「先生」
「何ですか」
「どうして僕が指導室に呼ばれているんですか」
シエルは目の前にいる黒いスーツで身を纏っている教師をジトリと睨む。
それは生徒として失礼な態度だろうが、シエルはそんなことを気にするような人間ではなかった。
「さぁ、なぜでしょうかね」
「・・・時間の無駄だな」
ボソリと呟き、これみよがしにため息をつく。
今は授業も全て終わった放課後。
自分のクラスの担任であるセバスチャン・ミカエリス先生に呼ばれ、狭い相談室に身を置いているのだ。
教師からの呼び出しなんてろくな事が無いだろうと思っていたが、本当にろくな事が無い。
特に相手はこの学校で最も嫌いな教師。
この空間に二人きりでいること自体が機嫌を悪くさせていく。
そんな様子のシエルを見つめていたセバスチャンはクスリと笑い、独特な赤い瞳を細めた。
「貴方は折角優秀な人間であるのに、その態度だけは実にいただけないですね」
「すみません、曲がった性格はなかなか直らないものでして」
「ま、その曲がった性格を優秀が故に見てみぬ振りをする他の教師方もどうかと思いますがね」
そう、僕がこの教師が嫌いな理由。
それはこの僕に突っ掛かってくるからだった。
もともと僕の家柄は有名なもので、それだけでも周りの連中は僕に口を出すことはしない。
それプラスこの性格と来たものだから、余計に誰も深く関わろうとはしないのだ。
まさに“触らぬ神に祟りなし”だな。
一歩以上の距離がある人間関係を寂しいと思うことは全くないし、むしろそれが自分にとっては好都合。
価値のない人間と仲良くする気など僕にはない。
使える奴は使って、使えない奴は特にどうもしないし、話しかけてくる奴には話しを合わせて、話しかけてこない奴には自ら話しかけようともしない。
ようするに。
僕は大層捻くれた人間なわけだ。
それをこの教師は指摘する。
誰も触れてこなかった領域に土足で踏み込んでくるのだ。
面倒くさい奴であり、そして。
居心地が悪い奴でもある。
「特に用がないなら帰ってもいいですか?」
「何を言っているのですか。いま生徒指導をしているでしょう」
「生徒指導?これがですか?馬鹿馬鹿しい。これのどこが生徒指導だと言うんだ」
「貴方にとっては私と会話することで生徒指導になるんですよ」
「は?」
ニッコリと微笑む相手にシエルは眉を顰める。
どういうことだと思う反面、全てを見透かされていると思う自分がいる。
きっとこの教師は僕がセバスチャン・ミカエリスという教師を嫌っていることを知っているのだろう。
そして土足で踏み込んできていることに、若干の焦りと緊張を感じていることも。
(あぁ、くそ)
シエルは舌打ちをしたい気持ちを必死で堪え、何も分かっていませんという顔を張り付かせる。
「まぁ、先生との会話が生徒指導になるというのは一理ありますね。教師は生徒の鏡ですから」
「私のことを教師と思っていないクセに。よくそんなことを口から出せますね」
「相手がどんな人間であれ、教職員の免許を持ち学校に勤めているならば教師ですよ」
「職業上の話に素早く切り替えるとは。貴方のその悪質な頭の回転の速さにはホトホト関心しますよ」
「お褒め頂き光栄です。先生?」
口角を吊り上げ嫌みったらしく言えば、相手は眉を顰めながら口元に弧を描く。
その歪んだ表情はどこかシエルの心をスッキリさせた。
此方ばかりイライラしているだなんて癪だ。
土足で踏み込まれて荒らされるお返しはきちんとしなければいけない。
けれどそのお返しは倍になって返される。
「けれどそれはただ逃げているだけに過ぎないですがね」
「・・・なに?」
「貴方は自分の本心に触れさせないように言葉を上手く上辺に乗せているだけでしょう」
「言っている意味がよく分かりませんが」
「おや、では分かり易く言ってあげましょうか?」
セバスチャンは机越しに手を伸ばしてシエルの頬に触れ、優しく撫でた。
その感触が自分の中に染み込んでくるようでシエルは嫌悪感を隠しもせずに払い落とせば、有無を言わせない力強さで今度は顎を掴まれる。
此方を見つめる赤い瞳の向こうに自分の姿を見つけ、相手の視界に自分自身が映っているのだと認識すると逃げたくなった。
これ以上コイツに関わるのは危険だと心が悲鳴を上げる。
絶対にコイツは誰にも触れさせなかった領域に辿り着いてしまうだろう、否、無理やり辿り着かせるだろう。
(嫌だ、何なんだコイツっ)
シエルは逃げようとしても相手が手を離すことはしない。
やめろ、やめろっ。
僕を見るな。僕に触れるな。僕と関わるな。僕に近づくな。僕に話しかけるな。
僕を僕を僕を僕を。
「シエル・ファントムハイヴ」
僕自身を、見つけるな。
「貴方はただの弱虫なんですよ」
傷つくのが怖い、ただの餓鬼です。
キーンコーンカーンコーン。
すでに授業は終わっているにも関わらず、また上から塗り潰すかのように
終わりを告げるチャイムが校内に響き渡った。
End

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