シトシトと雨が地面に降り注ぐ音が耳に流れ込んでくる。
自分が眠る前はまだ降っていなかった筈だとどこか寝ぼけた頭でシエルは考え、何も纏っていない体は無意識に温かいものを求めるように近くの存在に抱きついた。
すると相手もこちらを温めるように背中に腕を回し、寒さを感じさせぬよう自分の肩にシーツを掛けられた感触がした。
息を吸えば、満たされる安堵感。
求めて止まないものが手に入ったような、そんな夢見心地に満足げに口元を緩めれば。
「ッ・・・!!」
全身に冷や水を当てられたように、覚醒した。
自分は今、何をしている。
シエルは瞳を閉じたまま、目覚めた頭で現状を把握しようとする。
けれどそんな行為は無意味だろう。
そこに謎があるわけでもなければ、何をしているかなんで動いた本人・・・自分自身がよく知っているのだから。
くそ、どうしてこんなっ。
混乱と焦り。寝ぼけていたとしても、こんなことをしていいわけがない。
なぜなら、自分はこの悪魔のことが嫌いなのだから。
「・・・目を覚ましてしまいましたか?」
「っ!」
雨音と同じくらい静かな声に、シエルはビクリと身体を揺らした。
さすがは悪魔。きっと目を覚まして身体が固くなった自分に気が付いたのだろう。
これだけ身体を密着させているのだから、ただの人間でも気付けるだろうという考えはどこかに捨て置く。
そしてシエルは起きているのがバレているのならばと遠慮せずに、自分から抱きついたにも関わらずセバスチャンを拒絶する。
「離せ」
「・・・身体を冷やしてしまいますよ」
「シーツがあるだろう。何も貴様に温めてもらう必要はない」
「・・・そうでしょうか」
セバスチャンは含みを持たせながら言う。
そこには小さな悪意のようなものをシエルは本能的に察知し、瞳を細め相手の出方を窺った。
この本能は裏社会で培ったもの。伊達に鼠どもの相手をしているわけではない。
が、この悪魔に通用するかどうかは別問題。
そぉっとセバスチャンの手袋を嵌めていない手がシエルの背中を撫で上げる。
もちろんシエルも何も着ていないので、肌はむき出しだ。
それを触るか触らないかの絶妙な感触で撫で上げられれば、セバスチャンの白いワイシャツを握り締めてしまうのも仕方がないだろう。
それにセバスチャンは満足そうに息を吐き。
「貴方が私を求めたのでしょう?」
雨水が空中で凍り、鋭い氷の刃がシエルの心臓を射抜いた。
「な・・・」
「そうでしょう?貴方も分かっている筈です。自分から手を伸ばしたのだと」
「ち、ちがう」
「違わないですよ」
シエルは首を振りながら胸板に手を置き、力強い腕から逃れようとするがセバスチャンはそれを許さない。
それでもシエルは拒絶するように胸板に爪を立てる。
「貴様、主人にこんなことをしていいと思っているのかっ」
「ご褒美、なんでしょう?」
躾けのなっていない犬で申し訳ありません。
いつもシエルが言い訳に使う言葉をセバスチャンが口にする。
悪魔としてのプライドはどうしたと出てくる嫌味は今日に限って出てこない。
それほどシエルは焦っていた。
「褒美ならまた後でやる。いいから離せ」
「嫌です」
「貴様、いい加減にっ」
「離して欲しいなら、認めてください」
セバスチャンはシエルの顔を覗きこんでくる。
眼帯を外した両目にセバスチャンの顔、瞳が映り込み、シエルは逃げるように視線を逸らすが、相手の視線はシエルを捕らえたまま。
「何を、認めろと言うんだ」
「貴方が私を求めたのだと」
当たり前のようにサラリと紡がれた言葉にシエルは瞠目する。
けれど次の瞬間には、思い切り嫌悪を露わにして叫び返した。
「なんで貴様を求めたなんて僕が言わなくちゃいけないんだ!」
「それが貴方の本心だからです」
「僕の本心?ハッ。夢を見るのも大概にしろ駄犬」
「・・・」
傷ついたような空気にシエルはズキンの胸の内が痛んだが、それには気付かない振りをして続ける。
ここで折れてはいけないのだ。ここで折れたりしたら。
「僕はお前が嫌いなんだ」
全てが無駄になってしまう。
「悪魔が愛を求めるな。気持ち悪い」
僕はお前を守りたいんだ。
「貴様はただの駒なんだ」
愛しているから。
心の底から愛しているから。
ずっとずっと、誰よりも何よりも愛しているから。
だから、頼むから。
お願いだから。
「出しゃばるなよ、駄犬」
僕を嫌いになれ。
「もう、いいですよ」
柔らかい声で言われた言葉。
今度こそ自分を嫌うだろうと思っていたのに。
予想外の言葉と声音に驚き、シエルはいつの間にか俯いてしまっていた頭を上げれば、そこには声と同じように柔らかく微笑んでいるセバスチャンの表情が。
その表情に“全て解かっている”と書かれていて、息が止まった。
「もう、いいんです」
「なにが・・・だ」
必死に搾り出す言葉。
違う。違うだろう。僕が望んでいたのはこういうことじゃなくて。
ただ、ただ、僕は。
お前を。
「もう守らなくて、いいんですよ」
守りたくて。
「ッ・・・よ、よくない」
「坊ちゃん」
「煩い煩い、うるさい!黙れ黙れ黙れ」
首を左右に振り、シエルは叫ぶ。
シラを切る余裕なんてどこにもない。あるわけがなかった。
だって嫌って欲しいと心の底から思っていたのと同時に。
僕は、コイツを。
この悪魔を。
心の底から愛していたのだから。
「僕は・・・僕はッ!」
本当は気が付いて欲しかった。
『嘘とは何か』
そう問うたのはいつだっただろうか。
それに『真実を守るものだ』と答えた。
そう答えたのは自分自身だ。
セバスチャンは何も答えていない。
なら自分はどうしてセバスチャンに問いかけたのか。
ただ、その答えを伝えたかったから。
それはなぜか。
そんなのは簡単だ。
自分は嘘をついていると気付いて欲しかった。
真実を守るために、嘘をついているのだと。
お前を守りたいのだと。
それは。
本当は自分はセバスチャンのことが好きなのだと気付いて欲しかった、ということだ。
「~~~~ッ」
あぁ、どうして。
「坊ちゃん」
「セバス、チャン」
「ありがとう、ございます」
私なんかを守ろうとしてくださって。
泣きそうな表情をしながらお礼を言うセバスチャンにシエルは唇を噛み締めて、溢れそうな涙を必死に堰き止める。
「ごめ」
「謝らないでくださいね」
此方の言葉を見透かして、言葉を切るセバスチャン。
「貴方が謝る必要なんてどこにもありません」
そんなわけがない。
だって自分のせいで、セバスチャンがこれから受ける痛みが絶対的になってしまった。
守りきれなかった。
シエルは再度謝罪の言葉を口にしようと口を開けば、
「ん・・・ぅ」
そのまま柔らかい唇がシエルの唇を塞ぎ、声を奪ってしまう。
慰めるような温かさに抵抗することなど出来ず、その唇をそのまま受け止める。
瞳を閉じれば、そこには幸せしかない自分に嫌気がした。
「これは、私が望んだのです」
唇を離し、セバスチャンは囁く。
「勿論、坊ちゃんとの最期の日は必ず来ます。そしてそこで襲い掛かる悲しみも」
ですが。
「それを受け止める覚悟が私には出来ています」
力強い言葉にシエルが瞳を見開けば、セバスチャンは苦笑し、優しくシエルの頬を撫でた。
「互いに愛し合っているのに、そのことにも気が付いているのに、それを伝えることも触れ合うこともせず最期を迎えたら絶対に後悔しますよ。愛し合ったことよりも、ね」
「・・・」
「だから坊ちゃん、怖がらないでください」
セバスチャンはもう一度そっと口付け、微笑む。
「一緒に、歩いていきましょう」
愛しています、シエル。
その口付けと同じくらい優しく紡がれた言葉にシエルは自分からセバスチャンに抱きつき、初めて自分から愛しい存在に口付けた。
“愛している”の答えはまだ返せない。
けれどセバスチャンは、許してくれるのだろう。
僕のことを弱虫と哂わず。
僕のことを卑怯者と哂わず。
今を大切に、僕の手を取ってくれる。
なぁ、セバスチャン。
ごめんな。
ありがとう。
END
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あとがき
『真実』の続きです!かなりお待たせしてしまって申し訳ないですorz
あの『嘘』から幸せな方向へと進ませて頂きました!ので、あれからイメージがずれていないか
正直色々と不安なところですが、いつも通り楽しく書かせて頂きました><
続きをご希望してくださった方様!ありがとうございました!

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