女王の番犬としての仕事を終え、ようやく一息。
いつもの執務室の椅子に、シエルは深く腰を下ろした。
その傍らで、脱いだコートを片付けながらセバスチャンはニッコリと微笑む。
「お疲れ様でした」
「あぁ」
「この後、紅茶を持ってまいりますね」
労わるような言葉を掛け、こちらを見つめてくる。
その視線がいつもよりも煩い気がしたが、関わるとろくなことがないのでそのまま無視を決めた。
先ほども嫌というほど会話に付き合わされたのだ。この悪魔にも付き合う気力はとうに尽きている。
しかしこちらが無視したからといって、そのまま引き下がる相手ではなかった。
コツリと足音が響いたと思えば。
「楽しかったですか?劉様とお話が出来て」
「ッ・・・」
ギシリと椅子が少しだけ後ろに傾いた感覚。
横を向けば、いつも自分を捕らえようとする腕。
目の前には。
「随分と親しくなされていたではありませんか」
怒りを隠そうともしない悪魔の姿。
セバスチャンは片手にコートを持ったまま机の向こう側へ身を乗り出し、もう片方の手でシエルの椅子に手を置いているのだ。
執事としては考えられない行為。
「・・・退けろ」
「嫌です」
「そんなに怒るようなことか?」
自分に被さるように瞳を赤くする悪魔を睨みつける。
セバスチャンの怒りの原因はどうやら劉と話していたことのようだ。
先ほどまで、女王の番犬として劉から話しを聞いていたのだ。
勿論タダで情報を流してくれる筈も無く、一緒にお茶を飲むという条件を出されて数時間も拘束されていた。
「そんなに怒るようなことかと聞きますか貴方は」
「・・・あぁ、聞くな」
どこか馬鹿にしたような物言いにシエルはカチンときて、隣に置かれている腕を掴み椅子から離させようと力を込める。
どうせ自分の力じゃ離れさせることなど無理だろうと分かっているが、そうしようとしていることを伝えるだけで今は十分だ。
「別に僕がどこで誰と話していようが、それは僕の自由だろう。なぜ貴様に責められなければいけないんだ」
「ちゃんとした言葉で言わなければ分かりませんか」
「・・・いや、聞きたくない」
何を言われるか予想したシエルは眉を寄せて視線を逸らす。
しかしそこで自分の犯した失態にハッと気がつき、慌てて視線を戻せば。
「おや、じゃぁ私がどうして怒っているのかは分かっているのですね」
ニヤリと笑うセバスチャンの赤い瞳とぶつかった。
しまったと思っても、もう遅い。
シエルは逃げるようにもう一度退けろと命令するが、先ほどと同じ答えが返ってくるだけだ。
「ねぇ坊ちゃん。どうして私はこんなに怒っているのでしょうか」
「知るか」
「嘘は関心しませんよ、マイロード」
顔が近づき耳元で、分かっているくせに・・・と囁かれる。
ゾクリと背筋に何かが走り、掴んでいたセバスチャンの腕を離した。
しかし今度は自分が掴んでいた腕とは逆の手で、離した手を掴まれる。
自分のコートが床に落ちた音が酷く大きく感じた。
「離せ」
「全く・・・退けろとか離せとか、私を拒絶する言葉しか言いませんね。劉様とはあんなにも話しが弾んでいたというのに」
「別に弾んでなどいない」
「たとえ本当にそうだとしても・・・」
あんなに離そうと力を込めても椅子から離れなかった腕が簡単に持ち上がり、今度は自分の首元へと伸びてくる。
ビクリと身体を震わせるが、その手はそのままシエルのタイを掴みシュルリと解いてしまった。
それどころかシエルの手を掴んだまま己の口で手袋を脱ぎ捨て、緩くなった首元に触れてくる。
「ねぇ、言って下さい」
「・・・ッ」
「私は劉様に対して“何をしているんですか”?」
温度の低い指がツツツ・・・と下に降り、鎖骨まで辿り着く。
そこで一旦指は止まるが、このままだとその下のボタンの存在が消されるのは間違いないだろう。
どうあがいても逃げることは不可能なシエルは諦めたように舌打ちをし、まるで恨み言でも言うかのような低い声でセバスチャンの欲しがっている言葉を口にした。
「・・・嫉妬、してるんだろ」
「えぇ。そうですよ、坊ちゃん」
やっと紡がれた言葉に、セバスチャンはうっとりとした声音で返す。
くそッ・・・。
そんな声を聞きながらシエルは唇を噛み締めた。
『嫉妬している』
そんな言葉は聞きたくもないし、ましてや言いたくもなかった。
なぜならそれは、セバスチャンが自分のことを好きだということを認めたことになるからだ。
相手が自分のことを好きだと認識していなければ、相手が怒ってる理由は分からず“嫉妬”なんていう単語は思いつかないだろう。
けれど僕は思いついてしまった。
コイツは劉に対して嫉妬していると。
まぁ、会えば好きだ好きだと迫ってくるのだから思いつけても仕方がないだろうが・・・。
それでも、思いついてしまった自分に腹が立つ。
そしてそれをこの悪魔にサラっとバラしてしまったことにも腹が立つ。
けれど一番腹立つのは。最悪なのは。
セバスチャンは嫉妬をしているということを自分の口で言ったことだ。
「やっと認めてくださいましたね。私の気持ちを」
「そういうわけじゃない」
「認めたご褒美に今日のお仕置きはコレだけにしてあげましょう」
「んッ」
顔が近づいてきたかと思えば首元に埋まり、チリリとした痛みが刻み込まれる。
「いいですか坊ちゃん。貴方は私のものなのです」
「やっ・・・貴様!」
そしてそこを今度は優しく舌で撫でられ、また別のところに痛みを感じ、そしてまた優しく撫でられ・・・。
その繰り返しに、頭がぼんやりと霞んでくる。
それに抵抗するように頭を振れば、宥めるように頬に唇が落とされ、まだ駄目です・・・と囁かれた。
「ちゃんと刻み付けておかないと、またどこかにフラフラと遊びに行ってしまいますからね」
「遊びになど・・・どこにも、行ってないだろッ!」
「身体ではなく、心が・・・ですよ」
「はッ。別に元々貴様のところにも心など行っていないから安心しろ」
「本当に減らず口ですね」
「~~~~~ッ」
くちゅり、と水音を響かせながら耳に舌が差し込まれる。
止めろと叫びたくても、口を開けたら妙な声が出そうでシエルは唇を噛み締めた。
しかし鼻から声が漏れ出すのは防げずに頬が熱くなるのを感じるけれど、どうすることも出来ない。
ダイレクトに水音が耳から伝わり、恥ずかしいやら何やらで逃げ出したいのにセバスチャンはまだ離してくれそうも無い。
もういい加減にしろッ、と空いている方の手で肩を掴み爪を立てれば。
「っあ」
耳朶を甘噛みされ、小さな声が漏れてしまった。
「クス・・・可愛らしい声ですね」
しかしやっとそこで開放され、掴まれていた腕も離された。
恥ずかしさよりも疲れの方が前面に出てきたシエルは、ズルズルと椅子の下の方に滑り落ち、息を吐く。
「今度やったらその舌を引っこ抜いてやる・・・」
「おや怖い」
元の姿勢に戻ったセバスチャンは落ちたコートを拾い上げ、その動作が嫉妬の終了を告げた。
「これに懲りたら劉様との仲を見せ付けないでくださいね」
「だから・・・仲良くないと言っているだろう」
「・・・本当に?」
「しつこい」
呆れるように言えば、どこか優しい表情で笑ったセバスチャンの顔が瞳に映り、シエルはフンと視線を別の方向へとずらした。
「それでは今日のお仕置きはここまでです」
「・・・」
「もっとお仕置きを御所網で?」
「ただよくそこまで可笑しな・・・いや、なんでもない」
これ以上何かされたら困る、とシエルは口を閉じれば、セバスチャンはクスリと笑う。
「後ほど紅茶をお持ちしますね」
「あぁ」
「それまでにファントム社の方のお仕事をなさっていてください」
「分かった」
「それでは、失礼します」
先ほどまで主人を襲っていた執事とは思えないほど完璧なお辞儀をし、セバスチャンは部屋から出て行く。
もちろん解いたタイを元には戻さずに。
「・・・本当にどうしようもないな」
唾液でひんやりとする首元と耳を意識しないように務めながら、シエルはゆっくりと瞳を閉じる。
その時、無意識に唇を舐めたことを誰も知らない。
end

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