「お疲れ様でした」
「あぁ」
掛けられる言葉と上着を羽織らせる動作。
それに仏頂面で答えながら、シエルはため息をついた。
先ほどまで大嫌いな夜会で、興味もない連中とニコヤカに話しをしていたのだ。
つまらない世間の話や、とある貴族の悪口、噂など、どうでもいい話を永遠に聞かされげんなりする。
あんな話、何が楽しいのだろうか。
「随分と盛り上がっていましたね」
「・・・本当にそう思っているのか?」
「坊ちゃんの周りが、という意味でです」
シエルが夜会嫌いなことを、きっとこの執事が一番知っているだろう。
それなのにそんな言葉を口にするとは、嫌味にもほどがある。
「他にも沢山の方が坊ちゃんと話したがっておりましたよ」
「もう勘弁しろ。必要な奴への挨拶は回っただろう」
「挨拶ではなく、もっと深くお話したいのですよ」
まぁ、それは私が許しませんけれど。
そうサラリと言ってのける相手に、シエルは一瞬馬車を置いてある方へ向う足を止めるも、すぐに再び歩み出す。
またか、とドキドキしてしまう自分に内心舌打ちをした。
最近セバスチャンは、普通の会話の中に妙な言葉をスルリと紛れこませる。
それはまるで嫉妬のようなものだったり、独占欲のようなものだったりと様々だが、どれもシエルに好意があるのだとでもいいたいような言葉。
その言葉に何か意味があるのか、それともただの気まぐれなのか、別に意味など無いのか。
色々と思うところがあるも、別にどれでもいいとシエルは考える。
きっとどれであったって、セバスチャンがこちらに気があるとは思えない。
だからシエルは妙な言葉を聞くたびに無視を決め込んでいた。
「とにかく夜会はこれで終わりだ。もう今日は仕事をしないで寝る」
「おや、私とは話しをしてくださらないのですか?」
「どうしてお前と話しをしなくちゃいけない。それに今だって別に話しているだろう」
「そういうことじゃないと分かっているくせに」
「・・・なに?」
どういうことだと眉を顰めれば、緩い力で手首を取られ引かれる。
バランスを崩したシエルはその力に抗えず、セバスチャンの引かれるままに近くにあった木の幹に押し付けられる形になった。
「坊ちゃん、私と深い話しをしませんか?」
片方でシエルの手首を取り、もう片方は幹に置いてシエルの逃げ道を塞ぐ。
暗闇の中で輝く赤い瞳はまるで血を吸ったルビーのように思えた。
「・・・断る」
深い話しとはどんなものだとは気かず、一刀両断する。
今の雰囲気から言って、その“深い話し”とやらは決していいものではない。
断られたセバスチャンは大げさに肩を下げ、芝居がかったようにため息をついた。
「たまにはご褒美をくれてもいいでしょう」
「なぜ使用人に褒美をやらなきゃならん。僕に従うのは義務だろう」
「厳しいご主人様です」
「褒美が欲しいなら他をあたれ」
フイと顔を背ければ顎を掬い取られ、自然な動作で再びセバスチャンの方に向けられてしまう。
気が付けば相手の顔がどんどん近寄ってきていて、頬に吐息を感じるまでになっていた。
「ちょ・・・近いだろう、離れろ」
「坊ちゃんはいつもそうやって逃げますよね」
セバスチャンは小さな声で囁くように耳元で息を吐く。
時折耳朶に唇が当たり、くすぐったさに身を捩るが手が離れることはない。
「さっきも言ったでしょう、そういうことじゃないと」
「や、離れろセバスチャンっ」
「本当は全部分かっているくせに」
「さっきから何を言ってるんだ!」
「言っていいのですか?」
その言葉にシエルはビクリと身体を震わせる。
そんな自分の反応に正直驚いた。これから何を言われるのか知らないのに、怯えている自分がいる。
(何なんだ一体ッ)
そう思うも、心のどこかでセバスチャンのように、分かっているくせに、と嘲笑する自分も確かにいて。
どちらにしても、セバスチャンの言葉を聞きたくないシエルは逃げるように瞳を閉じて無理やり俯いた。
「坊ちゃん・・・」
「・・・いやだ」
甘く囁かれる名前に、シエルは首を横に振る。
聞きたくない、聞きたくない。
離してくれ・・・と懇願するように呟けば、掴まれていた手首と顎がそっと離され自由になる。
開放されたシエルは一歩後ろに下がり俯いたまま距離を取れば、耳にドロリとした声が響いた。
「今日はこれで勘弁してあげますよ」
でも。
「いつまでも逃げられるわけじゃありませんからね、坊ちゃん」
追い立てるような台詞にシエルは唇を噛み、己の服の裾を握り締める。
そしてコクンと1つ頷いてしまった自分に、なぜだか嫌気が差した。
end

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