」
「あぁ。恋人同士なのだから元の身体に戻るのが待ち遠しいのも分かる。僕だって同じだ。一ヶ月ぶりに口付けが出来ること、身体を重ね合わせられること、嬉しくないわけがないだろう」
だがな。
「どうしてお前はそんなにも必死に僕を刻みつけようとするんだ?この時間が終わっても僕はお前の傍にいるのに。まるで・・・お前はまるで・・・僕がこの後消えてしまうようなふうに、身体を重ねる・・・」
小さくとも、僕はここにいるのにッ。
シエルは小さな声で叫ぶ。
涙を流しながら微笑んで叫ぶ姿は、全てがバラバラでアンバランスだ。
しかしそれはシエル自身の心を正確に表しているようで、セバスチャンはそれを見つめながら愕然としてしまった。
まさかシエルがそんなことを考えていたなんて。
相手も自分と同じような気持ちを持っているものだと疑わなかった。
いや、同じ気持ちを持っていることは持っている。その気持ちにこんなヒビを入れるようなことをしてしまったのは自分のせいだ。
シエルは自分の身体が小さいことを、新月の夜にしか元の大きさに戻れないことを酷く不安に思っているのは知っていた。それは将来の不安のことなどではなく、いつか自分はセバスチャンに愛想をつかされてしまうのではないかという不安だということも。
しかしそれがまさか新月の日の自分から来てしまっていたなんて。
(馬鹿ですね、私は)
こんなんじゃ毎日不安を抱えていてもおかしくない。
どんなに毎日愛を囁いていたって、それを信じきれるわけがなかったんだ。
自分が求めているのは元の姿のシエルばかりで、小さいシエルには遠巻きにしか見ていなかったのかもしれない。
まるで優しい兄が妹を可愛がるかのように。
けれど自分はそれではない。家族愛なんかではないのだ。
愛している。
誰よりも、何よりも、どんなものよりも。
愛して、愛して、愛している。
小さい姿であっても、それがシエル・ファントムハイヴという存在ならば、
心から愛している。
それは疑わないで。
不安になる必要などない。
だから。
そんなに泣かないでください。
そんなに無理して微笑まないでください。
必死に痛みを隠したりしないで。
「シエル、すみま」
「謝るな」
シエルは首を振る。
酷くゆっくりとした動作は全ての諦めを表していた。
「謝るのは僕の方だろう。ずっとずっと悪かったな、僕が小さいばかりに」
「本当に、そう思っているのですか?」
涙が零れる頬に手を添えて、親指で拭ってやる。
その動作は優しく、けれど放つ声はどこか無機質に。
セバスチャンの言葉にシエルはビクリと肩を震わせ、視線を逸らす。
「だってそうだろう。僕が小さくならなければお前を苦しませることも」
「・・・違うでしょう、シエル。悪いのは貴方なのですか?」
「・・・・・・元凶は僕だ」
「たとえそうだとしても、全てシエルの責任ではないでしょう」
「・・・・」
唇を噛み締め、眉を顰めたシエル。
そこでやっとセバスチャンは微笑み、シエルの手を取って自分の頬に触れさせる。
「言って。包み隠さずに言って下さい。恋人同士なのに、本音も言えない間柄なんて嫌ですよ」
「セバス、チャン」
「ほら、悪いのは貴方だけ?」
「・・・ッ!!」
チュッと額に口付けを落とせば、シエルはようやくセバスチャンのことを睨みつけ、
「お前だって悪いッ!」
やっと大きな声で叫んだ。
「この変態が!いつだって元の大きさに戻ったらコレばかりだ!恋人同士なんだから触れ合いたいのは分かるし、僕だって同じだけれど、そればかりにしか感じないだろうか!小さい僕なんて不必要みたいだ!」
「はい」
「どうして傍にいるのに遠くにお前を感じなきゃいけない!?僕は、僕は、いつだってお前に手を伸ばしているのに、お前がその手を取ろうとしないんだろうがッ。だから僕の手を取ってもらうには新月を待つしかなくて、でもやっと掴んでもらえたと思ったら、お前は必死にその手が逃げないように焦るし!僕はいつだって手を伸ばしていたというのに!お前が掴まなかっただけだッ!」
「すみません・・・」
「愛しているというのならば、小さい僕にもその愛を示せ!口ばかりでなんとかなると思うなよ。触れ合わなくたって、何かしらの方法はある筈だろう。悪魔なんだから、もっと何とかしたらどうだ!」
ボロボロと先ほどよりも大きな粒の涙を零し、セバスチャンを睨みつけながら叫ぶシエル。
きっとずっとずっと思っていたことなのだろう。
心の中に抱えて、不安を・・・痛みを必死に隠して、押さえ込んで。
叫んだせいでハァハァと息が荒くなってしまったシエルをセバスチャンは名前を呼んで頭を撫でれば、此方の頬に触れさせていた手が離れ、そのまま首に巻きつく状態になる。
抱きついてきたシエルにセバスチャンは苦笑し、もう一度名前を呼んで背中を優しく叩いた。
「だかなッ・・・お前が僕の手を掴めないのも分かる。悪魔だからこそ、小さい僕に手を伸ばせられないということも。だからお前だけが悪いわけじゃない。元の元凶は僕だ。でもッ・・・」
あいして。
シエルはセバスチャンの首元に顔を埋めながら小さく呟く。
「愛して、愛せよ、元の僕ぐらいに小さい僕も愛せよッ。恋人同士って言うなら、僕の全てを愛せッ」
顔を見ては言えなかった言葉。
でも一番セバスチャンに伝えたかったであろう言葉。
セバスチャンはシエルの背中を優しく叩いたまま唇を噛み締める。
そして赤く輝いた瞳からポロリと涙が零れ落ちた。
「シエル」
「・・・悪い、セバスチャン」
「なぜ謝るのですか」
「・・・・・・こんな相手を縛るようなこと・・・自分本位すぎるだろう」
「そんなことありません。むしろ嬉しいですよ」
「・・・嬉しい?」
顔を上げることはしないがキョトンとしたような声でシエルは返してくる。
それにセバスチャンは頷いた。
「だってそれくらいシエルは私を求めてくれたということでしょう?嬉しくないわけがないじゃないですか」
「・・・・」
「むしろ謝るのは私の方です。すみませんシエル、ずっとずっと不安にさせてしまって」
セバスチャンは抱きしめていた腕の力を緩め、若干無理やり顔を上げさせる。
向かい合う形になったシエルはバツが悪そうな顔を浮かべ、ぎこちなげに視線を動かした。
「私は貴方を愛しています」
それにセバスチャンは真髄な瞳を向け、しっかりと相手の瞳を見つめる。
零れてしまった涙を拭うことはしない。全てをシエルに見せてやる。
するとシエルも不安そうな表情をしながらセバスチャンと目線を合わせ、濡れた頬に気が付いたのだろう、一瞬驚いたように瞳を見開いた。
悪魔の自分が涙を流すなんて酷く滑稽だろう。
生まれてからこのかた涙なんて流したことがなく、ましてや誰かにその涙を見せたことがなかったので少々気恥ずかしい気もする。
でも、初めて涙を見せたのがこの方で良かったと思う自分がいる。
「元の貴方を求めていたのは否定できません。小さい貴方よりも求めてしまっていたことも。少しでも身体を繋げたくて、刻み付けたくて焦っていたこと。ですが、私は小さい貴方も心から愛しています。小さいも大きいも関係なく、貴方の存在を愛しています」
「っ・・・・・・」
「私も馬鹿ですね。愛を伝える手段は身体を重ねることだけじゃないと分かっていた筈でしたのに。・・・まぁ邪まな気持ちもあることはあるのですが」
「・・・ばか」
「えぇ。馬鹿ですよ。貴方相手だと余裕なんてどこにもなくて、愛しくて、愛しくてたまらないんです」
セバスチャンはシエルの頭をそっと撫でる。
「ずっと気付けなくて、すみません」
そう言った口はすぐに塞がれた。
それがシエルの唇だと分かった瞬間にセバスチャンは相手を押し倒し、その口付けに応える。
すぐに舌と舌が絡まり、深く深く口付け合った。
「ん・・・ふぁ」
求めて求めて止まない相手を求めて、抱きしめ合う。
愛とは酷く難しい。
気持ちだけあればいいものではないし、けれど身体ばかりも求められない。
それでもどちらも欲しくて、馬鹿みたいに必死になってしまう。
その姿は酷く滑稽なのだろう。だが、その滑稽な姿は拒絶できるものではない。
どんなに汚い姿だとしても、求める姿は何よりも愛しい姿だ。
互いに求めて、求めて。
けれどその求めは不安を埋める1つの方法でもあって。
しかしたとえ自分の腕にいたとしてもまだ、足りなくて。
たとえ自分たちが“普通の恋人同士”だったとしても、きっと永遠に物足りない。
それなのに今の自分たちはこの腕で抱きしめられるのは一ヶ月に一度だけ。
それでも構わないと小さい姿に戻った後は思うのだろう。
傍にいてくれればそれでいいと。
実際は本当にそれで構わないのだ。
愛しい人が傍にいてくれる。愛していると言ってくれる。気持ちがそこにあるのだから。
けれどどうしても切ないのだ。
矛盾しているのは分かっている。
気持ちがあると分かっていても身体を求めてしまう。
けれど身体ばかり求められても、気持ちを感じることが出来ないのも嫌だ。
身体を求める=気持ちがあるという証明には決してならないから。
けれど時にはそれこそが証明になることもある。
本当に矛盾だらけだ。
やはり愛とは難しい。
どうしたら相手に自分の気持ちを最大限に伝えられるのかも分からないし、どうやってその愛を最大限に受け止めたらいいのかも分からない。
もしかしたら愛とはバランスの取り方が難しいのかもしれない。
それでも。
今口付けている相手は自分の恋人であり、最愛の人だ。
それだけが真実で、一番大切なこと。
「愛しています、愛していますッ」
「ぼく、も、愛してる」
だから結局は必死になってしまうのだ。
抱き合うことにではなく、気持ちを伝える手段の一つとして、必死になってしまう。
これではシエルが怒る前と何も変わらないんじゃないかと思ってしまうが、そんなことはきっとないだろう。
“愛の形”を見ることが出来たのだから。
明日にはまた恋人は小さい姿となり、また不安な毎日を過ごすのだろう。
それに自分はまた愛を囁き続ける。
そしてまたいつか今日の日のように愛の形を確認し合うのだろう。
きっとこれはどう足掻いても永遠に続けられること。
永遠に相手が物足りないのと同じように。
「シエル・・・」
「セバスチャン・・・」
その永遠は苦しいほど長く、そして泣きたいほど短いのだろう。
でも、それでもいい。
今こうして名前を呼び合っているのだから。
ここに彼がいるのならば、他に何も必要ない。
そして時は過ぎ。
朝陽が昇る。
再び身体が小さくなり、新月の夜が終わりを告げていく。
「坊ちゃん、お目覚めのお時間ですよ」
そしていつものように声を掛け、また始まっていくのだ。
二人の小さなお話が。
けれど、どこまでも深く。
少し切ない物語が。
END
****
いつかのチャット会の時の宿題でした「手の平シエル」です^^
たままはなま様にこの宿題をいただいたので、誕生日プレゼントということで
たままはなま様に捧げさせていただきました!
(こちらの方にUPするのは随分と遅くなってしまいましたが・・・ww)
たままはなま様、お誕生日おめでとうございました^^

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