「今日も一日人間と関わるのは疲れましたね」
月が空高く輝く時刻、セバスチャンは自分の部屋で椅子に座りながらフゥとため息をつく。
主人を寝かせて、明日の下ごしらえをして、書類をまとめて・・・やっと己の執事としての仕事が終わったのだ。
悪魔として仕えるのならばもっと早く終わるだろうが、人間らしくしていろという命令の元ではどうしても時間が掛かってしまう。
「しかしまぁ、悪くない生活ですが・・・」
人間と関わるのは疲れるし、人間らしくしていると無駄な労働が多いけれどセバスチャンは今の生活が案外気に入っていた。
それはなぜか。
悪魔が執事として仕えるのは珍しいから?
ちがう。
悪魔を恐れない人間の傍にいるから?
ちがう。
答えは・・・。
――― セバスチャン。
ふと、小さな声で名前を呼ぶ声が聞こえた。
それは、どこにいても必ず聞くことが出来る主人が己を呼ぶ声。
「おや、こんな時間にどうしたのでしょう」
セバスチャンは笑みを浮かべながら主人であるシエル・ファントムハイヴの元へと急いだ。
― Dream Kiss ―
「失礼します」
控えめなノックと控えめな声でシエルの寝室に入っていく。
暗闇の中に急な光が入ったら眩しいだろうと思い、燭台の灯りは消しておく。
セバスチャンは音を立てずにベッドへ近づくが。
「・・・?」
ベッドの中でシエルはスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てている。
一度起きたようなシーツの乱れもない。
これはもしかして・・・。
「寝言・・・ですか?」
名前を呼ばれたのが気のせいだった筈はない。
契約があるのだ。そんなことがあってはならない。
けれどシエルは目の前で眠っている。となると、寝言でセバスチャンの名前を呼んだとしか考えられない。
セバスチャンは苦笑しながら燭台を近くの小さなテーブルにのせ、シエルのベッドの端に腰を掛ける。
ベッドは揺れることなく、追加されたセバスチャンの体重を受け止める。
「どうしたのかと思ったでしょう」
ため息をつきながら小さな声で呟く。
けれどその表情はすごく穏やかで、優しげだ。
「坊ちゃん、私の夢を見てくださっているのですか?」
そっと手を伸ばして、シエルの頬を撫でる。
起こさないように静かに、静かに・・・そして何度も。
「坊ちゃん・・・」
セバスチャンはまるで宝物の名前でも言うかのように名前を呼ぶ。
シエル・ファントムハイヴと契約をしてから3年。
それは人間にとっては決して短くはない年数だろう。
しかし悪魔にとっては瞬きの如くの年数。
けれど、セバスチャンの心の中にはその3年が色鮮やかに残っている。
「どうして、ですかね」
セバスチャンは今の生活が案外気に入っている。
悪魔が執事として仕えるのは珍しいから?
ちがう。
悪魔を恐れない人間の傍にいるから?
ちがう。
答えは・・・。
「・・・坊ちゃん」
再び名前を呼び、親指で唇を撫でる。
そして身を屈めて顔を近づけ、その唇に己の唇を重ねる。
触れるだけの、ほんの一瞬の口付け。
人間の唇に触れるのは初めてではない。
抱いたことだって何度もある。
けれど、自分から口付けたいと思ったことはなかった。
愛していると、思ったことはなかった。
セバスチャンはもう一度唇と唇を触れ合わせる。
先ほどよりも少し長く。自分とシエルの唇の温度が同じになるくらいに。
しかしどちらかというと、シエルの熱が自分に移るまで・・・と言った方が正しいかもしれない。
悪魔である自分の体温は人間と比べて低い。
しかもシエルはまだ子供と言える年齢だ。大人の人間よりは体温が高い。
(私が体温を分けてあげられたら良かったのに・・・。)
そんなことを思いながらも、幸福が胸を満たしていく。
初めて触れる“シエル”の唇。
柔らかくて、温かくて、そしてとても気持ちがいい。
セバスチャンは何度も剥がしては触れ、剥がしては触れる。
執事としての美学だとか、悪魔としてのプライドだとか、そんなもの考えている余裕などない。
愛する者の唇に触れているのだ。
他のことを考えてなどいられない。
しかし、それは決して今だけではない。
毎日、いつだってセバスチャンはシエルに夢中なのだ。
しかし。
「ん・・・セバス、チャン・・?」
小さく呟かれる声にセバスチャンはハッとして、少しだけ顔を離す。
また寝言かと思ったが、どうやら違うらしい。
ゆっくりと瞼が持ち上がり、トロンとした瞳が顔を覗かせる。
「せばすちゃん?」
瞳同様、トロンとした舌足らずな声でセバスチャンの名前を呼ぶ。
しっかりとは覚醒しておらず、寝ぼけている状態なのだろう。
思考もしっかりと回っていないように見える。
セバスチャンはそんなシエルの様子を見ながらクスリと笑い、額にチュっと口付ける。
「ここは夢の中ですよ?」
「夢・・・?」
「えぇ・・・ここは貴方の夢の中」
頬を撫でると、シエルは嬉しそうに口を緩める。
「僕の夢の中・・・か」
「はい」
「・・・いい夢だ」
笑みを浮かべながらシエルはセバスチャンの頬を撫でる手に手を重ね、自分から頬擦りをする。
寝ぼけた状態のシエルは、これが己の夢だと信じたらしい。
普段なら見せたことのない表情でセバスチャンに甘えるような仕草をする。
(夢の中でならば素直なのですね)
苦笑しながらもう一度額に口付けを落とす。
セバスチャンがシエルを想う気持ちを持っているのと同様に、シエルもセバスチャンを想っていた。
どちらが先に想い始めたのかは分からない。けれどそんなことはどうでもよかった。
シエルも自分を想ってくれている。その真実だけでよかった。
それでも、なぜか一歩踏み出せない自分がいた。
どうしてかは分からない。
初めての恋だからなのか、相手が人間だからなのか、シエルが本当に大切だからなのか・・・。
それとももしかしたら、キッカケを待っていただけなのかもしれない。
「坊ちゃん」
「ん?」
どうした?と甘やかに首を傾げるシエルに、セバスチャンは再び唇に唇を寄せる。
今度は起きている状態で。
初めと同じように一瞬だけ触れ合わせて唇を剥がす。
瞳を開けて様子を伺えば、トロンとした瞳のまま何があったのか分からないという表情で固まっていた。
「セバス、チャン?」
「お嫌ですか?」
そう聞けば、シエルは恥ずかしそうに顔を赤くしながら、小さく首を横に振る。
それを見たセバスチャンは内心ホッとしながら、もう一度口付ける。
頬を触れていない方の手をシエルの背中に回し、ギュッと抱きしめればおずおずとシエルもセバスチャンの首に手を回してくる。
カーテンの隙間から月明かりが零れ、そんな二人を柔らかく照らしている。
「ん・・・はぁ・・・」
唇が離れると、シエルは甘い息を吐く。
セバスチャンの瞳を見つめ返すその表情は、悩ましげに頬を染めている。
その身体はすでに熱い。
耳元で大丈夫ですか?と問えば、コクンと頷く。
「セバスチャン・・・」
「はい」
「お前は嫌じゃないのか?」
「嫌でしたら私から口付けをしないですよ」
笑いながらそう答えると、シエルは安心したように微笑む。
そして首に回した腕に力を少し込め、自分の方に引き寄せるようにする。
もともと近かった顔が尚更近くなり、シエルは自ら額と鼻をセバスチャンにくっつけ、擦り合せる。
「・・・もっと欲しいですか?」
悪戯に上唇だけ少し触れ合わせれば、焦れたように上唇だけセバスチャンに押し当てる。
答えを返す気はないようだ。
「仕方のない方ですね」
セバスチャンは下唇もシエルの唇に押し当てる。
するとシエルはやっと得た唇に嬉しそうな声を小さく零す。
そんな声に誘惑されて、ほんの少しだけセバスチャンはシエルの唇を啄ばんでみる。
何も知らないシエルは驚いたように一瞬身体を震わせ、身を硬くしてしまうが、大丈夫ですよと言うように、親指で頬を撫でてやれば硬くなった身体から力が抜けていく。
それを確認したセバスチャンはもう一度優しく啄ばんでみる。
すると今度はシエルもおずおずと少しだけ啄ばみ返してくる。
その動きはたどたどしく、ただ唇を動かしただけのようなものだったけれど、セバスチャンは良く出来ました、ともう一度頬を撫でてやる。
「ん・・・」
それが嬉しかったのか、シエルは強く抱きつき、もう一度セバスチャンの唇を啄ばむ。
セバスチャンも抱きしめ返しながら、唇を啄ばめばシエルの身体は甘く震える。
真夜中のベッドの中で行われる子供騙しのような口付け。
言葉もなく、静寂の中で何度も何度も口付け合う。
それはまるで時間が止まったような感覚。
いや、このまま時間が止まってしまえばいい。
永遠を生きる悪魔が、永遠を望んだこの時間。
愛するシエルとの甘い口付けの時。
「ン、すとっぷ」
けれどシエルは急にその時の終了を告げる。
息は少し乱れ、瞳には熱によって生み出された涙が浮かんでいる。
セバスチャンは足りないというように頬に口付けを落とそうとしたが、それも止められてしまう。
「どうしました?」
「もう・・・だめだ」
「なぜ?」
「だって・・・」
甘い熱で溢れた涙が、切なさに変わって頬を流れていく。
「目が覚めた時に、切なくなる・・・」
「!!」
そう。
シエルはこれを夢だと思っているのだ。
目が覚めたら、この出来事は水の泡のように消え去ってしまうものなのだと・・・。
今更これは夢ではないだなんて言えない。
夢だと言ったから、言われたからお互いに素直になれたのだ。
「坊ちゃん・・・」
「だから、もうそろそろ目を覚ます」
「・・・じゃぁ切なくならないように目が覚めた時、私に気持ちを伝えたらどうですか?」
その言葉にシエルは首を振る。
「そんなことしたら、余計に切なくなるだけだ」
「そんなことないと思いますが・・・」
「これは僕の夢だからな。自分の都合のいい返事を返してくれているだけだろう?」
苦笑しながら、また一粒涙を零すシエル。
セバスチャンは胸が痛み、慰めるようにその涙を舌で拭う。
「では、こうしましょう」
シエルに優しく微笑みかけながら提案する。
「もし明日のアーリーモーニングティーにミルクが入っていたら、じっと私の顔を見つめていてください」
「・・・?見つめるだけでいいのか?」
「はい、それでしたら気持ちを伝えて切なくなる心配はないでしょう?」
「だが・・・」
「大丈夫です。それだけで全て上手くいきます」
切ない思いなどしませんよ。
私がこの気持ちを貴方に伝えますから。
心の中でセバスチャンは言葉を付け足す。
シエルは首を傾げながらも頷き、瞳を閉じる。
このまま眠りにつくのかと思い、静かにセバスチャンが身体を起こそうとすると
「セバスチャン・・・」
シエルは少しだけ瞳を開き、燕尾服を弱々しく掴む。
そして潤んだ瞳を向けて小さな声で、最後にもう一回だけ・・・と呟く。
それを聞いたセバスチャンは燕尾服を掴む手を自分の手で包み込み、愛情をぶつけるように口付ける。
先ほどよりも激しい啄ばみ方でも、シエルも必死に返してくる。
――― 最後にもう一回だけ。
えぇ。最後の一回にしましょう。
夢の中での、最後の口付け。
次は本当の世界で、永遠にも負けないくらい・・・
数え切れないほどの口付けをしましょう。
きっと夢よりももっと、甘い口付けになるはずだから。
END
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あとがき
10000HIT御礼、リクエスト企画!第四弾!!と言いつつ、実は最後の企画作品!
はるか様からリクエストを頂きました!はるか様、ありがとうございます!お待たせ致しました~;;
『とにかく甘~いセバシエ』という糖度ばっちりなリクエストを頂きました^^
やはりリクエストは甘いものが多かったので、最後のリクエスト企画作品は違う視点からの甘いセバシエにさせて頂きました!
CP的にセバス→←シエルという状態になってしまいますが、もう完全なるセバシエとして書きましたww
ひたすら口付けしているというね。うん。ひたすら口付けた。
月猫的に別視点でひたすら甘くしたつもりですが・・・全然萌えねぇよ!!うでしたら、遠慮せずに言ってください。
本当にリクエストをありがとうございました!これからも、是非いつでも遊びに来てください(>▼<)♪

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