「ガチャン」
重たい錠が掛けられる音が室内に響いた。
枕に顔を沈み込ませていた僕はその音に反射的に顔を上げれば、扉の前に立つセバスチャンの背中が目に映る。
「シエルは、いつも隠し事がお上手でしたね」
「・・・は?」
突拍子も無い言葉。
慰めるのが面倒で、適当な会話に逃げているのだろうか。
いや、そうだったら鍵など閉めずにこのまま部屋から出て行っていても可笑しくない。
ほっとくには可哀相だったから?
けれど、今のコイツの背中は。
「周りの誰からもバレない嘘をつく」
酷く怒っている。
「セバス、チャン?」
「具合が悪いときも、悪戯をしたときも、周りの誰にも気が付かれない。上手く笑って、嘘をついて、騙して、ごまかして」
ですが。
「私だけは、それを全て見破ってきた」
くるりと振り返る。
セバスチャンの顔がこちらを向き、まっすぐと見つめてきた。
こんな状況でも「あぁ、その瞳に映ったのは久しぶりな気がする」と少しでも感動してしまった僕はどれほど残念な奴なのだろう。
僕が映る瞳は、怒りで満ち溢れているというのに。
先ほどまで零れ落ちそうだった涙はいつの間にか止まり、僕はただ怒りに燃えるセバスチャンを見つめ返す。
「フラれた、との言葉に嘘は感じないですね」
「・・・真実だからだろう」
相手の足がこちらへと進んでくる。
僕は逃げることもせず、ベッドの枕を胸元に抱きしめた状態。
「ですが、シエルに“他に”好きな人がいるだなんて知りませんでしたよ」
私にも分からないよう、隠していたんですか?
ギシリと揺らしながら、僕が寝転がるベッドに腰を掛けた。
もしかしたら僕がベッドにいる時に同じようにベッドにいるのは初めてなんじゃないだろうか。
しかし今はそっちのことを考えている場合じゃない。
コイツの言った“他に好きな人”とはどういうことだ。
「言っている意味が分からない」
「隠しているつもりは無かったと?」
「あぁ。隠しているつもりは無かったし、それに」
他に好きな人とはどういうことだ、という言葉は紡がれない。
気が付いたら唇はセバスチャンに塞がれていて、相手の顔が視界を埋めていた。
「んッ・・・!?」
驚いた僕は、咄嗟にセバスチャンの肩を掴み引き剥がそうとするが、もともと力が弱い僕では引き剥がすことなど出来ない。逆にセバスチャンはどんどん倒れ込み、こちらの方に体重を掛けてくる。
「ん、う・・・ふぅ・・・んン!!」
舌が口の内に忍び込み、まるで飴玉でも舐めるかのように歯列や上顎を擽っていく。
いきなりの口付けに自分の舌は奥で怯えていたのだが、それすらも絡め取られてしまう。
「ふ・・・んぁ・・・」
擦り合わせられたり、吸われたり・・・。
頭の奥がだんだんと白くぼやけてくる。
仕方ないだろう、ずっとずっと好きだった奴との口付けなのだから。
無意識に、縋るようにセバスチャンの服を掴めば、セバスチャンはそれにピクリと反応し、口付けを解いた。
「・・・随分と気持ち良さそうな顔をしていますね」
「んなッ」
言われた言葉に、カァっと顔が赤くなったのを感じる。
それを見た相手は口角を吊り上げた。
「私にとって貴方はとても素直な子だと思っていたのですが。まさか隠しているつもりがなかったことを見破れなかったなんてね。ちょっとそのことについて過信しすぎていましたか」
「そのこと?」
そのこととは何のことだと聞くが、セバスチャンは何も答えず哂うだけ。
それが何だか面白くなくて眉を顰めるが、次に相手が取った行動で、別の意味で眉を顰めることになった。
セバスチャンは僕にのしかかっていた身体を起こし、僕から離れる。
一瞬開放されるのかと思ったが、僕に跨ったままな状況は変わらないので、どうやらそういうわけではないらしい。
次は何をするつもりなのかと見守っていれば。
相手はおもむろに自分の服、ワイシャツのボタンを外し始めたのだ。
「なに、を」
セバスチャンの裸体など、何度も見たことはある。
幼馴染なのだから一緒に着替えたことだって、幼い頃一緒にお風呂に入ったことだってある。
けれど。
自分に跨った状態で服を脱いでいる姿なんて、勿論見たことはない。
子供の頃のままだったならば、こんなに鼓動が大きく、そして早くなることはなかっただろう。
しかしもうあの頃の子供ではないのだ。
相手も、そして自分も。
閉められた鍵。
先ほどの口付け。
自分に跨る相手。
脱いでいく服。
それで答えが導かれないわけが無い。
「慰めてあげるんですよ」
全てのボタンを外したセバスチャンはバサリとそれを脱ぎ捨てて、ベッドの下へと投げ捨てる。
そんな乱雑な行動を今まで見たことがあっただろうか。
いや、まず、こんなふうに冷たく哂うセバスチャンを見たことがあっただろうか。
「慰めろって言っていたじゃないですか」
「言った、が・・・」
確かに僕はセバスチャンに慰めろと言った。
心の中で“僕に触れろ”とも思ったけれど、その“触れろ”は、頭を撫でるだとか、頬を撫でるだとか、肩を叩くだとか、そう励ましの意味の“触れろ”だ。
こういう意味で言ったわけじゃない。
「別にいいでしょう。あんなに口付けを気持ち良さそうにしていたんです。嫌なわけじゃないでしょう?」
「なッ・・・!お前は、どして、そんな!」
「恥ずかしいことを言うんだ、ですか?別に私は真実を述べただけですから」
「・・・・・・ッ」
あぁ。
セバスチャンの言っていることは真実だ。
好きな相手からの口付けは、本当に気持ちよかった。
でも。
「大丈夫です。優しくしますよ」
でも、こんなふうに抱かれたくは無い。
気持ちの無い相手に抱かれるほど僕は安くないし。
それに。
好きな相手に、同情で抱かれるほど、悲しいことはない。
「パン」
僕はこちらの服を脱がす為だろう伸びてきた手を払い落とす。
「シエ、ル」
僕が驚いた時と同じくらい驚いたような声。
それはそうだろう。
僕は初めてセバスチャンを
拒絶したのだから。
「優しくなど、ないだろう」
「・・・・・・」
「優しくされたって、優しくなんかない」
同情なんて、優しくない。
悲しいだけ、寂しいだけ。
「・・・そうですか」
「ちょ・・・ッ」
けれどセバスチャンは再び手を伸ばし、僕の制服のボタンを外していく。
「やめろって!」
「シエルが望んだんでしょう?」
「違う!慰めろと言ったが、そういうことじゃない!」
すでに半分までボタンが外された制服を胸元に寄せて睨みつけるけれど、その両手は片手で持たれ、シーツの上へと縫いつけられてしまう。
言葉だけではなく首を横に振っても拒否を示したが、セバスチャンは受け付けない。
「シエルに拒否権は無いですよ」
「はぁ?!」
「まったく、ずっとずっと大切にしてきていたのに。いつの間に余所見をしていたのですか」
「待て、何を言っているんだ!」
「これなら最初からこうしておけば良かったですね」
「ん・・・ッ」
もう片方の手がボタンを全て外し、そのまま胸元を撫で上げる。
幼い頃から変わらない低い体温の手が意を持って触れてくる感触に、ゾクリと震えてしまう。
「セバスチャン、待て!嫌だ!」
「言ったでしょう?拒否権はないと」
「でもッ」
「シエル」
名前を呼んだかと思えば、縫い付けられていた腕から手が離れ、代わりに優しく額の髪をかき上げた。
雰囲気、そして言葉とはかけ離れた優しい手付きに僕は目を見開いてセバスチャンを見つめた。
そこには幼い頃によく見た、優しい笑顔。
久しぶりに、やっと見れた笑顔なのに。
涙が溢れて視界が歪む。
どうして今、そうやってお前は微笑むんだ?
どうして今、そうやって微笑めるんだ?
同情しているから?
なのに拒否権がないってどういうことだ?
大切にしてきたって、僕を?
ならどうして、こんなことをするんだ?
分からない。
分からないんだ、セバスチャン。
「シエル」
ゆっくりと唇が近づいてくる。
それを嫌がるように顔を背ければ、今度は頬を優しく撫でられ。
セバスチャンの方を向かざるおえないように、甘い毒を垂らされる。
そして唇が重なれば。
また胸元を撫でる手が動き出した。
しかしもうそれを止めようとはしない。
もういい。
これを最後の思い出にしよう。
セバスチャンがどういう思いで僕を抱くのかは分からない。
慰めてくれたら、まだこの気持ちを持ち続けて頑張ろうと思ったけれど、もうそれもやめよう。
フラれた相手に慰めを求めた罰が下ったんだ。
フラれた相手に慰めで抱かれるなんて。
もう今は全てを忘れて、セバスチャンの冷たい体温を感じてしまおう。
最後にいい夢を見たと思えばいい。
「セバス、チャン」
名前を呼べば、相手はどこか狂気を含んだ笑みを返したが。
シエルは涙を流しながらそれに微笑み返し。
固く瞳を閉じた。
―――けれど、本当はそれは間違っていたんだ。
このときお互いの気持ちをちゃんと確認し合っていれば。
きっとこの時を後悔する日が来ることなど無かった。
ちゃんと話していれば、
お互いにお互いを傷つけ合う日々を送ることは無かったのに―――
(To be continued?)

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