①
「で、ちゃんと恋人同士やってんの?」
「ちゃんとやっている」
シエルはムスッとした表情のままアロイスに視線を向けることなく、スコーンを口に入れた。
サクっと音を立てるそれは軽い甘さがあって美味しいものなのに、今日はどこか苦々しく感じるのはきっと目の前にアロイスがいるからだろう。
「お前まさか、それを確認しに来たのか」
「うん。俺見に来るって言ったじゃん」
忘れたのシエル、と笑いながら同じようにスコーンを口に入れ、紅茶を流し込む。
「…こんな朝早くからか」
「だって昼近くに来ると仕事だって言って取り合ってくれないだろ?」
そう返された言葉にシエルは内心、その通りだな、と頷きつつも、こんなに朝早いのもどうなのかと思う。
いつかの劉のように朝食が目的なのかとも疑ってしまいそうだが、アロイスはクロードの手料理もいたく気に入っているのだから、そんなわけがないだろう。
まぁ、どちらにせよ仕事中に来られるよりはまだマシだ。
「それで、調子はどうなのさ」
「調子?」
「恋人としての調子だよ」
アロイスは手にしていたカップを置き、指を顎の下で組みながら柔らかく細めた瞳でシエルを見やる。
朝食中テーブルに肘を付くな、と怒る事はせず、シエルは小さく、別に、と返した。
「何もない」
「何もないってことないでしょ」
「何もないったら何もないんだ」
「何もないってことはありませんよね」
「…貴様は黙ってろ」
シエルとアロイスの会話の中に突如現れた黒い声。
いや、彼はずっと同じ部屋にいた。ただ“執事として”黙ったまま朝食を用意していたのだ。
アロイスとて一応客人。執事は客人の前で不用意に言葉を放つことはしない。
だが“恋人として”ならば別。
シエルとアロイスの会話がその流れになったので口を挟んだのだろう。
「黙っていろだなんて、恋人に対して冷たいですよ」
「うるさい」
「セバスチャンはちゃんと乗り気なのに、シエルはまだ乗り気じゃないの?ほんっと諦め悪いよねー」
「黙れ!だいたいお前がこんなふざけた罰ゲームを」
「いいえアロイス様、ちゃんと坊ちゃんも恋人として私に接してくださっていますよ」
「セバスチャンッ…!!!」
シエルは黙れとフォークを握った手をテーブルにダンっと強く叩きつけるが、上に乗っている食器がカシャンと音を鳴らしただけで、彼を止めることは出来ず。
セバスチャンはニッコリと笑みを…嫌味すぎる綺麗な笑みを浮かべながら愉しそうに話し続ける。
「初日から坊ちゃんは私と深い話をし「深いって何だ!」
「そして2日目には私を恋人として認め「たわけじゃないだろう!」
「なんと昨日は、く「煩い黙れ殺すぞ貴様ッ!」
何てこと言うんだ、何てことまで言うんだ!
シエルは息を荒くしながらセバスチャンを思い切り睨みつける。
もし自分が言葉を遮っていなければ口付けをしたことまで言うつもりだったなんて。
やはりコイツの頭はいかれているに違いない。
「ふーん…そうなんだ」
しかし焦っているシエルとは逆にアロイスは静かに二人のやり取りを見つめ、頷いた。
「やっぱりセバスチャンはずるいね」
「…は?」
呟かれた言葉にシエルは怪訝な顔をする。
一体どこら辺がずるいというのだろうか。
人間が悪魔の口を止めることが出来ないのに、人間…すなわちシエルの言って欲しくないことを言うから“ずるい”なのだろうか。
「アロイス?何がずるいんだ」
「ずるいよ。セバスチャンはずるい。ねぇ?」
「・・・・」
アロイスはシエルの言葉には答えず、顎の下に指を組んだ状態のまま上目遣いでセバスチャンを見やる。
しかしセバスチャンはそれに何も言わず、黙ったまま。
先ほどの嫌味すぎる笑みを消して、まるで何かの仇かのようにアロイスを睨みつけているのだ。
それはアロイスの言葉に肯定を示しているようなもので…。
「ま、いいよ。俺はシエルと話がしたいから部屋から出てって」
「…私は邪魔だと?」
「うん。だってセバスチャンがいたらシエルは素直に話さないだろう?」
「“今は恋人”の私が離れて、別の人間と二人きりにさせろというのは面白い話ですね」
「……その台詞、もう一度言ってよ」
「おい、アロイス」
急にピリピリした空気になりシエルはやめるよう名前を呼ぶと、アロイスは視線をシエルに向けた。
そして“ごめんね”とでも言うような笑みをし、そしてもう一度セバスチャンに視線を戻して、冷たく口を開く。
「そうだ、シエルを見て言って。さっきの台詞」
「・・・・」
「ほら早く」
「もうやめろアロイスっ」
シエルは先ほどよりも大きな声で言い、二人を見ている間に寄ってしまった眉間のシワを指で解しながらセバスチャンの名前も呼ぶ。
「セバスチャンも変な意地を張ってないで別の仕事をしてこい。別にもうここでやらなければいけない仕事はないだろう。食器を片付けるのも後ででいい」
「・・・・」
「セバスチャン?」
「分かりました」
少しの間を置いてから頭を下げるセバスチャン。
その表情もどこか固いままで。
先ほどのセバスチャンとアロイスの会話で何かそんな不機嫌になるような言葉があっただろうか。
自分とのやり取りは先ほど以上に酷い嫌味の応酬だし、アロイスに邪魔だと言われたとしてもそんなもので傷つくような繊細な心は持っていないだろう。
けれど、どうしたんだ、とは聞けるような雰囲気…いや、どこかで聞いてはいけないと思っている自分がいて、ただセバスチャンの顔を見つめていれば。
「すみません、坊ちゃん」
ぽんぽん、といつものように頭を撫で苦笑した。
しかし飛び出した言葉はそんな表情とは似合わないもの。
「嫉妬させました?」
「…さっさと出て行けッ!!」
****
「いつもあんな調子なワケ?」
セバスチャンが出て行った後、アロイスはため息を付きながら椅子に寄り掛かり、背凭れに腕を置いて呆れたように言った。
「…昨日まではもう少し違った」
シエルも同じようにため息をつきながら紅茶を飲む。
アロイスにセバスチャンとの“恋人ゲーム”を事細かに話すつもりはないけれど、少しだけ口から本音が漏れ出してくる。
それはアロイスが先ほど言ったようにセバスチャンがいなくなったからというのも関係しているだろう。
「どういうこと?」
「あー…恋人同士になったからって、優しい姿を演じられても気持ち悪いと言ったら元のアイツに戻っただけだ」
「じゃぁ一応優しかったんだ」
「上辺だけな」
シエルの言葉にまた、ふうん、と頷くアロイス。
どうもその頷きが意味ありげで、シエルは眉を寄せた。
「何だ、さっきから」
「分かんない?」
「分からないから聞いたんだろうが」
「……あっちも問題だけどこっちも問題なんだよねぇ」
ボソリと言ったアロイスの言葉の意味が分からず首を傾げれば、アロイスは背凭れに腕を置いたままの状態で少しだけ首を伸ばし、あのさぁシエル、と、どこかいじけた様な声で話し出した。
「シエルはこれでいいわけ?」
「これでいいとはどういうことだ」
「もっと簡単に言うとさ、どうして俺の罰ゲームを受けてるの?」
「はぁ?!お前が言い出した張本人なのにその言葉はないだろうッ!!」
こっちはお前の我侭に付き合ってやっているというのに!
バンっとテーブルを叩くがアロイスは顔色を変えることも無く、淡々とした調子で続ける。
「だからさ、それが変なんだってば」
「あ?」
「女王でも無い、取引の相手でもない、追い込む鼠でもない“俺”の言うことを何で聞いてるの?」
「……それはセバスチャンに聞け」
視線を逸らしながらシエルは答える。
元々自分はこの罰ゲームを受ける気などサラサラなかったのだ。
それなのにセバスチャンはプライドが傷ついたなどと言って、この恋人ゲームを始めて…。
そして現在に至る。
正直どうしてと聞かれても困るのだ。
このゲームの始まりは恋人同士という名の“本物”の皮を被った彼に流されただけで、自らこのゲームに参加したわけじゃないのだから。
いや、待て。
それならどうして。
僕は昨日、あんなことを言ったんだ?
「ねぇシエル、ちゃんと考えて」
「…なにを」
「この罰ゲームが成り立っている理由を」
「だからそれは」
「違うよ、シエル」
そうじゃない。
ちゃんと考えて。
「自分の気持ちから逃げちゃ駄目だ」
「アロイス…?」
真っ直ぐな声に視線を戻せば、いつも何かを隠すような笑みは浮かべておらず、声と同じように真っ直ぐな瞳とぶつかり合う。
そこには揶揄などの黒いものはどこにもなく、ただ純粋にどこかシエルを気遣うもので。
「何かあったら俺の屋敷においで」
どうしてアロイスがこんな話をするのか分からない。
まずどうしてこんな罰ゲームを始めたのかも。
それでも。
それでも。
―――何かあったら俺の屋敷においで
なぜか心のどこかでこの言葉がいつか救いになると分かっていたから。
意識とは別のところで、理解していたから。
「…わかった」
シエルは素直に頷いたのだった。

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