(世界で一番大嫌いシリーズ、恋人設定)
テスト期間中の学校は静かなものだ。
今は部活も休みのため騒がしい音は聞こえてこないし、たとえ残っていたとしても勉強をするためなので、校内の静寂は保たれている。
この期間ほとんどの生徒は家で勉強するか、逆にこの期間を利用して勉強などせずに遊び呆ける連中も少なくない。ようするに、あまり学校に生徒は残っていないのだ。
トン、と世界史の教科書とノートをそろえ、息を吐く。
静かな教室ではその音は妙に響き渡り、まるでこの世界に一人ぼっちになってしまったような錯覚に陥る。
それにシエルはどこか柔らかな笑みを浮かべ、オレンジ色に染まった空を座ったまま窓越しに眺めた。
テスト期間中シエルは教室に残り、一人静かに勉強していた。
別に家で勉強するのもいいけれど、なんとなくこの静かな学校が好きでいつも残っているのだ。
勉強自体も授業を受けているだけで問題はないので、そこまで気を張って勉強することもない。
「綺麗だな」
静かな校内から見る夕焼け空。
一人ぼっちの世界を優しく包んでくれている。
決して今の状態が寂しいわけではないのに、なぜだがこの夕焼けが自分を慰めてくれているように思えるのだ。
もともと空を眺めるのは嫌いではなく、むしろ好きな方だ。
狭くて息苦しい世間から救い出してくれる、この世界の窓のようなものにも感じる。
「なんて、どうかしてるな」
柄にもないことを考えた自分に苦笑し、もう帰ろうと教科書とノートを鞄の中に詰め込んでいく。
しかしふと、とある音色が耳をくすぐり動きを止めた。
「ピアノ?」
ふわりと、まるで甘い匂いが香るかのように聞こえてきた音。
それはどこか切なげで、けれど未来を見ているように意志のある音色で。
けれど。
「…泣いているみたいだ」
聞こえてくるピアノの音が紡ぐ曲は窓の外にある色と同じ“夕焼け小焼け”
それは小学校の音楽の教科書に載っているような子供染みた曲であるにも関わらず、何かのアレンジがされているのか、とても美しい旋律を奏でている。
けれどやっぱりどこか泣いているような響きだ。
シエルは教科書とノートを詰め込んだ鞄のチャックを素早く締め、それを肩に掛けて教室を出ていく。
自然とその足は駆け足で、パタパタパタ、と安っぽい足音がピアノの旋律と混ざり合って美しさを壊してしまうが、関係ない。
早く、早く。
誰が弾いているのか分からない、分からないけれど、早く。
――――から。
「はっ・・・は、」
音楽室に近づくにつれて速度を落としていく。
運動を得意としないのですでに息が上がり、肩で息をしている状態だけれど気にしない。
あんなに煩く響かせた足音を、今度は響かせないよう細心の注意をしながら音楽室の扉の前に立った。
扉についている小さな窓から中を覗けばピアノを弾く人間の後姿。
その後姿はよく知ったもので、あの音色を紡いでいたのが彼であることに対して驚きもせず、シエルは静かに扉を開ける。
たとえどんなに静かに扉を開けた所で、完全に開く音を消せるものではない。
“ガラガラ”と小さな音を立ててしまう。
しかし彼はピアノを弾くことは止めず、振り返ることはしない。
もしかしたら入ってきた人間が誰だか分かっているのかもしれない。
己が“もしかしたら彼が弾いているのかもしれない”と想像していたのと同じように。
電気も付けずに弾く彼は、常に黒色の筈なのにオレンジ色に染められている。
けれど漆黒の髪だけは染まることなく、まるで一人ぼっちの世界を優しく包んでくれていると錯覚できるほどの柔らかい感触を持つ夕焼けに拒絶されているかのようにも思えてしまう。
だから、この“夕焼け小焼け”が、まるで泣いているように聞こえるのだろうか。
―――いや、そういうことじゃない。
シエルは開けた扉をくぐり、今度は遠慮なく音を立てて閉める。
しかしそのまま中に入っていくようなことはしないで、肩から掛けた鞄を置き、その場に腰を下ろした。
背凭れにした扉が少し軋んだ音を立てたが、気にしない。
瞳を閉じて、彼が紡ぎだす音を身体に取り込んでいく。
いつまでたっても終わらないその演奏を気が済むまで聴き、ついに口を開いた。
「ピアノ、弾けるんだな」
「幼少時代に少し習っていたので」
急に話し掛けたことに対して驚きもせず、そして弾く手を休めることもなく返事をする。
その間にも音ひとつ誤ることなく美しい旋律を奏でているのだから、少し習っていた、なんて言葉は嫌味にしか聞こえない。
それに幼少時代なんて何年前の話だ。
シエルは小さくため息をつき、瞳を開けてまっすぐ彼の背中を見つめる。
「嫌いなのか」
話の流れも考えずにそう問えば、は?と怪訝な声が返ってきた。
まだ彼は振り返らない。
「ピアノ、嫌いなのか」
「いいえ、嫌いでしたら弾いてませんよ」
「夕焼けが嫌いなのか」
「・・・話が見えませんが」
「どうして」
「そんなにも寂しい音なんだ」
ピアノの音が止まった。
「泣いてる声が聞こえる」
「・・・・」
「お前に似合わない」
どうかしたのか、とは聞かない。
別にピアノが嫌いなわけでも、夕焼けが嫌いなわけではないということも分かっている。
どうして彼の、セバスチャンの弾くピアノの音が泣いているのか。
その理由は、きっと分かっている。
だって・・・――――
「セバスチャン」
シエルは立ち上がり、一歩足を踏み出す。
彼が自分を追い詰めるときを真似て。
「手をつないで帰るか?」
呼ばれている、
そう思ったから。
「テスト期間中は勉強なさるのでしょう?」
「・・・そんなに根に持っているとは思わなかった」
今度は大きくため息をついて前髪をかき上げた。
子供みたいに拗ねた声で返ってきた言葉は、いつも強気の彼よりも質が悪い。
それはこの間の車の中で、テスト期間中は一緒に帰らない、セバスチャンの部屋に行かないと宣言をした時に身をもって理解している。
「だが最後は分かったって頷いていただろうが」
「それは貴方のためを思ってです」
一応私も教師ですしね。
ポーン、と“ソ”の一音だけを響かせる。
その音は高くもなく低くもなく、明るいとも暗いとも言えない音であるのに、やはりやけに寂しげで。
だから似合わないだろう、と口元を歪めた。
「いいですよ、勉強なさってください」
「・・・どこまでも質が悪いな、お前」
「それは貴方がよく知っていることだと思いますが?」
その台詞はいつもより覇気がないが、きっと口元は自分とは逆に弧を描いているだろう。
背中を見ていれば分かる。
(あ、そうか)
――――しくじった。
先ほどの演奏は“罠”だったということに今更気づいたところでどうすることも出来ない。
呼ばれていると、その音色に惑わされ音楽室に来たのは己からなのだから。
「ねぇシエル。私は寂しいですよ」
「・・・・」
「一人で見る夕焼けなんて、好きじゃありません」
「…馬鹿か」
セバスチャンの言葉に頬が少し熱くなったのを感じて、見られているわけでもないのにシエルは顔を若干下に向けた。
きっとセバスチャンは先日あたりから一人教室でテスト勉強をする自分を見ていたのだろう。
夕焼けを見ながら微笑む姿も。
弾く曲を“夕焼け小焼け”にしたのもそこからきているに違いない。
どこまでも狡い男だ。
「あ~、分かった」
息を吐きながら投げやりに言う。
彼の思惑に自ら嵌ってやるのだ。これくらいいいだろう。
「一緒に帰る、それでいいな」
「家には?」
「寄らん。一緒に帰るだけで有難いと思え」
「・・・まぁいいでしょう」
どうしてそんなにも偉そうなんだと文句を言いたいが、きっと言ったところで反省しないから口にはしない。
こいつと一緒にいるには諦めも大切だということを学んだ。
それにもう一緒に帰ると言った時点で家に寄ることになるのは決定事項だ。
彼がそのまま車で家に送ってくれるとは思えない。どう抵抗しても文句を言っても行きつく先は彼の家だろう。
それも仕方がないと承諾していることに関してもきっと彼は気が付いているに違いない。
「シエル」
彼の家でテスト勉強をしている間にケーキでも焼かせようと考えていると名前を呼ばれる。
視線を上げれば、椅子に座ったまま緩やかに微笑むセバスチャンが両手を広げてこちらを見ていた。
「・・・・」
それを見つめたまま動かないのは少しの反抗。
けれどこのまま動かないと何をされるのか分かったものじゃない。
それに・・・、
自分を慰めてくれていた筈の夕焼け空が、夜の黒色に浸食され始めたから。
「馬鹿セバス」
その腕に自分の身体を滑り込ませた。
「そうですね」
椅子に座っているせいかクスリと笑った声が耳元で聞こえ、くすぐったい。
しかし逃げる時間もなく、すぐに両腕で身体を痛いほど抱きしめられ、
「んっ・・・」
口付けられた。
柔らかく唇を食まれ、吐息が漏れる。
いつもの激しさなどどこにもない優しい口付けは、互いの存在を確認しあっているようで。
胸がキューっと苦しくなる。
「っはぁ」
唇が離れれば口から熱い息を吐き出し、潤んでしまった瞳を隠すように視線を逸らす。
それはもう癖と言っても過言ではないだろう。
いつも口付けの後は見つめ合うものだと言われるのだが、今日はその言葉は聞こえてこない。
ただ優しく手の平で頬を包み、親指で頬を撫でてくる。
「寂しかったのは、本当ですよ」
小さな、本当に小さな声で呟かれた言葉。
それに負けず劣らず小さな声で、知ってる、と返した。
あのピアノの音色は嘘ではない。
そんなこと分かってる。
ただ泣いている音になってしまうと分かっていて、それを自分が聴くだろうということを分かっていて弾いたことが“罠”であっただけで。
彼の出した音色が嘘だとは全く思っていない。
嘘であったのならば、今自分はここにいないだろう。
「…帰ろう、セバスチャン」
頬を撫でる手に己の手を重ね、恥ずかしくとも視線を必死に合わせる。
「また今度、ピアノ聴かせろ」
「喜んで」
もうあんな寂しい音は聴きたくない。
けれどきっともうあんな音色を奏でることはないだろうから。
今度は彼らしい演奏が聴きたい。
笑みを浮かべながら頷いたセバスチャンは額にチュッと優しく口付け立ち上がる。
どうやら本当に手をつないで帰るつもりなのか、自然な動作で手を取られてしまった。
(手をつないで帰るといっても、生徒玄関までか、車に乗るまでだろうが)
いつもなら振り払うけれど、今日は特別。
シエルも少しだけ相手の手を握り締めて歩き出す。
テスト勉強に精を出すのは決して悪いことではないし、むしろ教師であるセバスチャンがそれを嫌がる方が間違いだと思うけれど。
それでも、寂しい思いをさせてしまったことに対しての、
小さな小さな“ごめんなさい”
「セバスチャン」
「どうしました?」
「…いや、なんでもない」
つないだ手を揺らしながらシエルは笑った。
慰めてくれるような夕焼け空。
けれどもうそれは姿を消して、
愛しい黒色の夜空が顔を覗かせていた。
end
*****
キリ番を踏んでくださったココ様に捧げます!
リクエスト『教師×生徒シリーズでセバスチャン先生が楽器を弾く』という、素敵なリクエストをいただき、書かせていただきました^^
なんだか格好いい姿ではなく、なんだか少し切ないような感じになってしまいましたが・・・
いかがでしょうか?!(ドキドキ)
リテイク、いつでもお待ちしております!
これからも是非仲良くさせてくださいね^^

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