あれから数日後。
そして恋人シエルの誕生日まで、あと3日。
正直セバスチャンは焦っていた。
「坊ちゃん、エリザベス様や他の使用人たちから誕生日パーティーをやりたいとのお声が掛かっていますが…」
「どうせ嫌だと言っても奴らは勝手にやるだろう」
「では、やる…とのお返事で宜しいですか?」
「待て。やるとは言っていない。僕は一日いつものように仕事をするとだけ返しておけ」
「御意」
イコールそれは、やるなとは言っていないことになる。
シエルはいつものように仕事をするが、食事の時など時間が空いている時にパーティーを開いてもいいということだ。
シエル本人は嫌そうな顔をしているが、内心誕生日を祝ってくれることを拒絶はしていないのだろう。
それに祝いたいと思ってくれている人たちを無碍には出来ないという気持ちもそこにはある筈だ。
誕生日の主役はシエル自身なのに、周りに気遣う優しさを持つ主人。
それは仕える人間としてはとても微笑ましいものであるのだが。
「ケーキは何が宜しいですか?」
「何でもいい。いつものスイーツと同じものを用意しろ」
欲が無いというのもまた、考えものである。
一ヶ月前にセバスチャンはシエルから欲しい物は何か聞き出そうとした。
真剣に考えたシエルはどうやら何か欲しい物を見つけたようだが、結局それをセバスチャンに伝えることは無かった。
その後も当たり障り無く、その欲しい物を聞き出そうとするのだが、“何も無い”の一言で終わってしまうのだ。
好きな色。着てみたいデザイン。つけてみたい宝石。行きたい所。
挙句の果てに、自分の欲しいものをファントム社で発案してみては?と言ってみると。
『…ファントム社が文具に手を出すのは、まだ早いだろう』
と、なんとも仕事ばかりする主人の言葉が返ってきた。
一ヶ月前もインクが欲しいと言っていたが、そんなものいくらでも用意できる。
一時期プレゼントをインクにしたとしたらどうか本気で考えたが、自分がそんな物をあげたら“もっと仕事をしてください”という意味にもならないだろうか?という意見が頭をよぎった。
いや、それ以上に“恋人”としてではなく、“執事”としてのプレゼントになってしまうような気がして却下した。
もっとシエルの心に残るものを贈りたい。(別の意味で残るかもしれないが)
そんなことを思いながら、あれこれ聞き出そうとしたり、毎日の生活の中での表情や感情の起伏を1つも見逃さないようにしたりと色々なことをやって来たが。
セバスチャンはまだシエルが何を欲しがっているのかを知ることは出来ていなかった。
「食事もいつも通りでいい。特別なことなどするな」
「そんなわけにはいかないでしょう」
「別に来賓と食事をするわけじゃないんだ。お前たちの手を煩わせることはない」
「私たちを想ってのお気持ちは嬉しいですが坊ちゃん」
「あぁ、もしも奴らがパーティーをする気なら程々にするように見張っておけ。屋敷が壊れるのは勘弁だからな」
「程々に、の程度は私の尺度で宜しいですか?」
「……貴様なら僕がどの程度を許して、どの程度が駄目なのか分かっているよな?」
なぁセバスチャン?と妖麗な笑みを浮かべながら頬杖をつくシエル。
そんな視線や仕草にセバスチャンは、うッと詰まらせる。
もちろんシエルが許す範囲を正確に理解している。
けれどそれではあまりに“いつも通り過ぎる”のだ。
誕生日パーティーの“た”の文字さえ分からないものだろう。
自分は嘘をつくことは出来ない。
ここで“No”と答えては嘘になる。
仮に“Yes”と答え、ワザと間違えるというテもあるが、それでは執事として恥ずべきことになってしまう。
自分が見ていない間に使用人が勝手にやらかしてしまった、という理由でもつければ何とかなるだろうか。
ゲームの得意な主人を相手にするのはこれだから嫌ですよ…。
内心舌打をするセバスチャン。
色事なら、あんなにも初々しく、そして可愛い姿を見せるというのに。
「返事はどうした」
グルグルと考えているセバスチャンに痺れを切らしたのか、シエルは催促する。
セバスチャンは息を吐きながら少々投げやりに、分かっております、と返した。
「なら安心だな」
どこか勝ち誇ったような顔のシエルに、セバスチャンは問い掛ける。
ほんの少し意趣返しのつもりで。
「どうしてそんなにも誕生日を祝われるのがお嫌なのですか?」
「…別に嫌なわけじゃない」
「では、パーティーくらい宜しいじゃないですか。夜会とは違いますし。社交を気にすることもございません」
「苦手だと言ったら笑うか」
「苦手、ですか?」
予想外の言葉にセバスチャンは瞳を見開く。
誕生日パーティーが苦手とは、どういうことだろうか。
夜会が苦手なのは知っているが、身内だけのパーティーなら別だろう。
それとも祝われること自体が苦手なのだろうか。
誕生日を祝われることが苦手とは一体…?
「坊ちゃん、それはどういうことですか?」
「さぁな。どういうことだろうな」
苦笑しながら受け流そうとするシエル。
それは遠まわしに聞いて欲しくないと言っていることを理解するが、ここで退くわけにはいかない。
今の言葉は恋人の自分に許された心の領域だろうから。
踏み込むことを許してはいないが、見せることは許してくれた領域。
もしそこが傷ならば、癒してあげたいと思うのは可笑しいだろうか。
いや、可笑しくなどないだろう。
だってこんなにも愛してやまない相手なのだから。
「パーティーが嫌なのですか?」
「・・・」
「それとも祝われるのが嫌?」
「・・・」
「坊ちゃん?」
「嫌なんじゃない。苦手なだけだ」
「それはなぜです?」
「大した理由じゃない」
「それでも、聞かせてくれませんか?」
一歩シエルに近づき、優しく頭を撫でる。
何を言っても構わないと微笑めば、どこか恥ずかしそうに俯いてポツリポツリと話し出した。
その姿はまるで母親に怒られていい訳をしている子供のようだ。
「誕生日を祝う、ということは、誕生したことを祝う、ということだろ?」
「そうですね」
「僕は、それが、苦手だ」
「……馬鹿ですねぇ」
撫でる手と同じように優しく言えば、分かっていると、いじけた声が返って来る。
誕生日を祝うということは誕生したことを祝うこと。
この世界に生まれ落ちたことを祝う日。
シエルはそれが苦手なのだと言う。
それが指す意味は。
「貴方が生まれたことを、誰も責めたりしませんよ」
セバスチャンはシエルの身体を抱きしめる。
「貴方はもっとご自分を大切にするべきです」
「…これ以上、どう大切にしろと言うんだ」
シエルは抱きしめてくるセバスチャンの服を握り締めながら言葉を返してくる。
その言葉に内心ため息をついたのは秘密だ。
もしシエルが本当に自分を大切にしているのならば、こんなにも自分が恋人に何を贈ったらいいのかと悩むことはないだろう。
「何かお1つ、許せるものを作ってみてはいかがですか?」
「自分を大切にするのと何かに繋がるか?」
「はい。たとえば、誕生日パーティーで楽しむことを許す…とか」
シエルの強さはプライド、気高さ。
そして自分を律する心だ。
己を硬く律するからこそ、折れることの無い剣を生み出すことが出来る。
それは人間誰しもが羨むものなのかもしれない。
悪魔としての自分も、それは喜ぶべきものだ。
なぜならそれが魂を美味しく輝かせる調味料となっているのだから。
けれど本人自身は?
強い剣を作る方法は、熱しては叩いて熱しては叩いての繰り返し。
それは何と過酷なものだろう。
シエルの強さはもともとあったものではない。
勿論生まれ持ったものもあるだろうが、全ては過酷人生の中で自分を守る為に身に付けた、否、身に付けざるおえなかったものだ。
まさに熱しては叩いての繰り返しだろう。
欲が少ないのもそのせい。
我侭を言わないのもそのせい。
甘えて来ないのもそのせい。
全て“せい”にするのはおかしいかもしれないが、悪魔である自分が思うぐらいは許されるだろう。
この恋人は絶対にそんないい訳などしないのだから。
それがシエル・ファントムハイヴという人間。
だからきっと。
「許す…か」
ほら、許すことすら素直に頷けない。
自分が生まれて来たことも素直に喜べないのだから、許すことも簡単ではないだろう。
けれど、それでもいいのかもしれない。
だって代わりに、自分が許せばいいのだから。
「では坊ちゃん、私が楽しんで欲しいと望んだら?」
「…お前がか?」
「はい。無理に生まれたことを喜ばなくてもいいです。でも、その日ぐらい特別に美味しいものを食べて欲しいと思う私のことは許してくださいますか?」
「……ん」
どこか恥ずかしそうに頷くシエル。
もしかしたら、祝われる気恥ずかしさも持っているのかもしれない。
本当に困った恋人ですね。
どこか捻くれているようで、けれど純粋過ぎる恋人。
とある人間から見たらそれは同情する部類に入るのかもしれないが、自分にとっては愛しくてたまらない。
死ぬほど甘えさせて、ドロドロに溶かしたくなってしまう。
復讐を掲げる気も消えうせてしまうほど、幸せの蜜を与え続けたい。
しかしそれは自分の我侭だと分かっているから程々に。
「坊ちゃん」
「その、悪かったな。変な話しをして」
「そんなことございませんよ。話してくださって嬉しかったです」
「呆れないのか?」
「なぜ呆れるのですか。それが貴方自身の感情なのでしょう?全て愛しいですよ」
ちゅっと音を立てながら額に口付ければ、頬を赤く染め上げセバスチャンに抱きついてくる。
セバスチャンも強く抱き返しながら、背中をポンポンと叩く。
「セバスチャン…」
「はい」
「…なんでもない」
名前を呼んだかと思えば、すぐに首を横に振る。
一体何なのか首を傾げたがセバスチャンはハッとし、再び一ヶ月前と同じ問いかけをする。
今ならば、素直に自分の欲しい物を言ってくれるかもしれない。
「ねぇ坊ちゃん。何か欲しい物とかございませんか?」
「・・・」
「…坊ちゃん」
どこか何かを躊躇うような空気が漂い、もう一押しと頭を撫でた。
しかしシエルの口から出た言葉は。
「別に無い」
「…そうですか」
やはり一ヶ月前と同じ答えだった。

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