世界はいつも残酷で、気を抜けば地獄へと引きずり落としてくる。
「滑稽だな」
ベッドに腰を掛け、中身が空っぽなカップを見つめながら哂う。
本来ならば今自分はここにいない。
復讐も終え、契約通りに事進めば魂は悪魔に食べられていた筈なのだ。
けれど今自分は生きている。
悪魔として。
「楽しいですか?」
悪魔はすでに獲物として価値のない主人に声を掛ける。
その声は以前と比べて冷たく、そして表情も。
主人はそんな執事を見て、満足そうに頷く。
「あぁ。いつも高みから傍観している悪魔を地獄に引きずり落とすことが出来たからな」
人間を餌としか考えず、己の手の平で転がっている様を見て楽しむ悪魔。
どこまでも人を馬鹿にしてくれた。
たかが魂一つのために、巻き込まれ振り回された。
しかもそれは、悪魔の都合だけで。
「お前は本当に間抜けだな。下ごしらえに時間を掛け過ぎた為に、永遠に僕の下僕となったわけだからな」
蜘蛛から奪い返した時に早く食べてしまえば良かったものを。
シエルは新たな瞳をセバスチャンに向けながら口元に弧を描く。
執事はその様子にため息をつきながら、カップに紅茶を注ぎ足す仕草をする。
そして。
「本当は貴方がそれを一番望んでいたのではありませんか?」
同じ赤い瞳を光らせながらセバスチャンも口元に弧を描く。
「何?」
「悪魔になることを心の底から望んでいたように思えませんし。私・・・いえ、私達悪魔に対する復讐にしては手の込んだことをなさる」
「僕は何の力もない人間だったんだ。これくらいしなければお前達に復讐など出来ない」
「貴方を家畜同然にまで貶めた天使共の復讐の為に悪魔と契約をして魂を差し出す。そして、都合だけに振り回した悪魔に対しての復讐には、人間としての生を差し出した。惚れ惚れしますよ、貴方のその復讐心には」
ですが。
セバスチャンは手に持っていたポットをワゴンに戻す。
その完璧な仕草だけは、今までと変わらない。
「ですが、貴方は最期の最期でいつも優しさを捨てきれない」
「っ!!」
「どうしてハンナさんと契約をした時に、別の方法を選ばなかったのですか」
アロイス・トランシーとの契約の際に、貴方の是非も問われた筈です。
シエルは鋭い指摘に目を細める。
そう。悪魔共に自分の魂を食われないようにするには、もっと別の方法もあった。
アロイスがハンナに魂を食われる際に消滅してしまうことだって出来た。
けれど自分は悪魔となることを選択した。
悪魔として蘇ることをアロイスそしてハンナが選択したワケではない。
シエル・ファントムハイブ自身が選択したのだ。
なぜそんな選択をしたのか。
「哀れ、だと思ったのですか?」
「・・・」
「今まで誠心誠意仕えて来た執事に対して。だからご自分も望まぬ末路を歩くことにしたのですか?」
「だとしたら?」
カップに口をつけ、静かに聞き返す。
どうせ次に言う台詞は分かっている。
どんなに獲物として価値のない主人だとしても、嫌味な本質は変わらないのだから。
そしてセバスチャンは。
「滑稽ですね」
先ほど言ったシエルの口調を真似て言った。
・・・やはりな。
言われた言葉にたいした怒りも湧いてこず、苦笑する。
「残念ながら、貴様を哀れに思って悪魔になったわけじゃない」
「おや、ではなぜ?」
「だから、お前らに対する復讐だ」
「それだけですか?」
「僕がただ死んだらお前を一生下僕にさせることが出来ないだろう。だから必然的に悪魔になることを選んだ」
もう貴様に二度と自由はない。最高の結果だろう?悪魔。
セバスチャンはその言葉に苛立ったように唇を噛む。
いい表情だ、シエルは哂う。
そしてカップをセバスチャンに渡そうと差し出すが、セバスチャンはそれを受け取らない。
「おい、お前」
「・・・もう貴方に二度と自由はない。最高の結果でしょう悪魔」
「は?」
シエルはセバスチャンの呟いた言葉に差し出したカップを自分の方に戻す。
「貴方の言葉をそのままお返し致しますよ、マイロード」
「どういうことだ」
「貴方も二度と私から離れられないと言っているんです。永遠にね」
セバスチャンは言う。
「貴方がただ私へ復讐をするために悪魔になったのか、それとも哀れに思い悪魔になったのか、本心は分かりませんが、どちらにしろ貴方は悪魔となった。それは貴方の望んだ結果かもしれませんが、本当はお嫌なのでしょう?」
「なぜそう思う?」
「じゃぁ、なぜ人間の時のような・・・このようなままごとをなさるのです?」
シエルの手にある空っぽのカップを指差す。
「本当は悪魔になんて、なりたくはなかったのでしょう?」
「黙れ貴様」
「本当は私に魂を食べられて最期を迎えることを一番に望んでいたのは貴方だ」
「黙れと言っている」
シエルは指にカップを引っ掛けたまま立ち上がる。
そしてセバスチャンを睨みつける。
「貴様に僕を詮索することは許していない。これ以上無駄なことを言うのならば口を塞ぐぞ」
「おや、大変失礼しました。ご主人様」
馬鹿にした物言いにシエルは舌打ちをする。
自分も悪魔となったが、関係は変わることは無いらしい。
もう少し手綱が上手く引けるかと思っていたのだが。
どうやら、悪魔暦の長いセバスチャンの方が、やはり一枚上手なのだろう。
シエルは立ち上がったまま、しばらく空っぽのカップを見つめ、
そして床に叩きつける。
まるで全てを捨てるかのように。
その様子をセバスチャンは愉快そうに眺めている。
失ったものは二度と戻らない。
そう。
この粉々になった、空っぽのティーカップのように。
味の無い紅茶
それでも、まだ憶えているから。

PR