女王の番犬としての仕事を終え、ようやく一息。
いつもの執務室の椅子に、シエルは深く腰を下ろした。
その傍らで、脱いだコートを片付けながらセバスチャンはニッコリと微笑む。
「お疲れ様でした」
「あぁ」
「この後、紅茶を持ってまいりますね」
労わるような言葉を掛け、シエルを見つめる。
するとその視線の意図に気が付いたのか、シエルはこちらをチラリと見ると息を吐きながら深く座った腰を浮かし、前の方へと座り直した。
そうすることによってお互いの距離が縮まると分かっての行動だろうか。
セバスチャンもコートを机の上に置き、一歩シエルへと近づく。
「セバスチャン」
「どうしましたか?」
名前を呼ぶ声にわざとらしく聞き返す。
この恋人は自分の気持ちに気が付いてくれたのだろう。
自分を蝕む“嫉妬心”に。
「そんなに怒るな」
「・・・」
「劉と話していたのは、仕方が無いことだろう?」
言いながら苦笑するシエル。
そう。
先ほどまで、女王の番犬として劉から話しを聞いていたのだ。
勿論タダで情報を流してくれる筈も無く、一緒にお茶を飲むという条件を出されて数時間も拘束されていた。
「ですが、随分と楽しそうになされていませんでしたか?」
「そんなわけあるかッ」
シエルはセバスチャンが言った言葉にムスっとしてしまう。
そんな表情を見ながら、揺らいでいた気持ちがどこか落ち着いてくるのを感じた。
不機嫌になってしまった表情を見て機嫌が良くなるなんて、なんて酷い恋人だろうか。
けれど、ソレが自分だけを見てくれている証拠に思えてしまうのだから仕方が無いものだろう。
シエル自身もセバスチャンのそんな想いに気が付いているようで、ムスッとしつつも本気で怒っているようではなさそうだ。
「坊ちゃん・・・」
「別に好きで劉と話していたわけじゃない」
「はい・・・すみません」
分かっている。劉と話していたのはあくまで仕事の為なのだ。
けれど恋人が他の人間と仲良くしている姿など見たくない。
たとえ恋人の気持ちが、相手に向いていなかったとしても・・・。
なんだか格好悪いですね。
セバスチャンは内心苦笑する。
すると。
「・・・」
「坊ちゃん?」
ガタンと音を立ててシエルは立ち上がり、机を避けてセバスチャンの方へと近づいてくる。
その顔はムスっとした表情のままだ。
一体どうしたのか分からないセバスチャンはそのままシエルの様子を窺っていると。
「ッ・・・?!」
ギュっと抱きしめられた。
「ぼ、坊ちゃん?!」
いきなりの出来事に驚き、名前を呼ぶ声が若干裏声になってしまう。
シエルは酷く恥ずかしがり屋で、自分から何かをすることなどほとんどない。
一体どうしたというのか。
「僕は・・・お前がいい」
ボソリと小さな声が耳に聞こえてくる。
それは本当に小さな声で、悪魔の自分だから聞き取れた声だろう。
「それくらい、お前だって、分かっているだろ」
「・・・はい」
頷きながらセバスチャンも低い位置にあるシエルの身体を強く抱きしめ返す。
すると若干力が入っていたのか、シエルの身体が弛緩して行くのが感じられた。
あぁ・・・坊ちゃん。
愛しい存在を抱きしめながら、言葉に出来ない気持ちが胸に溢れてくる。
“嬉しい”とか“気持ちいい”とか“愛している”とか。
逆にどこか“切ない”とか。
それがグチャグチャに混ぜ合わさった感じだ。
自分たち悪魔は人間よりもはるかに強い。
人間に出来ないことをすることが出来る。
けれど。
どうして心はこうも自由ではないのだろうか。
自分の力を持ってすれば、シエル・ファントムハイヴを自分の腕に閉じ込めることなど簡単だ。
けれど、そんなことをしたくないと“自分”が思ってしまっている。
閉じ込めることが出来たら、どれほど自分の気持ちが晴れるのか分かっているくせにだ。
嫉妬だってすることがなくなるだろう。
「セバス、チャン?」
愛しているから独占したい気持ちと、愛しているから自由にさせてやりたいという気持ち。
あぁ・・・本当に厄介ですね。
ズルズルとしゃがみ込み、セバスチャンはシエルと同じ瞳の高さに合わせた。
シエルは自分の行動の恥ずかしさで頬を赤くしたまま、そんな行動に困惑した様子でこちらを見つめている。
美しい蒼い瞳で。
その瞳に他の人など映さないで欲しい。
だけど分かっている。
その瞳には私だけしか宿していない。
それでも足りないと思うのは。
「坊ちゃん・・・」
我侭だろうか。
「シエル・・・」
「セバスチャんぅ・・・ッ」
そのまま唇を近づけ、口を塞ぐ。
甘やかさなんて欠片もなく、まるで相手を喰らうような激しい口付け。
それなのに自分の唇と相手の唇が溶け合ってしまいそうな錯覚に陥るのはなぜだろう。
でも、本当にそうなってしまってもいいと思ってしまう。
そうすれば、その唇も本当に自分だけのものだ。
そのまま身体も1つになってしまえばいい。
そんなどうしようもない思考で頭を染めながら、セバスチャンはシエルの唇を貪る。
瞳を少し開けてみれば、必死に唇を受け止めようとする表情。
それがたまらず、服の裾に手を差し込めば。
「おちッ、つけ!」
「・・・!」
ドンっと胸板を押され、全てを中断させらてしまう。
しかしすぐにシエルは。
「せばす、ちゃんッ!!」
息を荒くしたままセバスチャンの頬に手を伸ばし、自分の額とセバスチャンの額を合わせあった。
「僕だってッ・・・嫉妬する!」
「!!」
「独占したく、なる!だから」
チュッと唇が重なり合い。
「一緒だッ」
首元にギュっとしがみついた。
その姿は何かに縋るようなのに、ソレは自分を慰めるものだろう。
セバスチャンは目を見開いてギュッと唇を噛み、シエルの肩に顔を埋める。
自分の方が縋るように。
あぁ・・・。
『僕だって嫉妬する』
それは。
『独占したくなる』
なんて。
『だから、一緒だ』
優しい言葉なんでしょうか。
“大丈夫”という言葉ではなく“僕も同じ”という言葉。
その言葉に、どれほどの想いが込められているのか。
「坊ちゃん」
「ん」
その想いに返す言葉なんて、ただ一つしかないだろう。
「愛しています」
もう一度。
今度は優しく唇を重ねた。
end

PR