「セバスチャンとシエルっていつも一緒にいるわよね」
仲がいい証拠ね!
リジーにそう言われて、眉を顰めたのは自分ではそんなことを意識したことが無かったからだ。
主人と執事がいつも“同じ所”にいることは当たり前だし、なにより自分とセバスチャンは獲物と捕食者の間柄なのだ。
捕食者が獲物から目を離すわけがないだろう。
だが。
それを知らない一般人には“いつも一緒にいる”と思ってしまっても仕方の無いことなのかもしれない。
ただ、その張本人たちは気が付かないだけで・・・。
そこでふと、疑問がシエルの頭をかする。
(アイツは、気が付いているんだろうか)
相手は人間よりも賢い悪魔だ。
周りの人間が自分たちを見て、どう思っているかなんて百も承知なのかもしれない。
きっと勘違いをしている愚かな人間を裏で嘲笑っているのだろう。
アイツはそういう奴だ。
しかし。
これで遊んでみるテはある。
僕がこんな話題をふっかけたら、アイツはどんな顔をするだろうか。
「暇つぶしには丁度いいかもな」
花瓶に活けられている白薔薇の花びらを一枚だけ取り、
その白い姿にポタリと黒いインクを垂らして
シエルは哂った。
― You are not a butler ―
「僕とお前はいつも一緒にいるように見えるんだそうだ」
スイーツと紅茶を持ってきた悪魔セバスチャンにシエルは笑い掛ける。
目の前に差し出されたショートケーキが一瞬ピクリと反応するが、すぐに音もなく美しく、完璧に机の上に置かれた。
「それはそうでしょうね。執事とは影のように主人に付き従う者。坊ちゃんのお傍を離れたら私の美学に傷が付きます」
「その言い分だと主人の為ではなく、己の美学の為に僕の傍にいると言っているように感じるが?」
「その他の答えをお望みで?」
綺麗に微笑みながら言うセバスチャンに、そんなわけがないだろう、とシエルはフォークを手に持った。
「僕と貴様の関係はそれ以上でもなければ、それ以下でもない」
「えぇ。それは貴方が一番理解していることでしょう」
「あぁ」
手にしたフォークを飾り付けられた苺にプスリ差し、持ち上げる。
生クリームの上に載っていたせいで、下の方は真っ赤な姿は白色に汚れていて。
それを舌だけで舐め取れば、セバスチャンは眉を顰めてシエルを叱咤する。
「お行儀が悪いですよ、坊ちゃん」
「執事が主人に意見するか」
「坊ちゃんの為を思って言っているのですよ」
「美学の為ではなく?」
「・・・主人を清く正しく育てるのも執事の役目。それは坊ちゃんの今後の為にもなり、そして必然的に美学の為にもなります」
「ふぅん」
どうでもいいように返事を返し、シエルは舐めていた苺を口に放り込んだ。
噛まずにまず口の中で転がして、そしてそれから一回だけ噛んでみる。
ジワリと広がる甘酸っぱさに唾液が溢れてくるのを感じながら、もう一度噛んで。
まだ大きな塊だというのに、それを無理やり飲み込んだ。
「何をなさっているのですかッ」
それを見たセバスチャンは慌てて紅茶を差し出し、シエルに飲むよう促す。
が、喉に詰まることが無かったのでシエルはそれを手で制し首を横に振った。
「別にいらない。喉には詰まらなかった」
「詰まってからじゃ遅いんです。先ほどから何なんですか貴方は」
「貴様は知っていたか?周りが僕たちを仲良しだと思っていることを」
セバスチャンの質問に答えることなく、いきなり言えば、今度こそセバスチャンは固まり「は?」と不機嫌さを露わにする。
その表情を引き出せたことに満足したシエルは、固まった手に掴まれたままの紅茶を受け取り、一口飲んだ。
温かい液体が喉を通っていくというのに、世界はどこか冷たいまま。
手に持っていた紅茶を取られたことによってスイッチが入ったかのようにセバスチャンは再び動き出し、まるで自分自身を落ち着かせるように長く息を吐いた。
「何が言いたいのですか」
「別に何も。ただ聞いただけだ。周りの連中が僕らを仲良しだと思っていたことを知っていたかどうか」
「それを知ってどうします?」
「主人の質問に疑問を持つか」
影のように付き従うのが執事なんだろう?
口角を吊り上げながら言えば、相手は瞳を細め此方を睨みつけてくる。
(これのどこが執事だ)
その悪魔らしい姿にやはりシエルは満足して、もう一度一口紅茶を口に含む。
「・・・・・・私と坊ちゃんを微笑ましく思っている者もいることは知っていました」
「それを知ってどう思った」
「・・・別に、なんとも」
周りが何を思っていようが自分には関係ない。
セバスチャンはそう言う。
「周りがどう思おうと、自分たちがどう思われようと自分の美学が守れればいいのか」
「そうですね。そして最期に貴方の魂が喰らえるならば」
「悪魔としての模範解答だな」
ソーサーと共に紅茶を机の上に置き、短く息を吐く。
流石に主人に向けて“愚かな人間がどう思おうが関係ない”とまでは言わないか。
けれど偽りである執事の皮の向こうから悪魔の本性が垣間見えたような気がして、やはりこの話題をふってみた価値はあった。
口角を吊り上げたまま再びフォークで苺を突き刺すと、今度は相手から同じ質問を投げかけられる。
「貴方はどう思いましたか?」
「なに?」
「私と坊ちゃんを仲良しだと思っている人間がいると知って」
「・・・・」
苺を差したフォークを手にしたまま一歩離れたところにいるセバスチャンの瞳を見つめる。
そこからは何の感情を読み取ることが出来ず、何を考えているか分からない。
(仕返し、か?)
そう警戒するも、別にこの程度のことが今後何か支障があるとは思えず、シエルは素直に本音で答えた。
「正直、驚いた」
「・・・と、申しますと?」
「僕はまず貴様といつも一緒にいるということすら意識してなかったからな。急にそんなことを言われて、意味が分からなかった」
「坊ちゃんにとってはいつも一緒にいることが当たり前であり、自然なことになってしまっていた、ということですか」
どこか表情を柔らかくした執事に、シエルは即座にそれは違うと切り返した。
「僕と貴様の関係はあくまで契約者と悪魔だ。喰われる者と喰う者。一緒にいる、ではなく“見張っている”方が正しい表現だろう。だから言われてもピンとこなかったんだ」
だってそうだろう?
シエルは苺を差したフォークをセバスチャンに向け、言葉を放つ。
「僕たちは決して一緒にいるわけではない」
「なるほど。貴方はあくまで契約のことを考えておられるのですね」
一瞬の沈黙の後、セバスチャンは静かに言う。
その声音や表情は何一つ先ほどと変わっていないが。
ただひとつ。
瞳の色だけが真っ赤に染め上がっていた。
「これは面白い話しですよ。私なんかよりも貴方の方がよっぽど悪魔らしい」
「…なんだと」
赤い瞳に宿られている何かにゾクリと背筋が震えるが、それを表に出すことなくシエルは言い返す。
「私は周りの人間がどう思おうと構わない。けれど“一緒にいる”ということまでは否定しませんでしたよ。それが主人と執事の間柄であれ、契約者と悪魔の間柄であれ、私は貴方の傍にいるのだと思っておりましたから。ですが貴方は“一緒にいる”ということすら否定なされた。一緒にいるのではなく、ただ見張っているだけなのだと。イコールそれは隣に立つ私の存在すら否定することになりますよね」
「べ、別に僕は貴様の存在を否定しているわけじゃ」
「否定しているわけじゃない?いいえ坊ちゃん、貴方の言葉は否定していることになるのですよ。執事として生きる私のことを」
セバスチャンはコツリと足音を立てて一歩前に踏み出す。
その瞬間怒りに似た威圧感がシエルを襲い、シエルは焦ったように叫んだ。
「き、貴様はもともと執事じゃないだろう!?僕の魂を喰らおうとしている悪魔だッ」
「えぇ、私は悪魔ですよ。ですが・・・」
口元に弧を浮かべながらしゃがみ、セバスチャンはシエルと同じ目線にする。
赤い瞳に映りこんだ蒼い瞳は相手を睨みつけているも、不安な色は隠しきれていない。
その己の姿に舌打ちしたくなるが、セバスチャンの次の行動でその悔しさは霧散してしまう。
「三年間もお仕えしてきた執事である私の存在を否定されるのは、心外ですね」
「・・・・ッ!!」
瞳と同じくらい赤い舌が、セバスチャンに向けていた苺に這わされる。
先ほどは行儀が悪いと言っていたシエルの行動をセバスチャン自身がしているのだ。
シエルはただ黙ったまま生クリームを綺麗に舐め取る相手を見つめることしか出来ない。
「もし本当に私が悪魔として貴方を“見張って”いるのでしたら、もっと楽だったでしょうね」
生クリームを綺麗に舐め取った苺をシャリ、と音を立てながらセバスチャンは半分くらいを口に含む。
そしてそれをそのままシエルへと寄せて口付けた。
「んむ・・・ッ!」
シエルは驚き、フォークから手を離してしまう。
絨毯の上にそれが落ちていくが、自分に被さるように口付ける悪魔は気にする様子もなく舌でシエルの唇を割り開き、口腔へと入り込んでくる。
それに抵抗する間もなく、まだ半分の大きさの苺が口に入り込み、舌で喉の奥へと押し入れられ。
「ぐ、ん・・・んン!」
目尻に涙が溜めながら、シエルはそれを無理やり飲み込んだ。
「ゴホ、げほッ・・・」
「おやおや、咽てしまいましたね」
先ほどよりも小さいと言っても、無理やり食べさせられるのとは話しが別だ。
シエルは胸を押さえながら咳き込めば、今度はセバスチャンの手が紅茶へと伸ばされる。
次に何をされるのか分かったシエルはそれを止めようと同じくそれに手を伸ばすが、セバスチャンの方が早くそれを取り、口に含んで再びシエルへと流し込んだ。
「んンッ・・・・」
ゴクリ、ゴクリとそれを呑み込んでいく。
追いつかなかったものは唇の隙間から漏れ出し、顎を伝って落ちていったがそれを気にかけている余裕はない。
ただ流し込まれてくる紅茶を必死に呑み込むだけだ。
全てを呑み終えると、セバスチャンの唇はゆっくりと離れていく。
ようやく開放されたシエルは胸いっぱいに酸素を取り入れて、乱れた息を落ち着かせながら口元を拭った。
「き、さまッ・・・」
「何を怒っていらっしゃるのですか。坊ちゃんの言う悪魔として接しただけですよ」
「悪魔、であっても、こんなこと、するかッ!」
「するんですよ」
「ッ・・・・!!」
胸倉を掴まれ、再び唇が近くなる。
けれど今度は重なることなく、セバスチャンは、否、悪魔は哂った。
「もし私がただの悪魔として接していたら毎日こうやって貴方に餌を与え、首には鎖をつけて、四六時中あなたを白いシーツに沈めていましたね」
「なッ・・・!!」
「“私”はそういうものです」
理解して頂けましたか?
拒否など許せないような声音で言われるが、シエルは相手を睨みつけたまま頷くことはしない。
理解は出来る。
嫌がるやり方で“餌”に餌をやり、首に鎖をつけて家畜のように扱う・・・。
そんな悪魔の姿を想像するなんて容易だ。
だが。
このまま下僕として仕えさせている悪魔に頷くなんて、己のプライドが許さない。
「随分と美しくないな」
シエルは口角を吊り上げて、目の前にある唇に今度は自分から己の唇を重ねた。
瞳を合わせたまま、閉じることはしない。
赤い瞳が驚いたように見開いたのをシエルは愉しそうに眺め、相手の上唇に歯を立てれば、簡単にそれは切れて鉄の味が口の中に広がった。
それを舌に乗せ、相手の舌へと絡める。
血と唾液が交じり混じった口付け。
お互い一度も視線を逸らすことなく見つめたまま、相手の口腔を貪った。
「・・・美しくないのは、貴方も同じでしょう」
唇が離れると、セバスチャンは血が流れた唇を舌で舐めながら哂う。
「そんなこと百も承知だ」
そしてシエルも己の唇についたセバスチャンの血を舌で舐め取って哂った。
「僕も貴様も美しくなど無い。周りが思っているような人間でも無ければ、執事でも無い。陽の下に出られるような間柄でも無いな」
「あくまで“一緒にいる”ことを否定したいと」
「あぁ。貴様は僕と“一緒にいる”と勝手に思っていればいい。執事として役目を果たし、必死に悪魔の本能を押し殺していると。だが僕からしたら執事の姿も悪魔の姿も同じものだ。だから“一緒にいる”ということは認めない」
「・・・坊ちゃんは随分と私のことを嫌っておいでですね」
「当たり前だろう」
そっと手を伸ばし、セバスチャンの頬を撫でる。
自分の体温より低い相手はひんやりとしていて、自分の方が温かく感じるが。
きっと今の自分は悪魔よりも冷たい。
「好きだと言って欲しかったか?」
「いいえ?私を好きだなんて囁く貴方なんて反吐が出ますね」
頬に触れる手にセバスチャンも自分の手を重ね、シエルの頬にも手を伸ばす。そしてシエルもそれに自分の手を重ねて。
先ほどからどちらかがやったことを真似て、同じことをやっているなんて子供染みていて滑稽だ。
しかもお互いにしていることと、吐き出されている言葉との温度差。
まるで見た目は恋人みたいなのに、会話は仲が悪い二人でしかない。
だがこれでいいのだ。
これはただの、暇つぶしなのだから。
「それを聞いて安心した」
「私も安心しましたよ」
嫌われていて安心した。
二人はそう笑う。
「たまにまた、先ほどのように坊ちゃんにスイーツを与えても宜しいですか?」
「・・・あれは苦しいから嫌だ」
「おや、残念」
「だが」
「たまにはこうやって暇をつぶすのは構わない?」
シエルが言おうとしていた言葉を取って、セバスチャンが先に言ってしまう。
主人の言葉を取るとはどういうことだと文句を言おうとするが、その言葉は紡がれず。
再び唇が重なりあった。
「・・・・ん」
それに今度は瞳を閉じて。
嫌いな相手の全てを――――・・・・・・。
「まったく、坊ちゃんには困ったものですね」
真夜中。
シエルが深い眠りについた後、セバスチャンは廊下を歩きながら微笑む。
まさかエリザベス様に言われた言葉をあそこまで気にするとは予想外。
そしてあそこまで冷たい言葉を言い放つことも予想外だった。
「だから面白いんですよ」
貴方は。
手の平にある黒いインクが垂らされた白い花びらを見つめ、
それを一瞬のうちに燃やして
セバスチャンは哂った。
― You are not a lord ―

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