銃声の音が耳に届き、シエルはベッドに横になりながら閉じていた瞳を開けた。
今晩は一体何匹やってくるのだろう。
来るならばいっぺんに来ればいいものの。
持久戦というのはまさにこのことを言うのだろう。
そしてそれがあの方の狙いでもある。
このゲームは言うなれば定期試験。
ファントムハイヴ家が女王の番犬に相応しい者であるかを試しているのだ。
ひ弱な番犬じゃないか。
主人に噛み付く犬じゃないか。
そう。
ゲームの首謀者は女王陛下なのだ。
裏社会に動きがないわけじゃない。
裏社会の動きを女王が隠蔽しているのだ。
セバスチャンを使えばその隠蔽された部分を見つけることなど他愛も無いものだろうが、そうすれば彼は知り過ぎてしまう。
番犬である僕らが知ることを許されない部位までも。
そして相手に牙を向けるだろう。
契約の元、そしてシエルに仕える執事として。
“守るため”と言いながら盾を前に出し、それを相手に突き刺す。田中が言ったように。
今回それではいけないのだ。その忠実さが仇となる。
しかしその忠実さがないと、このゲームに耐え切れないというのも真実だ。
(ある意味悪趣味だな)
あの破天荒な陛下を思い出し口角を吊り上げる。
そこには忠実とは程遠い色を宿していた。
コンコン。
ふと喧騒の中にノック音が混じる。
まだ鼠の駆除は終わっていない様子なのに叩かれる扉。
その人物はたった一人しかいなくて、午前にした命令をこなし部屋に足を運んできたのだろう。
(まったく、早すぎだろう)
想像以上の速さにシエルは舌打ちをしながら入室を許可する。
開かれた扉の向こうには、
「夜分に申し訳ございません、坊ちゃん」
田中の姿。
「別に構わない。これだけ騒がしいんだ。眠れるわけがないだろう」
「他の使用人には後で注意しておきます」
「・・・それで、アイツは気付いたのか」
シエルは上半身を起こし、自然な動作で契約印が刻まれている瞳を隠しながら田中を見つめる。
すると相手は苦笑しながら言った。
「あのふっきれたようなお顔は、お気付になられたかと・・・」
「無駄に頭の回転が速い奴め」
「どうやらバルドもお気付きになられたようです」
「は?なんでアイツも・・・・・・っ!」
一瞬ポカンとしたシエルだったが、すぐに答えは導かれる。
沢山のピースを持っている、否、持ちすぎている男と1つのピースしか持っていない男が、この背景を見つけ出そうとするのならば簡単だ。
1つしか持っていないピースは、沢山あるピースのどれかに必ず繋がるのだから。
(こういう時だけ人間染みたことをするなッ)
普段は他の使用人と戯れようとなどしないくせに。
「・・・分かった。ご苦労だったな」
「駆除が終了したら此方に呼びますか?」
「いや、いい」
きっとアイツはここに来るだろうから、とは口に出して言わなかった。
首を横に振ったことに田中は何も言わないが、全て知っているだろう。
セバスチャンと僕の関係を。
そう考えるとどこか居心地が悪くなり、シエルは俯きながら田中に退室を命令する。
それに一礼して答え、寝室から出て扉を閉める前に一言。
「あまり夜更かしはしませんよう」
「・・・・」
それにシエルは答える言葉が見つからなかった。
それからどれくらいの時が過ぎただろうか。
シエルはベッドの中で田中が来る前と同じように瞳を閉じていた。
耳をすましても先ほどの喧騒はもう聞こえず、静寂が世界を支配している。
まるで闇に全て喰われたみたいだと内心で哂えば、その闇がシエルに話し掛けた。
「坊ちゃん」
「・・・っ!!」
いきなりのことに驚き、反射的に枕の下の拳銃を掴み構える。
しかし自分の瞳に赤い瞳を映せば大きく息を吐きながらその拳銃を降ろした。
「お前、気配を消したまま急に現れるな」
「申し訳ございません。もう眠ってしまっているのかと思いまして」
セバスチャンのクスリと笑う声。
眠っているかもしれないと思っていても、扉を開く音くらい立てたらどうだ。
シエルは眉を顰めながらも枕の下に拳銃を戻す。
するとベッドが揺れる振動を身体が感知し、横を向けばセバスチャンがベッドの空いている空間に腰を下ろしていた。
執事としては有り得ない行為だが、それを咎める気はない。
「鼠の駆除は終わったのか」
「えぇ。他の使用人たちも無事ですよ」
すでに分かりきっていることをあえて口にする。
それは今この寝室を包み込む空気を変えようとする行為でもあり、そしてセバスチャンの様子を窺うためでもある。
セバスチャンはベッドに腰掛けた状態で首だけをこちらに向けた。
その赤い瞳には小さな怒り。
けれどそれは自分だけに向けられているものではないと理解し、大きくため息をつきたくなった。
まだセバスチャンに黙っていたシエル・ファントムハイヴだけに怒りを感じていたらよかったものの。
一番進んで欲しくないシナリオに一歩足を踏み込んでしまっている。
「坊ちゃん」
「あぁ、分かっている」
お前が何を言いたいのか。
そしてこれからどうしようと考えているのか。
「だが動くな。命令だ」
「主人をいたぶっている相手がいるというのに動くなとは、少し無理な注文ですね」
「別にいたぶられてなどいない。僕は何とも無いだろう」
「ですが、精神的な重みを感じているでしょう?」
セバスチャンはシエルの頭を優しく撫でる。
その手はまるで親が子を撫でるような。恋人が甘やかそうとしている手のような。全てを包み込む感触。
けれどシエルはその温かさには縋ろうとせず、首を横に振る。
このゲームで一番辛い思いをしているのはお前たち使用人であり、僕ではない。
僕はただこの椅子に座り続け、そしてただ基盤の上の戦争を眺めているだけでいいのだから。
「その重みを背負うのは僕の役目だ。このゲームはお前たちが耐えてくれればそれで勝利を掴むことが出来る。だから自ら勝利を掴むための一歩は必要ない」
「必要ない?そんなこと分かっていますよ」
「うわっ」
急に身体を押され、そのままベッドに横たわる。
気が付いた時には手をシーツに縫い付けられ、セバスチャンが上に覆いかぶさっていた。
「セ、セバスチャンッ!」
「私たち駒はキングが必要不可欠であり、絶対的存在。そのキングを討ち取ろうとする駒が現れるのだったら容赦はしません。それは相手のキングも同様」
セバスチャンは言う。
「相手の駒を全て討ち取ってしまえばゲームは続行不能でこちらのキングが勝利するでしょう。しかしまだ相手のキングは生きているのです。私たちのキングを討ち取ろうとした相手が・・・。それを私たち駒が許すとお思いですか?」
唇が近づき、頬に口付けを落とされる。
それは頭を撫でていた手と同じく優しいもので、悪魔の瞳とは似ても似つかないもので。
シエルは眉を寄せ自分の唇を噛んだ。
「たとえもし相手のキングを討ち取ったことによって基盤が崩れ落ちたとしても私たちは構いませんよ。私たちのキングを・・・坊ちゃんを守ることが出来るのなら。他のもの全てが敵にまわっても貴方を守り続けます。それは駒だから、使用人だから、悪魔だからではなく・・・」
貴方がシエル・ファントムハイヴという人間だからです。
「…ッ!!!」
シエルは目の前の悪魔に自ら勢い良く口付けた。
首を少し上げた状態が辛くとも構わない。
何度も何度も角度を変えて口付ける。
驚いていたセバスチャンもすぐに口付けに答え始め拘束していた手首を開放したので、その腕をセバスチャンの首に絡めた。
馬鹿な奴。
なんて愚かな奴なんだろう。
シエルはセバスチャンが女王陛下に牙を向けるだろうということは予測していた。
だからこそセバスチャンにはこのゲームの背景を教えるわけにも、そして気付かせるわけにもいかなかったのだ。
そこには使用人としての忠誠心や、悪魔としての契約。そして恋人としての想いがあるからこそ、セバスチャンは牙を向けることを躊躇わないと思っていた。
ただ、そう思っていただけだった。
その牙にどれほどの覚悟を背負っているのかも知らないで。
そこまでする価値がどこにあるのだろうか。
人間は普通自らに危機が迫ったのなら、別の人間ではなく自分を選ぶものだ。
それは本能的なものでもあるとシエルは思っているので、裏切りとは考えない。
むしろそれがいいと、当たり前だと感じている。
悪魔ならば尚更そうだろう。
セバスチャンが人間相手の戦争に負けることもなければ、きっと虫の息を止めるほど簡単なものだろう。
だがそんな“小さな出来事”に悪魔が首を突っ込むことはしないと思う。
それこそ、そこまでする価値がないからだ。
なのに、どうして。
本当に馬鹿な奴。
人間相手に愚かだ。
けれど。
泣きたいくらい、嬉しかった。
「セバス、チャン・・・ふぁ・・・セバスんン」
口付けの合間に何度も名前を呼ぶ。
何度も、何度も、何度も。
三年前に多くのものを失った。
それと同時に多くのものを捨てた。
けれどその中で僕は。
お前を手に入れた。
「ん・・はぁ、セバスチャンっ」
「坊ちゃん・・・」
シエルとセバスチャンは強く抱きしめあう。
愛しくて愛しくて、どうしたらいいのか分からない。
ありがとう、と言えばいいのか。
愛している、と言えばいいのか。
どうしたらこの気持ちが伝わるのだろう。
「伝わっていますよ」
「ッ!!」
「貴方が口下手なのも分かっていますしね」
「・・・うるさい」
照れ隠しのように悪態をつきながらセバスチャンの胸板に頬を寄せた。
自分でも可愛くない奴だと思うが、こればっかりはどうしようも出来ない。
けれど抱きつく力は緩めずに、沢山の精一杯の愛を込める。
コイツなら感じてくれるだろうから。
そして。
「・・・なぁセバスチャン」
「はい」
きっとこれから僕が何を言うつもりなのかも分かっている。
そしてそれに不満を洩らしつつも、頷いてくれることを僕は分かっている。
「僕はシエル・ファントムハイヴ。ファントムハイヴ家当主だ。悪の貴族と呼ばれ、女王の番犬として裏社会に存在している」
だから。
「僕が女王陛下に牙を向けることは許されない。そんなことがあってはならないんだ。たとえお前たちが僕を守る為に牙を向けたとしても僕は止める命令をせざるをえない」
「・・・はい」
ギュッと抱きしめる力が強くなる。
それに苦笑してポンポンと背中を叩き、シエルは顔を上げた。
「だがな、セバスチャン。もし本当に陛下に向けて僕自ら牙を向ける日が来たのならば、僕は遠慮なくお前たちに剣を握らせる。ファントムハイヴ家当主としてではなく、ただのシエルとして」
容赦なくコキ使うから覚悟しておけ。
そう笑えば、セバスチャンは少しだけ目を見開きすぐに微笑んだ。
けれどシエルの言葉には何も言わずに、もう一度口付ける。
それは無理やりシエルの言葉を承諾しようとしているようにも思えて。
「ん・・・」
セバスチャンがシエルの頭を優しく撫でたのと同じように、今度はシエルが口付けを受けながら優しくセバスチャンの頭を撫でた。
「今回のゲームはまだただのシエルになる時ではないのですね」
「あぁ。まだだ。今回のは違う」
これはただの通過地点だから。
これはファントムハイヴ家が女王の番犬に相応しい者であるかどうかの定期試験な“だけ”
けれどシエルはそのことを言わない。
きっとこのゲームがただの定期試験だと分かっても、セバスチャンの言葉は変わらないだろうから。
ただ優しくセバスチャンの頭を撫でる。
「まだ、大丈夫だ」
その時はちゃんと頼る。
この屋敷にいる使用人たちを信じて。
お前を信じて、全てを言うから。
だから。
「セバスチャン」
そんな顔をするな。
苦しげな表情のセバスチャンにシエルは苦笑しながら、瞳を閉じる。
そうしてまた必然的に重なる唇は、なぜか苦く感じた。
****
「今回は随分とお客さんが多いねぇ・・・ヒッヒッヒ」
「だからさっさと来いと言っただろうが」
シエルは紅茶のカップを手にしながら、向かいに座っているアンダーテイカーを睨みつける。
すると相手は、小生だって忙しいんだよ~、といつものニヤニヤした声で返してきた。
あれから。
このゲームの相手が女王だとセバスチャンにバレた数日後、謎の襲撃はピッタリと止んだ。
否、女王様から送られて来る刺客が来なくなった。
それは、この定期試験の終わりを示しているのだろう。
「そういえば、彼はどうしたんだい?いつも伯爵の側から離れることなんて無いのに」
「あぁ。アイツは少し別の仕事を言い渡してある」
「ふぅん?別の仕事・・・ねぇ」
こちらを探るような様子に、シエルは口元に弧を浮かべる。
シエルがアンダーテイカーに言った言葉は嘘だ。
ただセバスチャンには席を外させているだけで、命令して別の仕事を与えているわけではない。
予想通り、アンダーテイカーは嘘を疑い言葉を重ねる。
「彼のことだから、嫌がったんじゃないかい?大切な大切な伯爵の側を離れたがるなんて」
「まぁ、少し駄々は捏ねたが命令には従う。アレは忠実な犬だからな」
「主人に似て、かい?」
ヒッヒッヒと、喉が引きつるような笑いに、シエルは持っていた紅茶のカップをソーサーに戻す。
(これは、ビンゴだな)
女王の定期試験が終わったと見定めたのは、刺客が来なくなったからという理由だけではない。
この葬儀屋が、屋敷に訪れたからだ。
「あぁ。僕も主人には忠実だからな」
「今回のことは小生も驚いたよ」
「いいのか?貴様の口からソレを話して」
「だって、伯爵はもう気が付いてるんでしょー?」
小生が陛下の隠蔽に手を貸していたって。
アンダーテイカーは長い爪で、いつもの骨の形をしたクッキーとは違う立派なクッキーに手を伸ばし、それを口元に運ぶ。
そこには動揺も無ければ焦りも、ましてや罪悪感なども微塵に無かった。
「これほどの鼠が動いたんだ。裏社会を管理する僕がその動きに気付かないわけが無い」
「でも伯爵はすぐに陛下の仕業だって分かったんじゃなかったのかい?」
「あぁ分かった。けれど少し試したくなってコッソリと調べてみたんだ」
やられるだけじゃ、面白くないだろう?そう哂えば、アンダーテイカーは愉しそうな顔だねぇと、ため息をついた。
「勿論、何も見つからなかった。ほんの少しセバスチャンにも探らせたけれど、相手の動き、それどころか動いた痕跡すら見つからなかった。女王が隠蔽したものなのだから、簡単には見つからないと思っていたがな」
シエルは立ち上がり、窓際に立つ。
そして空を見上げ瞳を細めた。
手を伸ばしても決して届かない場所。けれど人間ならば必ず向う場所。
けれど僕は“あそこ”へ行くことはないだろう。
「だが答えは簡単だった。相手の動きが分からなかったのも、痕跡さえも見つからなかったのも、答えは1つしかなかった」
クルリと振り返り、シエルは空に向けて人差し指を立てる。
高い高い、手の届かない天空へ。
満面な、綺麗な笑みを浮かべながら。
「奴らはもうすでに、死亡していたのだからな」
シエルは葬儀屋に、そう告げた。
「ヒッヒッ・・・正解だよ、悪の貴族ファントムハイヴ伯爵」
アンダーテイカーは長い前髪の向こうにある瞳を細め、笑う。
その際に揺れる袖は、まるで今まで埋葬してきた亡霊が踊っているかのようにも見えた。
「彼らは元々この裏社会、いぃや、この世界から存在が無かったんだよ。それを死亡扱いしていいのか分からないけどねぇ」
じゃぁ1つ聞こうか、真っ赤な事件の時にお墓を作ってあげた優しい伯爵。
その言葉にピクリとシエルは眉を顰める。
アンダーテイカーは音も無く立ち上がり窓辺に立つシエルの横へと移動すれば、長い爪を先ほどのシエルと同様に空へ伸ばし、文字を書くかのように指を動かした。
「彼らのお墓には何と名前を彫ってあげたらいいかなぁ」
エリック?シュエルティ?ニア?
アンダーテイカーはそう呟きながらも、楽しそうに喉を引きつらせた。
彼らは元々死んでいた。
否、もうこの世界には存在していなかった。
名簿の中に彼らの存在などどこにも無く、逆に彼らは本当に存在している名前を“借りて”その人になっていたのだ。
生まれた時に貰った親の名前はすでに墓の中。
空っぽの棺と共に。いや、もしかしたら、別の誰かの遺体と共に。
それの手助けをするのは、葬儀屋であるアンダーテイカーしかいない。
(それはただの仮説だったんだがな)
別の人間になりすまし、そして別のところで同じ人間が動いていたとなれば、アリバイも作れる。
なりすましている方・・・鼠の方の痕跡だけを消せばいいだけのだから。
そしてまた別の誰かになりかわる。表の人間になりすましていたとなれば・・・特に厄介だ。
(全く、女王陛下も手の込んだことをしてくださる)
今回のこのゲームの為に、このゲームを成り立たせる為に、一体何人の命が散ったのだろうか。
(まぁ、女王に無益な裏社会の住人が何人死んでも構わないと言ったところ、か)
シエルは無意識に自嘲的な笑みを浮かべる。
今回、本当の意味で無きものになった鼠共は何を思って死んでいったのだろうか。
親から貰った名を捨てたことを嘆いただろうか。
誰か分からない上からの命令によって訳も分からず死ぬことを恨んだだろうか。
いや、そんな奴はいないだろう。
そんな奴は、裏社会などで生きてはいけない。
たとえ恨んだとしても、死んだ後のことなんて誰が気にするだろうか。
「・・・この裏社会に身を染めた瞬間から墓場に刻まれる名になど興味はないだろう」
「伯爵もそうだと言うのかい?お墓に刻まれる名はどうでもいいと?」
そう問われ、シエルは少しだけ目を閉じ、自分の末路を想像する。
そこには墓場も必要なければ、名前だって必要が無い。
必要なのは、僕という人間の魂だ。
だから。
「どうでもいいな」
シエルは鼻で笑う。
「死んだ後にまでこの名前を大切にしようだなんて思わん」
「まぁ、伯爵はそうだろうねぇ」
凛とした答えにアンダーテイカーは満足げに腕を下ろし、それじゃぁ、と足を踏み出す。
「そろそろお客さん達に会いに行こうとするかな~」
「今回は大量だからな。だが、今日中に全て処理しろ」
「えぇ、それは鬼だよ伯爵」
「あぁそれと・・・」
口をへの字にしながら振り返るアンダーテイカーを気にすることも無くシエルは瞳を鋭く光らせ言った。
「貴様が好んでいた骨型クッキーを生産していた会社だが、この度ファントム社の一部となった」
ようするに、ファントム社に食われたわけだが。
「そこで、骨型クッキーは暫く生産停止を決定した」
「えぇ、伯爵そんなことしちゃったのぉ?」
小生のお気に入りだったのに、とガッカリする姿にシエルは残念だなと哂う。
そこには明らかに“ざまあみろ”と書かれていて、アンダーテイカーはため息をついた。
「・・・意趣返しだね、伯爵」
「さぁ、何のことだ」
「小生に火の粉が降ってくるのはごめんだけど、そういうところは見ていて飽きないよ」
「もう火の粉を被らないよう、注意するんだな」
口元に弧を描いたままテーブルへと移動し、クッキーをつまみ上げて口に頬張る。
その姿は弱者を捕縛した強者のようだった。いや、そのものだろう。シエル・ファントムハイヴという人間は。
首輪を引きちぎらないことが不思議なくらいだ。
いや、だからこそ。
「その首輪で首を吊らないようにね、伯爵」
アンダーテイカーも同じように、またクッキーを長い爪で掴み口元に運ぶ。
そして今度こそ扉へと足を踏み出し、部屋から出て行った。
「余計なお世話だ」
姿が見えなくなってから、シエルは返事を返す。
その言葉は誰に聞かれることもなく、立派な絨毯に吸い込まれるだけの音にしかならなかった。
自分がこの首輪で首を吊ることなどない。
たとえ女王陛下が首輪を引っ張り上げようとも、それは自分が手を下さずとも千切れ落ちてしまうだろう。
番犬の犬たちの手によって。
なぁ、そうだろう?
セバスチャン―――
いつかの夜のことを思い出しながら、シエルは無意識に瞳を柔らかく細めた。
「さて、と」
短く息を吐きながら、椅子に腰を下ろす。
一応アンダーテイカーへの意趣返しは出来た。
自分の可愛い犬共に手を出す手助けをしたんだ、これぐらいで済んでありがたいと思って欲しい。
女王の番犬が女王に手を出すことは出来ない。だが、その取り巻きぐらいに甘噛みするくらいなら許されるだろう?
「そろそろ来る頃か」
あともう1人が。
シエルはもう冷めてしまった紅茶を手にし、一気に飲み干す。
その中身は。
良き香りを放つアールグレイだった。

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