オレンジ色に染まった空。
それを見上げながらシエルはため息をついた。
いつも教室の窓から覗いているよりも、高いところにいるせいか屋上の方が空が近く感じる。
特に何の考えもなくその近くなった空に腕を伸ばし、虚空を捕まえようと手の平を握り締める。
だがその手は予想通り何も捕まえることなどなく、ましてや虚空なども捕まえる筈もなかった。
「・・・こんなところにいましたか」
「・・・」
扉が開いた音と共に、後ろから嫌な声が聞こえた。
その声を発しているのは自分が今屋上にいる理由を作った男だ。
「何か用ですか、ミカエリス先生」
シエルは振り返ることもせず、空に腕を伸ばしたまま問いかけた。
そこには何の感情も含まれてはいない。
「放課後、指導室に来なさいと言った筈ですが?」
「話しを聞く理由がないと思いまして」
「ほぉ?」
コツリと足音が響いた。
下のグラウンドからは運動部の掛け声が聞こえるというのに、その足音だけが異様に大きく感じられ、先ほどまで無感情だったシエルの瞳に光が灯り始めてしまう。
回り始めた自分の思考回路に内心舌打ちをした。
先日、初めてこのセバスチャン・ミカエリス先生に指導室へ呼ばれた。
そこでは教師特有の説教などではなく、ただの、会話。
いや、あれを会話というのだろうか。
もしかしたら別の意味の“説教”であっているのかもしれない。
貴方はただの弱虫なんですよ。傷つくのが怖い、ただの餓鬼です―――
ギリっと奥歯を噛み締めてしまいそうなのを我慢して、シエルは伸ばしていた手で顔を覆った。
この教師には近づきたくない。
けれどやはりコイツは。
「私の話しを聞くのに、理由などいりますか?」
僕のことを追いかけてきた。
「必要だろう」
「なぜ?」
「意味のない、他愛の無い話しをする為だけに時間を削るほど僕は暇では無いんです」
「ですが、貴方は今ここにいますよね」
「・・・玄関で待ち伏せていたとの情報を耳に挟んだものでして」
「まったく。子供は噂好きですね」
ため息をついたような声音にシエルは気分が良くなり、口元を緩ませる。
いい気味だ。
けれどそんな気分はすぐに打ち消されてしまう。
「ですが、そのおかげで貴方は帰ることも出来ず、結局わたしと二人きりになりましたね」
「ッ・・・!!」
落とされた言葉。
今度は素直に奥歯を噛み締めれば、顔を隠していた手にそっと手を重ねられる。
「顔を、見せてください」
囁くように言われ、シエルは首をいきおいよく横に振った。
空いている手の方で重なっている手を叩き落とそうとしたが、逆に別の手でその手すらも絡め取られてしまった。
「離せッ」
「顔を見せてくださったら離します」
「貴様、いい加減にしろッ!」
「あぁ、やっと貴方らしくなりましたね」
セバスチャンの満足そうな声にシエルは唇を噛み締める。
(ばれてた)
自分が感情を殺していたことに。
きっとどうして感情を殺していたかなんて、聞かずとも向こうは察しているだろう。
そして、止めていた思考回路がコイツのせいでどんどん回り出したことも。
自分の感情が引き出されてしまっていることも。
コイツは全てお見通しなのだろう。
だから。
だから嫌だったんだ。
「さぁ、顔を見せてください」
どうしてこの僕が振り回されなくちゃいけない。
「いやだ」
どうしてこの僕がこんな奴に。
「大丈夫ですよ」
どうして。
「・・・」
僕が。
「大丈夫ですから、見せてください」
「・・・大嫌いだ」
少し込められた力に抗わず、そのまま顔を隠していた手を横にずらす。
目なんて合わせられるわけもなく、どこか遠くを見ようと忙しなく泳がせるが、視界のぼやけたところにはセバスチャンの顔がしっかりと映ってしまっている。
「大嫌いだっ」
自分は一体なにを言っているのだろう。
何かの言い訳のつもりで口にしている言葉なのだろうか。
思考は嫌でも回っている。
それなのに、自分の制御が利かず暴走している。
こんなの、僕じゃない。
「いい子ですね」
それなのにセバスチャンは先ほどと同じように満足したような声音で。
顔を隠していた手とセバスチャンの手を絡め合わせられる。
(あ・・・)
その感触になぜか瞳が見開き、その手を見つめてしまう。
手を伸ばしても何も捕まえられなかった手。それが今は温かさに包まれている。
「・・・」
その温かさに惹かれるように、ここに来てから初めてセバスチャンの瞳に自分の瞳を合わせれば。
「・・・」
セバスチャンは何も言わず、どこか悪戯気に微笑み、優しく親指でシエルの手の甲を撫でた。
夕焼け小焼けで日が暮れて。
山のお寺の鐘が鳴る。
お手々つないで皆かえろう。
鴉と一緒に帰りましょう。

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