あんなにも寒かった朝が嘘のように日向が暖かい、とある日の午後。
シエルはいつものように仕事をし、その休息がてらにセバスチャンの入れた紅茶を飲んでいた。
「本日はアールグレイでございます」
「・・・悪くない」
「それはようございました」
セバスチャンは微笑みながら、シエルを見つめる。
自分の大切な恋人とのひととき。
実をいうと、二人で過ごす時間がいつも取れるかというとそうではない。
ファントム社としての仕事。女王の番犬としての仕事。そして歳相応の教育など、シエルの予定はぎっしりなのだ。
なので、たとえ馬車での移動時間や今のような休息時間は貴重といってもいいほどのものなのだ。
「冬の季節は日に当たっていると温かくて気持ち良いですね」
「そうだな」
「ついつい、うたた寝などしませんように気をつけてくださいよ?」
「うたた寝などするかッ」
シエルは持っていたカップをソーサーにカチャリと音を立てて戻し、セバスチャンを睨みつける。
仕事をしている時は大の大人も顔負けな程、冷静であり頭がよくきれる恋人だ。
しかし自分が悪戯に言った言葉には、まるでその姿は幻だったのかと思えるほど可愛らしい。
だからついついからかって遊んでしまうのだ。
セバスチャンはクスリと笑いながら頬に手を伸ばし、優しく撫でる。
「日は暖かくとも風邪を召されてしまいますからね」
「別にうたた寝しないから安心しろ」
シエルは頬に触れてきたセバスチャンの手に、自らも頬擦りをするように首を少し傾ける。
きっと気がついてはいないだろうが、その顔の口元は緩く弧を描いている。
あぁ・・・坊ちゃん・・・。
手袋越しの感触がもどかしい。しかしもしも素肌で触れたら、これ以上を求めたくなる。
頬だけじゃ足りなくなる。全てに触れて、愛したくなる。
けれど、まだシエルには仕事があるのだ。
セバスチャンはグッと我慢しながら、自分の気を逸らすように別の話しを持ちかけた。
「この後のスイーツで何かご希望はございますか?」
「そうだな・・・チーズケーキが食べたい」
「御意」
頷きながら、名残惜しいが触れている手を離そうとしたが。
「ッ・・・」
シエルがそれを許さなかった。
離れると分かったのだろう、その瞬間にまるで蓋をするように自分の手を重ね合わせたのだ。
シエル自身は偶然を装うつもりなのか、瞳を閉じて黙っている。
しかしその頬は赤く染まっているのだから、セバスチャンも堪ったものじゃない。
「坊ちゃん・・・」
小さな声で、ひそひそ話しをするように名を呼べば瞼がピクリと動いた。
けれどシエルは何も答えない。
「・・・」
ここではお仕事の続きを・・・と言うのが執事の務めだろう。
この後の予定を考えても、その方がシエルにとってもいいに違いない。
けれど、この可愛らしい反応を冷たく蹴るようなことなど誰が出来るだろうか。
しばらく黙ったままそうしていると、シエルの口がようやく開いた。
「セバスチャン・・・」
「どうしました」
あくまで小さな声で。
その声に柔らかく返すと、瞳がそっと持ち上がり美しい蒼色に自身が映り込む。
「これで、もし眠ってしまっても大丈夫だ」
「え?」
その蒼い瞳が悪戯げに輝きセバスチャンを笑う。
「セバスチャンの熱を貰ったから、これで冷えることもない」
「坊ちゃん・・・ッ」
「だけど」
スッとシエルの腕が伸び、同じようにセバスチャンの頬に触れる。
主人は執事と違い手袋をつけていない。
フワリと、愛しくて・・・逆に何かが壊れそうな感触にセバスチャンは目を細めた。
「だけど・・・?」
セバスチャンもまた、シエルと同じようにその手に自分の手を重ねる。
そう。まるで蓋をするかのように。
それにシエルは嬉しそうな顔をするが、すぐに苦笑して。
「いや、なんでもない」
首を振った。
寒い?
寂しい?
切ない?
首を振って止められた言葉の続きを考えて、セバスチャンも苦笑する。
こんなに傍にいるのに、触れられない時間がもどかしくて。
二人きりの時間がもっともっと欲しくて。
私たちは欲張りですね。
だけど、それは仕方ないでしょう?
「坊ちゃん」
今度はハッキリと名前を呼び、瞳を赤く輝かせる。
蒼い瞳に赤い瞳が混じり、不協和音が奏でながら別の色合いを生み出した。
なんだか相手に自分の色を染み込ませたような気持ちになって少し気分が浮上する。
その瞳を見つめたままセバスチャンは顔を近づけて、手ではなく唇を蓋した。
強く強く蓋をし、唇が1つになるんじゃないかと思うほど、めいいっぱい。
「はッぁ・・・」
「続きはまた後でしましょう」
唇を剥がし、ニッコリと微笑む。
「だから“今”はここまでです」
「・・・ばかセバス」
「えぇ。馬鹿ですよ」
私たちはね。
そう付け足せばシエルは、そうだな、と笑い、もう一度一瞬だけ唇を触れ合わせた。
きっとソレは“ありがとう”の言葉。
「じゃぁ、さっさと仕事を終わらせるとするか」
「では私はチーズケーキを作ってまいります」
「あぁ。待っている」
「えぇ。私も」
二人で二人を解放して、自分の本来すべきことへと戻って行く。
だけど、胸の中は暖かくて。
――― またあとで。
さて。
この後も頑張りますか。
別々な場所で、二人は一緒に微笑んだ。
end

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