いつも騒がしいロンドンが、今日は一段と騒がしく賑やかだ。
それもそのはず。今ロンドンではお祭りが開催され、あちらこちらで建物や人が着飾り、楽しく時を過ごしているのだから。
色とりどりの衣装に美味しそうな香りを漂わせる出店に、街中の人間は笑顔溢れさせている。
そんな中に、黒い色が二点。
明らかに他とは雰囲気の違う異色なものが中に紛れ込んでいた。
けれどなぜか周りにいる人間はその異色なものに目を向けることもなく、まるでその二点には気が付いていないかのようだ。
いや、実際に気が付いていないのだろう。
なぜならその二点は、人間ではないのだから。
「・・・・」
「・・・・」
その二点・・・悪魔2人は特に会話をすることもなく、人ごみの中を歩いていく。
周りの明るさに比例して、表情もどこか暗く、楽しそうもない。
特に身長の高い方、悪魔セバスチャン・ミカエリスは無表情を貫き通していた。
ここで、どうしてこのようなお祭りに足を運んだのかと疑問を投げかけたら、今のような冷たい雰囲気はなくなるかもしれない。
そう考えるも、セバスチャンは悪魔シエル・ファントムハイヴに声を掛けることはしなかった。
正直、ここに来た理由なんてどうでもいいという気持ちがあるからだ。
今のシエル・ファントムハイヴが何をしようがどうでもいい。何をしたところで、自分は永遠にこの悪魔に付き従わなければいけないのだから。
セバスチャンは黙々と歩いていく主人の後ろを、同じく黙々と付いていく。
しばらく歩いた後、ふと主人は進める足を止めた。
その視線はどこかに向けられており、セバスチャンも足を止めその視線を辿れば、そこには兄弟が。
「だから言っただろうシャル、手を離しちゃ駄目だって」
「うぅ・・・兄ちゃん・・・」
「ほら泣くな。もしかしたらどこかに引っかかってるかもしれないから、探しに行くぞ。な?」
「ん・・・」
泣きべそをかいている弟の手を引いて、兄はセバスチャンたちとは逆の方向へ向けて走っていく。
どうやら弟が何かを失くしたようだが・・・。
それが一体どうしたのかとシエルの方に視線を戻せば、シエルはセバスチャンの方、否、セバスチャンの後ろにある空を見つめていた。
そしていきなり。
「セバスチャン、肩を借りるぞ」
「はい?・・・っ!」
そう言ったかと思えば、軽く飛び上がりセバスチャンの肩に手を置き、そしてそれを踏み台にシエルはまた飛び上がる。
急な強い振動を受け止めきれず少しよろめきながらシエルの飛んだ方を見上げると、空中に青い風船を捕まえたシエルの姿。
風船を掴んだシエルは、セバスチャンから少し離れたところに着地し、そのままスタスタと歩いていってしまう。
いきなり肩を借りたにも関わらず、なんの説明も無しに歩いていってしまうその姿は人間の頃のままだと、ため息を吐きながらその姿を追った。
きっと目的地はあの兄弟のところだろう。この青い風船を届けに行くに違いない。
どうしてあの弟が失くしたものがこの風船だと分かったのか疑問に残るが、あの兄弟の話しの内容だとコレに間違いないだろう。
ゲームの天才と謳われていた主人のことだ。これくらいの謎解きは朝飯前。
悪魔が人間の子供に風船を届けるなんて滑稽な姿だ、と内心で笑うが、またシエルはセバスチャンの予想の斜め上の行動に移る。
「・・・・」
青い風船を持ったシエルは兄弟の所に行くのではなく、いきなり近くの木へと登り始めた。
セバスチャンはそれを無言で見守り続ける。
この主人が一体何を考えているのか人間の頃から理解できなかったが、同じ悪魔になった今でも理解できない。
それはきっとセバスチャンが鈍感なのではなく、シエルの考えが特殊なのだろう。
げっそりとしたくなるセバスチャンをよそに、シエルは少し高い位置に青いそれを括りつけ、セバスチャンの元へと歩いてくる。
「あの兄弟に渡さないのですか」
ついに疑問を口にすれば、シエルは意地悪げに口元を吊り上げて、そんなことするかと答える。
「そんな世の中は甘くない。何かを手に入れるならば、そして取り戻すならば、それなりの努力が必要だ」
「相変わらずですね、貴方は」
質問の答えに冷たく言い放てば、バタバタと元気な足音が。
「あ、お兄ちゃん!あった!あったよ!」
「良かったなぁシャル!待ってろ、今兄ちゃんが取ってきてやるからな」
「え、でも兄ちゃん危ないよ!僕が行くよ!」
「ばか、お前の方が危ないだろう?兄ちゃんに任せとけって」
あの兄弟が青い風船に気が付いたらしく、シエルが括りつけた木を2人で見上げる。
セバスチャンにとっては決して高くはない位置にあるが、この2人にとっては高い位置にあるだろう。
しかし兄は弟の為にその木をせっせと登り始めた。
それを少し離れたところでシエルは静かに見守っている。
「兄ちゃん気をつけて!」
「あぁ、大丈夫・・・っと、ほら!シャル!取ったぞ!」
「わぁっ!!兄ちゃん、ありがとう!」
なんとか風船を掴み、それを見せてやる兄と喜ぶ弟。
落ちることなく地上へ足を下ろせば、弟は風船よりも兄の方に抱きついていた。
きっと風船のことよりも兄のことを心配したに違いない。
「・・・行くぞ、セバスチャン」
兄が風船を弟の手に結び付けているところまで見守ったシエルは、セバスチャンに声を掛け、再び足を踏み出す。
そこにはいつもの仏頂面があったが、長年付き従っていたせいで表情を読み取ることは容易い。
シエルの表情の中には酷い安堵が混じっていた。
「そんなに心配したのでしたら、初めから意地悪なことをなさらなければ宜しいじゃないですか」
「・・・言っただろう?何かを手に入れるならば、それなりの努力が必要だと」
「それは貴方の教訓ですか?」
「別に僕だけじゃないさ。ほら、見てみろ」
シエルは兄弟の方に指さす。
「あの弟は兄を随分心配していた。きっともう風船を手放そうとは思わないだろう。今度手離し兄に木を登らせて、もしものことがあったら・・・という恐怖を知ったからな。もしここで僕がそのまま風船を渡していたら、あの弟はまた風船を手放してしまうかもしれない」
「・・・だから貴方はあえて木に風船を括りつけたと?もしあの兄弟が木を登らなかったらなどとは考えなかったのですか?」
「考えなかった。あの兄ならば何としてでも弟の風船を取り戻すだろうと分かっていたからな。だから、ほら」
嬉しそうに笑い合う兄弟を見て、シエルは優しげに赤い瞳を細め。
「大丈夫だっただろう?」
綺麗に微笑んだ。
それを見たセバスチャンは、いつかの日のように鼓動が大きく跳ねたのを客観的に捉える。
(あぁ・・・この方は・・・本当に何も変わらないのですね)
それはどこか久しぶりの感覚で、けれど初めてのような感覚。
たとえ赤い色をしていたとしても、その強い眼差しは変わりない。
たとえ喰らうことができなくとも、その甘美なる魂には変わりない。
久しぶりにセバスチャンも口元を緩め、馬鹿ですね、と言葉を吐いた。
「あんなに心配していたくせに」
「別に・・・。落ちそうになったら助けようと思っていただけだ」
「結局貴方は甘いんですよ」
「ほほお?僕を甘いと言うか」
「えぇ言いますよ。いくらでも言って差し上げます」
「久しぶりに口をきいたかと思えば嫌味ばかりかッ」
「時間はたっぷりありますので、今後も坊ちゃんの耳元で嫌味を吐き続けますよ」
そう言えばシエルは、この悪魔がッと、もう人事ではない台詞を放ち、ズンズンと一歩一歩に怒りを込めて進んでいく。
そんな久しぶりの姿にセバスチャンはクスリと笑った。
以前は甘美なる魂に惚れ、それを食すのを楽しみにしていたのだが。
どうやら今度は魂だけではなく、シエル・ファントムハイヴ自身に惚れてしまったらしい。
あの頃と変わらない、この悪魔に。
「坊ちゃん、置いていかないでくださいよ」
セバスチャンは苦笑しながら、シエルのことを追いかけた。
end

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