主人に牙を向くものは、何者であろうが敵と認識する。
我が主を守るのが執事であり、悪魔としての契約内容。
「坊ちゃん、少々席を外しても宜しいでしょうか」
「あ?どうした」
「ちょっと虫がおりましたので」
「…虫、か」
「駆除してまいります」
しかしそれ以外に。
(私の恋人に手を出すとはいい度胸ですね)
手で触れるだけでも、私は敵だと認識する。
― 私だけを見ていて ―
「お前は少し警戒し過ぎなんじゃないか?」
あるとき執務室で、そんな言葉を投げかけられた。
セバスチャンにとっては主人であり契約者である彼を守るのが絶対的なこと。
警戒“し過ぎる”ということは決してないのだ。
だがきっと主人、否、恋人が言っているのはその類のことではないだろう。
「坊ちゃんは危機感というものがありませんからね」
虫だって気が付かぬうちに刺してくるんですよ?
そう言えば、恋人はため息をついて呆れかえってしまった。
こちらとしては、そんなことを言う恋人の方が理解できない。
私が悪魔であり、嫉妬深い生物であることは百も承知のはず。
「だからと言って、殺すことはないだろう」
「虫の生命力は想像以上に強いものです」
「無駄な殺生はするなと言っているんだ」
「まぁ、虫の出方次第ではないですか?」
本当ならば、その瞳に姿を映すことさえも許したくない。
この恋人は自分のもの。
自分だけのものだ。
出来れば自分の腕に閉じ込めてしまいたいところだが、そんなことを許す彼ではないだろう。
それをするのは契約が終わってから。
完全に魂が自分のものになってからだ。
「貴様、いい加減にしないと命令にするぞ」
恋人は唸り睨みつけてくる。
たかが虫にどうしてそこまで情けを掛けるのか。
苛立ってしまうが、ここでその感情を曝け出したら今夜のスイーツもお預けになってしまうだろう。
「では殺すのではなく、飛ぶ虫ならば翅を。這う虫ならば足を潰すだけと致しましょう」
そう微笑めば恋人は、本当に困った奴だ…と眉間に眉を寄せた。
「私の恋人に手を出した方が悪いのですから、自業自得でしょう」
「僕はお前以外に惹かれたりはしない、ということだけでは気がすまないのか」
「おや、嬉しい言葉を言ってくれますね」
セバスチャンは恋人の手を取って、甲に口付ける。
自分と彼の間にある机が酷く邪魔だった。
だが以前その机を横にずらしたら怒られたので二度も同じ失敗はしない。
「僕の気持ち、そしてこの身体もお前にしか向いていない。いずれ魂もお前のものになるだろう。ならばこの短い時間の間くらい虫の動きを許してやる寛大な仏心はないのか」
「ありませんね」
セバスチャンは即答する。
「貴方は減るものではないからと言って、その唇を誰かに許しますか?」
「・・・」
「そういうことですよ」
「規模が違うだろう」
「同じです。私にとっては、ね」
もう一度その手の甲に口付けて、身体を隠している衣服に手を伸ばす。
恋人は一瞬反射的に逃げようとしたが、それをグッと耐えてセバスチャンの手を受け入れる。
あぁ、賢い恋人ですね。
セバスチャンは赤い瞳で微笑みながらスルリとリボンを引っ張り解いた。
「貴方は私のもの。たとえ短い一時だとしても触れることは許しません」
「…随分と愛されているな」
「えぇ。貴方は悪魔に愛されている人間です」
そのリボンに口付けて見せれば歪んだ顔で、はっ、と哂われる。
「それは皮肉か?」
「いえ?そのように捉えられるとは心外ですね」
細い首を片手で軽く掴み、少し威嚇してみる。
けれど恋人は全く動じない。
それでは…と、その手を下へ降ろし、まだ衣服で隠れている肌に手を進入させてみればピクリと表情が動いた。
命よりも快楽を恐れるとは、なんとも可愛らしい。
セバスチャンは無意識に舌舐めずりをする。
「私が恐いですか?坊ちゃん」
「…恐かったらお前に気持ちは向かないと思うが?」
「では、私の愛は?」
あくまで冷静だった恋人の顔が、一瞬だけ強張った。
素直な方ですね。
セバスチャンはそんな恋人の額に優しく口付ける。
自分の愛を恐がっても構わないとでも言うように。
「宜しいですよ。私の愛を恐れても」
「…別に恐れているわけじゃない」
「おや、そうでしたか」
どこかからかうように笑い、恋人の前髪をかき上げ撫でた。
「私はどちらでも構いませんよ。貴方の気持ちが私に向いているのならば」
「もし別の虫に向いたら?」
「その時は…そうですね」
セバスチャンはその口から牙を覗かせながら恋人の手を取り、再び優しく口付ける。
甘い甘い恋人同士のように。
しかし。
「ッ…!!」
小さく上がる声無き悲鳴。
それと同時にセバスチャンの口の中に、甘美な味が広がる。
きっと恋人の手の甲には、吸血鬼にでも噛み付かれたかのような跡が残っているだろう。
手の甲だったので、結構痛いものであったはずだ。
セバスチャンは慰めるように、その傷に舌を這わした。
「またこちらの方を向くようにさせるまでです」
「何をしてでも、か?」
「えぇ。まぁ、他の虫に向く暇など与えませんけどね」
「ンッ!」
手の甲から唇へと舌を移動させる。
荒々しく口付け、息をつく暇すら与えない。
口内は唾液の甘さの他に魅惑な鉄の味。
恋人の血がセバスチャンの舌に絡みついたままだったからだ。
血が流れている筈の手の甲は、すでに傷は塞がり治っている。
自分でつけた傷を一瞬で治すことが出来るのだから、悪魔とは便利なものだ。
セバスチャンは内心クスリと笑った。
「ん、んん」
恋人は鉄の味が気に食わないのか、背中をバシバシと叩いてくるがセバスチャンは気にせずに唇を合わせ続ける。
離すつもりなんて全く無い。
この唇も、貴方自身も。
たとえ泣いても、叫んでも、離してやることなんて出来ない。
貴方は私のもの。
私だけのもの。
他の虫に気持ちが向いてしまうことなどさせません。
貴方が見つめる相手は私だけでいいのです。
「あ、ふぁ…」
「坊ちゃん…」
貴方は永遠に私のもの。
そして私も永遠に貴方のもの。
貴方には私で十分でしょう?
私以外に求める必要のある存在が他にありますか?
「やッあ、セバスッチャン!」
「気持ちいいですか?」
苦痛も、快楽も、全て私が与えて差し上げます。
どちらも極上なものとして。
苦痛と快楽の区別がつかなくなってしまうほど、甘々しく、そして苦々しく与えましょう。
ねぇ、坊ちゃん。
これほどまでに、貴方を愛している存在は私以外ありませんよ?
「ふ、あ、あッ!」
「坊ちゃん…」
貴方を愛しています。
だから貴方も私を愛してください。
深く、深く。
私の想いを受け止めて、溺れてください。
「シエル…」
私だけの、シエル。
END
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あとがき
独占欲丸出しの悪魔です。
『満天星躑躅』っていう綺麗な漢字で形成されてるのになぁ(苦笑)

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