悪魔とは永遠に生きるもの。
それは嫌というほど知っていた。
一体自分がどれほどの時間を生きているのかすら、とおに忘れてしまったのだから。
永遠の存在というものは、一番“死”から遠い存在にも感じるが、悪魔である私達にとってはとても近い存在。
私達は、魂を食べる存在なのだから。
いつだって“死”とは隣合わせだった。
しかし。
まさか自分自身が死ぬことになるとは、一度も考えたことがなかった。
― 貴方こそが ―
目を開けると、そこは暗闇だった。
何もない無の境地。
一瞬自分が何者だったのかも、そして何をしてきたのかも、記憶そのものが抜け落ちてしまいそうだったのだが、無意識に眼鏡を上げる仕草をして全てを自分自身の中に引っ張り戻す。
そう。私はあの悪魔との戦いに敗れたのだ。
今頃セバスチャンという名付けられた悪魔は、シエル・ファントムハイヴの魂を美味しく喰らっている頃だろう。
己を狂わせるほど、甘美な香りを漂わせた魂。
しかし今では特に欲しいという感情は生まれてこない。
まぁ、悪魔として“残念だ”という思いはあるものの、悔しさや妬ましさなどはどこにもない。
己は死に、もう魂を食べることが出来ないからという諦めたものでもない。
あの時は心の底から欲しいと思ったのだが・・・。不思議なものだ。
クロードは目を閉じて苦笑する。
いや、もしかしたらあの時も別に欲しいと思っていなかったのかもしれない。
ただ単に、心の底から“喰べたい”とは思っていたかもしれないが、“欲しい”というわけではなかったのかもしれない。
真に“あくまで執事”になった悪魔が言ったように・・・。
では、己が本当に欲しかったのは。
「クロード」
遠くの方から、どこか熟れた香りがする声が響いてくる。
別にどこも凛としているわけでもなければ、捻くれたような感触でもない。
それでもその声はどこかみずみずしく、そして火傷しそうな程に熱い。
その声の持ち主を今の己が間違えることがあるだろうか。
「・・・旦那様」
名を呼べば、今まで何もなかった暗闇から一人の少年の姿が浮かび上がってくる。
それは久しぶりに見る、アロイス・トランシーそのものの姿。
クロードは無意識に足を一歩前に出す。
「迎えに来たよ。クロード」
「迎えに?」
「そう。迎えに」
アロイスは今までに見せたことがないような穏やかな表情をしながら、クロードの目の前まで歩いてきた。
あぁ、こんな顔も出来たのかと、クロードは息を吐き、アロイスを見つめる。
「ルカも向こうにいるよ。きっとハンナももうすぐでやって来る」
「ハンナも?」
「うん。来るとは行ってなかったけど、きっと来るよ」
そしたら、全員・全部・本当に幸せだね。
どこか悪戯に笑うアロイス。
「私も一緒にいて宜しいのですか」
「・・・」
「私は旦那様を殺したのですよ?」
眼鏡を上げながら、出来るだけ抑揚なく言葉を紡ぐ。
あくまであの時のままに。
しかしアロイスはクロードの顔を覗きこむように腰を屈め、困ったように眉を下げる。
「そんな顔しないでよクロード。死んだら急にひ弱になったんじゃないの?」
「・・・そんな顔。何か妙な顔をしていますか私は」
「うん、してる。簡単に言うと、泣きそうな顔してる」
泣きたいのは俺だってのにさー。
その言葉を聞いて、クロードは目を見開く。
私が泣きそうな顔をしている?
そんなつもりは全く無い。全く無いけれど。
もしかしたら、この胸の痛みと関係しているのかもしれない。
後悔なんて言葉は己には似合わない。
だって欲望に忠実な悪魔だったのだから。
過去なんて過ぎた産物なだけで意味なんて持たないし、思い出したところで得るものもない。
そこにあるのは、ただの結果に過ぎないのだ。
けれど、なぜだろう。
今の己の中に、過ちを犯したことについて己を責める自分がいる。
クロードはらしくなく唇を噛み締め、俯く。
「ねぇクロード」
しかしそれとは裏腹な、楽しそうな声でアロイスは名を呼ぶ。
眼鏡を掛けているクロードは返事をしながら顔を上げれば、その瞳に映りこむのはどこか悪戯げに微笑む顔。
子供のような・・・いや、大人が夢を見ているような、そんな顔。
「俺、思うんだよね。人生失敗なんて沢山あるって」
「・・・」
「人間も、勿論悪魔もさ。その失敗って色々な種類があるじゃん。例えば、一人で石に躓いたとか」
テクテクとクロードの周りを歩き始める。
クロードは黙ってその姿と、そして紡がれる言葉を受け止める。
「一人で石に躓いたんだったら、そいつが勝手に躓いたことだろ?だったら、一人で今度は転ばないようにしようって勝手に思ってればいいよ。でもそういう種類じゃなくて、違う人を巻き込んだ失敗だったら」
例えば、他の人に石をぶつけたとか・・・。
どことなく自分がアロイスを殺したことを指されている気がして、クロードは拳を握り締める。
けれど、アロイスを包み込む空気はどこか優しい。きっと責めるつもりではないのだろう。
それでもクロードは拳から力を抜くことが出来ない。
「他の人に石をぶつけて、その他の人が怪我をしたとかクソ最低だよね。失敗したっていう言葉じゃ済まされないよ」
でもさ。
アロイスはピタリと足を止め、クロードの頬を両手で包み込む。
アロイスを殺すときにクロードがしたように。
そしてその時に浮かべた、幸せそうな笑みを再び浮かべる。
「その石をぶつけられた人が、ぶつけた人のことを許してあげないと、ぶつけた人は次には進めないんだよね」
「・・・旦那様?」
「ぶつけられた人が、もう許しませんって言ったら、ぶつけた人は二度と失敗から立ち上がるチャンスがなくなっちゃうんだ。それじゃぁ、ちょっと可哀相かなって俺思ったんだよ」
何が言いたいか分かる?クロード。
その質問に無言を返すクロード。
アロイスが言っている言葉の意味は理解できる。
しかし、何が言いたいのか、いや、その言う意図が分からない。
アロイスがそう思ったことを自分に伝えてどうするつもりなのか・・・。
YesともNoとも答えないクロードだが、アロイスは何を考えているのか分かっているのか、やれやれとため息をつく。
きっとクロードの無表情に書かれた心境を読むのが一番上手いのは、この世界、否、全てにおいてアロイスだろう。
「俺が何をクロードに分かって欲しいのかというと」
ふと、クロードの頬を優しく包み込んでいた両手を離し、右手に拳を作り上げる。
そして思いっきり
「っ・・・!?」
クロードの頬を殴った。
「っ~~~!!拳で殴ると自分も痛てぇぇぇっ!!」
「だ、旦那様大丈夫ですか?」
いきなり殴られたクロードは眼鏡を治しながら、自分のことよりもアロイスの手を心配そうに見つめる。
しかしアロイスは振り払うように一歩下がり、睨みつける。
痛みのせいか、それとも別の感情のせいか分からないが、その瞳には涙が溜まっている。
「これでチャラだっ」
「・・・?」
「俺を殺したこと。クロードが失敗したこと、許してあげる」
「っ!!!」
クロードは反射的に腕を伸ばしアロイスを力いっぱい抱きしめる。
「旦那様!っ・・・旦那様!!」
もう何を口にしたらいいのか分からない。言葉が見つからない。
でも、胸の中に沢山の何かが溢れていて、その何かを吐き出したいのに・・・。
自分はシエル・ファントムハイヴの魂を喰らいたかった。
あの甘美なる魂の味。セバスチャン・ミカエリスと名付けられた悪魔が夢中になるのも分かる。
けれど自分が本当に欲しかったものは。
アロイス・トランシー。
「怖かった」
「・・・何が?」
「奪われるのが」
単語をポツリポツリと吐き出していく。
いきなり何を言っているのか分からないだろうに、アロイスは静かに聞いてくれる。
「どこかに、貴方は行ってしまう」
「俺は傍にいたよ?」
「貴方は新しい玩具を見つけたら、それですぐに遊びたがる。私とセバスチャン・ミカエリスを比べたように…」
「・・・」
「今だから分かった」
ただ私は。
「貴方にどこにも行って欲しくなかった」
喰らうこともせず、アロイス・トランシーの魂を指輪に入れて傍に置いておいた理由。
指輪のままならば、どこかに行ってしまうことも無い。
そして、人間の短い寿命に振り回されることも無い。
私の傍に永遠にいてくれる。
独りぼっちの悪魔の人生に。
「・・・そうだったんだ」
小さな告白に、アロイスは口元を緩める。
子供を慰めるように背中を叩きながら、囁くように言葉を紡いでいく。
「俺たちはさ、不器用だったんだね」
「・・・かもしれません」
「ねぇ、クロード」
アロイスは少しクロードから身体を離し、顔を上げる。
その瞳からはポロポロと美しい涙が零れ落ちている。
「お前は最期、誰の執事として死んだの?」
その言葉にクロードは微笑みながら眼鏡を上げて。
「貴方こそが、私のハイネス」
涙で濡れた唇に口付けた。
END
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あとがき
クロアロで最終回後?を書かせて頂きました^^
とある方様から、クロアロのその後についてのお話を聞いて『ソレ書いてみたいわっ』という思いが発端です(笑)
いつものクロアロよりも書きやすかった…!!!www
全員・全部・幸せが一番ですね^^

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