「全く・・・」
シエルは椅子に凭れ掛かりながらため息をつく。
あれからセバスチャンは何度も説明を求めて来たが、時間がずれるとシエルの計画が全てパーになってしまうので半ば追い出すように巣の駆除を急がせた。
しかし。
セバスチャンをネズミの巣に向かわせたのは駆除が目的ではない。駆除はオマケだ。
本当の目的はセバスチャンがこのファントムハイヴ家から出ている姿を目撃させ、シエルが今は独りだということを相手に知らしめること。
これで奴は僕の元に現れるだろう。
けれど、これは確信ではない。
あくまで予想に過ぎない。
が、試す価値はある。
もしも奴が現れなくても、それはそれでいいとシエルは思っている。
先ほどセバスチャンに言ったように、これをきに、四人の戦う姿を一目見ることが出来る、いわば働きっぷりを確認することが出来るからだ。
そして、その四人を使うことによってあの執事がどのような反応をするかも確かめることが出来た。
奴が現れなくても、収穫は沢山ある。
まぁ、予想外に酷い目に合ったがな・・・。
シエルは首元を押さえる。
そういえば、これを消せと奴に指示するのを忘れていた。
困ったものだと大きくため息をつく。
しかしそれが、のちにシエルを守るものになることを彼はまだ知らない。
****
「・・・坊ちゃん、大丈夫かなぁ」
フィニは敵に投げる用の石像を自分の周りに置きながら呟く。
セバスチャンさんが坊ちゃんの側についていないだなんて、全然見たことがないからなぁ。
坊ちゃんを敵が来る屋敷に独りにしておくなんて…。
「やっぱり、三人のうち誰かがついていた方がいいんじゃないかなぁ」
ため息をつきつつも、周りへの睨みは怠らない。
石像は予定の数だけ置き終えたし、後は敵が来るのを待つだけ。
といっても、やはりシエルのことが心配なフィニなわけで。
「あぁ…本当に大丈夫かなぁ」
ソワソワといつもより落ち着かない。
きっと他の二人も同じだろう。
今頃不安になっているに違いない。
いつも自分達が屋敷を守るのは、主人が屋敷を留守にしているときが大概だ。
けれど今日は中にシエルがいる。
そう考えると、緊張感が倍以上に膨れ上がる。
敵が来ると分かっているから尚更だ。
「今度他に誰かを雇った方がいいんじゃないかな~」
大きくため息をつく。
と。
「っ!!」
かすかに人の気配が近づいてくる。
フィニは音を立てずに、自分の横に置いておいた石像に手を掛ける。
しかし何かがおかしい。
「?」
いつもの感じと違う。
なんだろう。
何が違うんだろう?
フィニは人の気配がするというのに、首を傾げてしまう。
「あ、そっか!」
いつもと感じが違うのは、向こう側から敵意が感じられないからだ。
そして相手は気配を消そうともしていない。
ザッザッ。
草を踏む音が聞こえてくる。
どうやらすぐそこまで来ているらしい。
音を聞く限り人数は一人。
でも、一体誰?
もしかして、降伏に来たのかな?
敵意を感じないとはいえ、念のためにしっかりと石像を肩に担ぎ、いつでも攻撃出来るようにしておく。
(来たっ!)
木々の間から見える人影。
少し目を細めて見やると。
「あれ?」
フィニは再び首を傾げながら肩に担いでいた石像を地面に置いた。
****
シエルは独りでいつものように仕事をする。
書類を見てはサインをし、書類を見ては判子を押し、ひたすらそれを繰り返す。
いつもと同じ作業。いつもと同じ様子。
しかし、屋敷の中にはいつもと違う。
シエル以外、屋敷の中には誰もいないのだ。
いるのはシエルだけ。
こういう状態は初めてだな。
シエルは内心苦笑する。
しかし。
「コンコン」
誰かが扉を叩く音が室内に響く。
あの三人が持ち場を離れることなどないだろう。
・・・来たか。
シエルは口元に弧を描く。
「入れ」
扉の向こうの主に承諾の声を掛ける。
すると。
「やぁ、伯爵。応援に来てあげたよ」
扉の向こうから顔を出したのは予想通り、劉だった。
「どうやら奴等はまだ来てないようだね。間に合って良かった」
やれやれ、と表情で部屋に入ってくる。
いつも傍に置いている女の姿はなく、どうやら一人のようだ。
シエルは椅子から立ち上がり、窓を大きく開ける。
そして庭を見下ろすと、フィニがいつもより目を鋭くさせて辺りを見回しているのが見える。
「たとえ来たとしても、あの三人がいるから大丈夫だがな」
「流石ファントムハイヴ家だねぇ。主人を守る犬を沢山飼っていらっしゃる」
「・・・ふん」
シエルはそのまま窓を開けっぱなしにして、劉の方に振り返る。
「ところで執事君はいないようだけれど・・・もしかして我が提案したように一人で行かせたのかい?」
「あぁ。しっかり見ていただろう?」
ニヤリと微笑む。
劉はピクリと反応するが、またいつものように話し出す。
「裏庭ではあの男の子に会ったよ。坊ちゃんが独りで心配なんです~って言っててさ~。伯爵は愛されてるねぇ」
「ったく。あいつは本当に心配性だな」
「まぁ、だから我がここに通されたんだけどねぇ」
伯爵の傍にいて、何かあったとき守る為に・・・さ。
劉はニヤリと哂う。
シエルはその顔を見て、息を吐く。
裏の住人が哂うと、ろくなことがない。
自分のことは考えずに、そんなことを思う。
それにしても、フィニには後できつく言っておかないとダメだな。
『何かあったときに守る為』に劉をここに寄越させたのは間違えだ。
なぜなら、その『何か』をするのはコイツなのだから。
「しかしまさか伯爵が我の提案通り動くとは思わなかったよ」
「もうシラを切るのはよせ。お前が何かを企んでいるのは分かっているんだ」
そろそろ腹を見せたらどうだ?
シエルは劉を挑戦的に睨みつける。
劉はしばらくシエルを見つめていたが、やがてワザとらしく大きくため息をつくと、やっぱり伯爵だねぇと呟いた。
「まさか本当に誘いに乗ってくれるとは思わなかったよ」
「まぁ、僕もお前が来るという確信はしていなかったがな」
「伯爵が執事君を手放さなかったら会いには来なかったよ」
「だろうな」
執事君は怖いからねぇ、と言葉のわりに何でもなさそうに劉は笑う。
そう。もしここにセバスチャンがいたら劉は来なかった。
だから、あえてネズミの駆除に行かせたのだ。
セバスチャンを使った本当の目的は、このファントムハイヴ家から出ている姿を目撃させ、シエルが今は独りだということを劉に知らしめること。
そうしなければ、劉はここに来ないと分かっていたからだ。
「お前は電話してきた時こう言ったな」
シエルは話し出す。
『いつも伯爵は働いていて大変だから、たまには執事君に全て処理を任せてみたらどうだい?』
『お前にしては珍しいな』
『伯爵も少し一人になってみるのもいいかもしれない、と思ったんだよね~』
『あぁ、じゃぁそうしてみるか』
「どう考えても、一人になってくださいと言っているものだろう」
「本当に一人になってくれるとは思わなかったからさぁ」
いやぁ、言ってみるものだね。
劉はいつもの調子で言う。
「本当は無視しても良かったんだがな」
ネズミの駆除をするだけで全ては上手くこと進む。
たとえそのネズミ共にシエルを殺せと発破を掛けたのが劉だとしても、だ。
こちらにネズミの情報を横流しした時点で、劉にとってそのネズミが邪魔な存在であることは分かっていた。
だから同時に、劉自身が僕を貶めようとしているワケではないということも分かっていた。
劉の誘いなど無視して、セバスチャンを使い、駆除すれば簡単にゲームセットだ。
だが。
「子供はゲームに貪欲なんだ」
シエルは哂う。
「お前がネズミを利用して僕とさしで話しをしようとしたのと同じように、僕もお前を利用して色々と遊ぼうと思ってな」
「なるほど。我も上手く利用されたというワケだね?流石は伯爵」
「ふん、どうせ何かに使われるとは分かっていたんだろ?」
「まぁ、我の誘いに乗ってくれたと分かった瞬間、何か伯爵にとって利益があるものとして動いているんだな~とは思ったよ」
伯爵は、自分に利益がないと誘いに乗ってくれないもんねぇ。特に我には。
劉は一歩前に進む。
「一体何を得たんだい?伯爵」
「僕の話しの前にお前の話しだろ?劉。一体何が目的だ?」
「目的?伯爵自分で言っていたじゃないか」
「え?」
劉はまたさらに一歩進む。
シエルへとだんだん近づいてくる。
けれどシエルは逃げることも、後ろに下がることもせずに窓の前に立っている。
「我は伯爵とさしで話しがしたかったんだよ」
「それは分かった。だからその目的だ。何か欲しいものがある・・・とかあるだろう?」
「えー、我が来た目的が、伯爵と二人で話しがしたいってことだったんだけどぉ」
「・・・は?」
シエルは目をしばたかせる。
劉がさしで話しがしたかった目的って、ただ本当に二人で話しがしたかっただけなのか?!
「い、意味が分からん」
「本当に伯爵は子供だなぁ」
「なんだと?!」
「ほら、すぐそうやって怒るしね~」
ははは、と笑いながらも着々とシエルとの距離を埋めていく。
そしてついには目の前に。
シエルがここまで自分の近くに人を寄せるのも珍しい。
といっても、シエル自身が寄せ付けないという理由よりも、傍にいる執事が寄り付かせないという方が正しいだろう。言うなれば、この距離はシエルとセバスチャンとの距離なのだ。
「さっき伯爵、何か欲しいものがあるとかあるだろうと聞いたよね?」
「あぁ」
「ここに来た目的は、伯爵と二人きりになりたかったからなんだけど。欲しいものがあるかと聞かれたらある」
「何だ」
劉はシエルに向かって手を差し出す。
まるでお嬢様をダンスに誘うかのように。
「我は伯爵が欲しいんだよ」
鈴の音のような声音で言う。
簡単に言ったように見えるが、大きな秘密を喋るように静かな声で。
しかしシエルの耳の中、否、心の中に響かせるように・・・本当に鈴の音のような声音で劉は言った。
だが本人の心には。
「・・・何言ってるんだ、お前」
全く響いていなかった。
むしろ怪訝な顔で劉を睨みつける。
差し出された手には見向きもしない。
つれない猫だねぇ・・・劉は苦笑する。
「ストレートじゃないと、お子様の伯爵には伝わらないかい?」
「だから僕は!」
「伯爵」
劉は差し出していた手で、シエルの顎を掴む。
「なっ!?」
まるでキスでもするような角度で持ち上げ、見つめてくる。
シエルは両手で劉の手を引き剥がそうとするが、剥がれてくれる筈がなく・・・。
「伯爵、我は伯爵が好きなんだよ」
その状態で、目の前で言葉を紡がれる。
まさに愛の告白というヤツを。
「はぁぁぁぁぁぁ?!」
シエルは今の雰囲気などお構いなしに叫ぶ。
いつもは回転の速い頭も、今では真っ白だ。
正直、いつも劉が本心で何を考えているのか分からない。
それがシエルには面白くなかった。
少しでも本心を知っていれば、もう少し扱いやすくなるものの・・・と思っていたのだ。
そんなところに、今回の件。
もし劉の誘いに乗って、本当に本人が自分の前に現れたら。
本心が分かると思っていたのだ。裏の住人らしい、黒い心が。
女王の番犬、シエル・ファントムハイヴに対する敵対心が。
なのに劉の口から出てきたものは。
愛の告白?!
「ふざけるな貴様っ!」
「酷いなぁ伯爵。ふざけてなんかいないよ」
「これのどこがふざけていないんだっ!」
「あっれ~、全然信じてくれてないのかな?」
「当たり前だ!何を一体企んでいるんだ?!」
「えー、そんなこと言われたら傷ついちゃうよ」
どうしたら信じてくれる?
劉は顎を掴んでいない方の手で、シエルの頬を撫でる。
まるで舌で舐められているように、ねっとりと。
「~~~!?」
ぞわりとした感覚にシエルは鳥肌が立つ。
もしかして、これはヤバイ状況なのか?!
今更ながらにシエルは危機感を持つ。
「キスでもしたら信じてもらえるかな?伯爵」
「なに?!」
サラリと言われた言葉に血の気が引く。
キスだと!?冗談じゃない!!!
シエルは近づいてくる顔を両手で押しやる。
「やめろ貴様っ!」
「減るもんでもないし、いいじゃないか」
「よくない~~!!」
どんどん近づいてくる劉の顔。
嫌だ嫌だ!気持ち悪い気持ち悪い!!
シエルは力いっぱい押し返しながら、固定されている首を無理やり振る。
すると。
「おや?」
劉の動きがピタリと止まる。
ほんの少し力が緩み、シエルはその隙をついて劉を突き飛ばして距離を取る。
ぎ、ぎりぎりセーフだった・・・。
劉が一体何に気を取られたのか知らないが、一旦助かった。
シエルはまだ警戒しつつも息をつく。
「伯爵・・・それ」
「あ!?何だ!?」
「首だよ、首」
「首?・・・あっ!!」
劉に首を指摘され、真っ赤な顔になって手で隠す。
そうだ!さっきセバスチャンにつけられた跡が残っているんだった!!
シエルは見られた恥ずかしさと、つけたセバスチャンの怒りにワナワナ震える。
まぁ、結果的にはこの跡に助けられたのだが。
「つけたのはもしかしなくても執事君かい?」
ニヤニヤと笑いながら尋ねてくる。
どうしてここで何の疑問もなくセバスチャンの名前が出てくるんだ!!
シエルは劉の質問に答えることはせず、首元を押さえたまま真っ赤な顔で睨みつける。
その表情が先ほどの態度とは全くの別物で、可愛く見えるだなんて本人は気がついていないだろう。
「やっぱり執事君かぁ。もう手を出していたとは思わなかったな~」
「やっぱりとは何だ、やっぱりとは!!」
「だって執事君が誰を想っているかなんて、一目瞭然だし」
「なっ?!」
「その表情を見る限り、伯爵の気持ちも執事君に向いているようだね」
「はぁっ?!何言ってるんだお前っ!!」
「おや?違うのかい?」
「違わないですよ」
「え?」
後ろから聞き慣れた声。
シエルは振り返ると、ふわりと音も立てずに窓枠に着地したセバスチャンが瞳に映る。
口元は楽しそうに弧を描いているが、怒りのオーラがひしひしと伝わってくる。
その瞳はすでに紅い。
「坊ちゃんは私のことを想っております。そして私も坊ちゃんを・・・」
「うぁっ?!」
呆然とセバスチャンを見ていたシエルを自分の方に引っ張り、後ろから抱き寄せる。
そして窓枠に乗ったままこれ見よがしにシエル抱き上げて、跡がついている首筋を舐め挙げる。
「この方は私のものですよ。指一本触れないで頂けますか?」
それとも指を全てなくしてしまいましょうか?
劉を睨みつけながらドス黒い声で言うセバスチャン。
その言葉に劉だけではなく、シエルまでも顔を青くする。
この悪魔ならば、本当にやりかねないっ!!!
けれど相手はあの劉だ。
・・・なら心配いらないな。
シエルは息をつく。
なぜなら。
「これはちょっとヤバそうだねぇ」
逃げ足だけは、かなり速い。
すでに部屋の扉まで移動していた。
「我はこれで失礼するよ」
「私がそれを許すとお思いで?」
「もし執事君がここで我に手を出したら、本気で伯爵のことを狙うけど?」
「・・・」
「ここで見逃してくれるなら、潔く伯爵からは手を引くよ」
「・・・信用できないと言ったら?」
「それならそれで結構」
来た時と同じように、部屋の扉を開ける。
悪魔に睨まれているというのに、その動作は酷く余裕に見える。
それは劉だからそう見えてしまうのか、あるいは本当に余裕なのか・・・。
本当に食えない奴だ・・・。
シエルは目を細める。
「じゃぁ伯爵、今日はここで失礼するよ」
またね~。
のんびりと手を振って出て行く劉。
自分を抱きしめるセバスチャンは動く気配はない。
「追わないのか?」
振り返ると、紅い瞳のまま劉が出て行った扉をまだ睨みつけている。
「行っても宜しいのですか?」
「?」
「多分私、今追いかけたら劉様を殺してしまうと思うのですが・・・」
「・・・いや、追いかけなくていい」
シエルは頭を抱えながら言う。
きっとコイツのコレは冗談ではない。
先ほど指を全て切り落とすと言ったように。
「劉様もいなくなられたことですし」
セバスチャンはシエルを抱きかかえたまま、部屋の中へと飛び降りる。
そして紅い瞳のままシエルにニッコリ。
「全て説明して頂きましょうか?坊ちゃん」
・・・やっぱり劉を追いかけさせれば良かった。
(まぁ、コイツから逃げることは不可能だけれど)
****
あとがき
はい、劉様登場です。初めて劉を書きましたが、クロアロよりは書きやすかった(苦笑)
次でGameは終了です。

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