運動部の声。吹奏楽部の音。お喋りをする女子生徒。
色々な音で溢れる放課後、シエルは一人教室にいた。
空はいつかの日のようにオレンジ色に染まっていて、室内を幻想的に染め上げている。
ほんの少し開けた窓からは気持ちのいい風が入り込み、シエルの前髪を撫でていった。
まるで、迷子の子供を慰めるかのように。
本当は、今日ここにいる理由は何もない。
誰かの告白を受ける為にここにいるのではなく、ましてやミカエリス先生に呼ばれたわけでもなく。
ただシエルは何となくの理由で放課後の教室に残っていた。
いや、なんとなくではない。
ちゃんとした理由があってここにいる。
その理由は凄く馬鹿みたいなもので、自分でも認めたくない理由だけれど。
今日、担任の先生が学会で休みだという話しを朝に聞いた。
ホームルームをした臨時の先生がそう言ったのだから嘘ではないだろう。
その通り、学校でミカエリス先生の姿を見かけることは一度もなかった。
いつも付きまとってくる邪魔な教師だ。いなくて清々する。
そんなことを思って今日一日学校生活を送ったのだが。
「・・・可笑しな話だ」
心のどこかにポッカリと穴が開いていることに、シエルは気が付いていた。
どうやら自分は、ミカエリス先生に今日一日会っていないことを良く思っていないらしい。
正直こんな感情を持つのは初めてで、それが世間で言う“寂しい”という感情なのかハッキリとは分からないけれど、きっとそうなのだろう。
僕はミカエリス先生に会えなくて寂しいと思っている。
(本当に可笑しな話だ)
シエルは窓の外を眺めながら、自嘲気味に笑う。
自分に寂しいなんて感情が生まれるだなんて、思ってもみなかった。
いや、まず誰かが自分に突っ掛かってくることがあるなんて思ってもみなかった。
自分にとってあのセバスチャン・ミカエリスという教師は異質だ。
きっとこれ以上近寄ってはいけない。
今まで誰にも踏み込ませなかった領域に、彼は絶対に踏み込んでくる。
そう心は警鐘を鳴らすのに、自分は今、教室にいたら彼に会えるんじゃないかと思っている。
だからシエルはこの教室に残っているのだ。
それでも、待てる時間は永遠ではない。
夕焼けが闇に喰われ始めた頃、シエルは口元に弧を描きながら窓を閉める。
会えないことは初めから分かっていた。
でも、待ちたいと思ったのだから、これでよかった。
窓を閉めて、透明なガラスを意味もなくコンコンと二度叩く。
きっと明日彼に会っても自分は何も言わないのだろう。今日待っていたことも。そして、寂しいと思ったことも。
またいつものように悪態をついて、彼から逃げる。
けれど。
明日、本当にいつも通りに接することが出来るのだろうか。
会えて嬉しい気持ちを隠すことは出来るのだろうか。
きっと今の気持ちを吐露したら、彼は喜んでくれるのかもしれない。
けれど、もしかしたらそれは教師としてなだけで、本心は迷惑がるかもしれない。
(あぁ・・・だからアイツとは関わりたくなかったんだ)
こんなにも自分は弱虫なのだと、改めて見せ付けられる。
本心を曝け出されてしまう。
彼の存在によって。
でも、その本心を彼に見せるほど心を許したわけではないから。
そんな勇気はないから。
「・・・まだ、秘密だ」
誰に言うわけでもなく呟き、もう一度窓をコンと叩いた。
上を向いたまましっかりと止められていない蛇口の水。
ポタポタと垂れる水音は、静かな廊下にも関わらず。
誰に聞かれることなく流れていった。
end

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