最後に見たのは、どこか焦ったような表情。
普通最後に見るのは笑顔だろう、と苦笑しつつも、逆に笑顔じゃなくて良かったと思える自分も確かにいて。
きっと笑顔だったら、僕はあの部屋から出られなかっただろうから。
口元に笑みを浮かべ、重たい身体を引きずりながら家とは反対方向の道をゆっくりと歩いていく。
今日は月も星もない空で、真夜中の道を歩く為には冷たい街灯の光を頼りにするしかない。
でもその光が、セバスチャンの瞳の奥に見えた光と似ていると思った自分は一体何なんだろう。
今日僕は、好きな人に抱かれた。
たぶん“同情”という感情で。
けれどその“同情”には優しさだけではなく、
怒り、とか。
狂気、とか。
よく分からない感情も混じっていた。
それでも僕はセバスチャンに抱かれて。
それを最後の思い出にしようとした。
『シエル』
彼は言っていた通り、優しかった。
僕が初めての感覚に怯えれば、優しく頬を撫でたし、微笑んだ。
漏れ出る声を聞かせれば、嬉しそうに笑った。
けれど。
『ほら、駄目ですよ。もっと、ね、もっとッ』
僕が嫌がっても止めることはせず、むしろもっともっとと欲しがった。
恥ずかしいと涙を流したって、許してくれることはなかった。
『セバス、チャ・・・ッ!も、あァ・・・や、やッ・・・んン!』
『シエル・・・顔を隠さないで、そう・・・大丈夫ですから・・・ほら』
『ふ、あ・・・ァ・・・ん・・・』
『そう・・・いい子ですね』
身体に触れてくる手。
全てを暴こうとする舌。
そして・・・。
ズキンとセバスチャンを受け入れた場所が痛み、表情を歪ませて歩みを止める。
やはり今の身体で歩き回るのは無理だったかと思うが、もうセバスチャンのベッドで寝ていられない。
もうセバスチャンの傍にいられないのだ/いたくないのだ。
セバスチャンに抱かれた後、僕はそのまま気を失っていたようで。
目が覚めた時には身体は清められ、よくセバスチャンの家に泊まっていた時に置いていた服を着せられていた。
『目が覚めましたか?』
『セバス、チャン・・・?』
ぼやけた視界をハッキリとさせるために何度も瞬きをし、自分の頬を撫でる手を辿っていけば、ベッドの端に座りながら自分を見つめている瞳とぶつかった。
しかしその瞳には優しさなど欠片もなく、どこか冷たいもので。
『あ・・・』
まるで何かに叩かれたような感覚が全身に広がった。
そして逃げるように飛び起き、気が付けばベッドの脇に置いてあった鞄を手にしていた。
全身がだるく、時折ひどい痛みが襲い掛かるが、それを気にしている余裕などない。
『シエル?もう時間も遅いですから、今日はこのままここに泊まっていった方がいいですよ』
『い、いや・・・大丈夫だ、もう帰る』
『別に家も隣なんですから、大差ないでしょう』
ここで両親が心配するから、という理由が使えたらいいのだが。
生憎、僕の両親はいま外国だし、セバスチャンのご両親は僕が幼い頃すでに他界している。
それでも…。
『・・・・ッ!』
『シエルッ!』
制服はもう一着あるからもういい。
僕は鞄を手にしたまま走り出し、セバスチャンの焦ったような顔を最後に瞳に映して部屋から・・・そして家から出て行った。
家とは反対の方へと。
反対の方向へと走った僕は角を曲がり、そこで一旦息を吐く。
すると予想通り追いかけてきたセバスチャンの声が自分の家の前で小さく聞こえた。
きっと家の扉を叩きながら名前を呼んでいるのだろう。
もしかしたら明日、近所の人に喧嘩したんだろうと笑われるかもしれないというのに。
けれど僕は首を横に振り、再び歩き出したのだった。
「あーあ・・・」
ズキンズキンと痛む身体を抱きしめながら、その場にしゃがみ込む。
頭上には街灯が煌くが、どうやら電球が切れそうらしく、点いたり消えたりと忙しい。
そのせいで目がチカチカするけれど、何だかその“白と黒”の世界が妙に心地よく感じた。
彼の瞳の奥に見えた光をずっと見続けるのも、辛いから。
夜中のせいか道には誰の姿もなく、コンクリート塀を背にしてしゃがみ込む自分を咎める声もない。
自分を呼ぶ声も聞こえない。
まるでこの世界で独りぼっちになったみたいだ。
けれど今の自分にはそれが安心で。
独りぼっちであることが、今の救いだった。
「あーあぁ・・・」
先ほどと同じように、声を上げる。
自分の瞳に涙が溜まっているけれど、それが零れ落ちることは無い。
涙を流してスッキリすることも出来ないだなんて、どんな拷問だろう。
これもフラれた相手に慰めを求めた罰か。
長い長い片思い。
それが今日で全て終わった。
最後に見た顔は笑顔じゃなかったけれど、
好きな相手にたとえ同情でも抱かれたのだからいいだろう。
もうおわり。
ぜんぶぜんぶおわり。
もう何も考えたくなど無かった。
このまま“綺麗な”思い出にしてしまおう。
まるで桜が散る中でお別れをしたかのように、綺麗な思い出にしてしまおう。
相手の同情なんて忘れて。
相手の怒りなんて忘れて。
相手の狂気なんて忘れて。
ほら、よく言うじゃないか。
初恋は実らないって。
ただ、それだけだったんだ。
「さようなら、セバスチャン」
出来るだけ優しい笑みを浮かべてそう言えば。
チカチカと点滅していた電灯が
音も無くそのまま
光を失った。

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