正直、こうも続けてあのようなゆめを見るのは気分が悪い。
現実ではなかったことがせめてもの救いだが、なんだか自分が彼とこうなることを望んでいるかのようではないか。
そんなことはない。
有り得ない。
それなのに、なぜあんなゆめを見るのか。
(どっから湧いて出てきたんだか・・・)
関心を通り越して呆れ。
けれど少しの疑問。
それは相手が悪魔であるが故の疑問だろう。
なぜ あんな ゆめ を 見るの か。
だがゆめはゆめだ。
現実にあったことではない。
ただそれだけがせめてもの救い。
ゆめであることが、
せめてもの、
救いなのだ――――
瞳
も
甘い
も
この声
も
パチャン、
水が跳ねる音が浴室を響かせ、ついでのように鼓膜も振るわせる。
浴槽の縁に頭を下ろし身体を弛緩させれば、まるで温かいシーツの中にいるかのようだ。
以前このまま目を閉じてウトウトしていると、後ろにいる執事に怒られてしまったことがあったので注意せねば。
そう思うもこの心地よさで一度目を閉じてしまうとなかなか開かず、眠るときのように深い呼吸を繰り返してしまう。
するとやはり煩い執事が声を掛けてきた。
「先ほども眠っておられたというのに、また眠るつもりですか」
「・・・別にいまは寝ていない」
「そのままでは本当に眠ってしまいますよ」
呆れたような声。
長い付き合いからか顔を見なくとも、彼がどのような表情を浮かべているのかが手に取るように分かる。
しかしシエルはそれでも目を開けようとはしなかった。
「寝たら起こせ」
「・・・前に怒られたことを憶えていらっしゃらないと」
「いや憶えてる」
「なら、」
「なぁ、セバスチャン」
まだ言葉を重ねようとするセバスチャンを制止するようにシエルはわざと言葉を重ね、そして「パチャン」と水の音を響かせた。
持ち上げ振り下ろした腕は水しぶきを顔に飛ばしたが、別に気にしない。
「・・・・」
こちらの雰囲気を察したのだろうかセバスチャンはそんなシエルに何か言うことはせず、そのまま口を閉ざした。
(よく出来た狗だ)
シエルは静かに、先ほどまで考えていた疑問を口にした。
「悪魔は人間に夢を見させることは可能なのか」
「・・・それは悪魔が見させたい夢を人間に見せることが可能かということですか」
「まぁ、そういうことだな」
シエルがそれに頷けば、セバスチャンは考える間を作ることなく「可能ですね」とあっさり答えた。
「しかしそれはあくまで悪魔の力を使って、です。ただ私が念じれば相手が見るというものではありません」
「ということは人間らしくしていろという命令がある限り、お前はそういうことをしないと」
「坊ちゃんからの命令があれば話は別ですが・・・」
クスリと笑いながら言うセバスチャンにシエルは釣られることなく、彼の真似をしてあっさりと「そうだな」と返す。
命令がある限り、夢を見させるようなことはしない。
命令をされたら、夢を見させることはする。
どちらにしても鍵を握っているのは“命令”ということだ。
(だが僕はコイツに命令などしていない)
ならばあのゆめは本当にただの夢なのだろう。
「最近、何か夢でも見られるのですか?」
「・・・いや、別に」
たった今思いつきましたという態で問うてきた彼。
それが“真実”かどうかは分からない。
シエルは少しの間の後に目を開いて首を横に振った。
久しぶりに開いた視界の向こうは眩しくて、目が細くなってしまうのは仕方の無いこと。
「ではなぜ今のような質問を?」
「ただ出来るかどうか、疑問を持っただけだ」
「疑問を持つということは、その疑問を持ったワケがありますよね」
「・・・・」
このまま聞いてしまおうかと、一瞬考えた。
嘘は付くなと命令してあるから聞けばすぐに分かる、と。
けれど――――
「・・・・」
シエルは浴槽の中で身体を回転させ、頭を乗せていた縁に今度は腕を乗せて後ろを見る。
そこには腕を捲くり珍しく手袋も脱いでいる彼の姿があり、あのゆめとは違う存在・・・全く別の存在がいた。
赤い瞳を持ちつつも、まだその悪魔の片鱗を見せていない執事。
――――当たり前だ、今はそんな姿になる必要などないのだから。
無表情で何を考えているのかも分からない執事。
――――当たり前だ、微笑む必要だって今はどこにもないのだから。
その声で、ただ名前を呼ぶことがない執事。
――――当たり前だ、用が無いときに名前など呼ぶ必要などないのだから。
当たり前だ、
あのゆめとは別の存在なのだから。
「・・・、悪魔の」
シエルは口角を吊り上げる。
いつもの笑み――――姑息で冷たい、裏社会の人間の笑みだ。
「悪魔の使い方を考えてたら、そういう使い方も出来るんじゃないかと思った」
「なるほど。駒の仕事を増やしてやろうという苛めですか」
「そう言うな」
溜息をつく相手と、クスクス笑う自分。
これではどちらが悪魔なのか分からない。
いや、それでいい。
――――ザザ、――――
あくまで彼は駒で、己は主。
――――ザザ、ジ、スベテハ、ケイヤ、ク――――
それ以上も、それ以下も、
――――ジジジ、ソレイジョウ、モ、ザザッ、ソ、レイカモ――――
ない。
「どうしました坊ちゃん」
「あ?」
一瞬意識が別のところにいっていたようで、ハッと気が付けば少し首を傾げたセバスチャンが膝を折って近くにいた。
「顔色があまり宜しくないかと」
「あぁ、逆上せたか?」
「ならばそうと早く仰ってください」
立ち上がると同時に引かれる腕。
きっと早く湯から出そうとしたのだろう。
しかしそれは、
「――――ッ!!!」
あの
ゆめと
重なった。
<離せ>
<嫌です>
この問答を何度繰り返しているのだろう。
もういい加減「離せ」というのにも厭きてきた。
<いい加減痛い>
<逃げないとお約束してくださるのならば離しますが>
<なぜ僕が貴様なんかと約束をしなくちゃいけない>
ぐい、と掴まれた腕を自分の方に引き寄せるがピクリとも動かない。
きっと彼の手を退けたら赤い跡がついてしまっているのではないだろうか。
セバスチャンは赤い瞳を輝かせながら真剣な表情でこちらを見下ろしていた。
<ならばこのままで>
<どういうつもりだ。つ>
「ついに“待て”は我慢の限界か?」
「は?」
意味が分からないと細められ輝いていない瞳にシエルは違和感を感じた。
なぜ彼の瞳は輝いていないのかと。
先ほどまではあんなにも赤い瞳を輝かせていたというの、に?
(いや、違う――――)
これは現実で、
あれはゆめだ。
「~~~っ」
その違和感こそがおかしいのだと気が付き、慌てて引かれていた腕を自分の方に引き寄せた。すると簡単に相手の手は離れ、追いかけてくることもない。
少しの間、嫌な間が出来たが。
「・・・寝ぼけた。忘れろ」
「・・・かしこまりました」
執事の鑑だからか、それともまた何かを察したのか。
セバスチャンは何かを聞くことはせず、いつの間にか持っていた白いタオルを頭から被せた。
その時も決して身体に触れるようなことはない。きっと注意しているのだろう。
(馬鹿か、僕は)
なぜ現実とゆめが混ざってしまったのか。
あれが夢だと理解している筈なのに。
(くそっ)
シエルは顔を隠すように白いタオルを両手で押し付け、長く息を吐く。
その息には嫌悪感しか含まれていない。
「なぁ、セバスチャン」
「はい」
「人はなぜ夢を見る」
それはもう、泣き言にも近いものだろう。
けれどそれを答えたセバスチャンの声は、
「・・・記憶を整理するためとも、言われていますね」
どこまでも
機械的だった――――

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