「ゲームをしよう、セバスチャン」
その言葉を聞いた時のセバスチャンは、酷く愉しそうだった。
「ルールは簡単。僕がこれから言う言葉が本当か嘘か当てるだけだ」
「随分と急ですね」
「なんだ、受けないのか?」
こう言えばセバスチャンは必ず首を縦に振るだろうと分かっていての台詞だ。
セバスチャンもそれに気付いたのだろう、ピクリと反応しつつも微笑みながら
「受けるに決まっているでしょう」
と言った。
「坊ちゃんがゲームを仕掛けるということは、何かを企んでいるんですね?」
「さぁ、どうだろうな」
ニコリとファントム社での仕事をしているときによく使う笑みを相手に見せれば、一瞬不機嫌そうに眉を寄せたが、すぐにそれを隠すようにセバスチャンも笑顔を顔に貼り付けた。
「まぁどちらでも構いませんよ」
「企んでいても勝つ自信があると?」
「それは貴方じゃないですか」
でなければ私にゲームなんて仕掛けてこないでしょう?
クスリと笑うセバスチャンにシエルは、そうだな、と軽く返す。
このゲームはいつものセバスチャンへの意趣返し。
セバスチャンが勝てないゲームなのだ。
勝てないように、シエルが答えを左右する。
「それでも貴様はこのゲームをやるんだろう?」
「えぇ。主人からのお誘いを断るような執事ではありませんから」
「じゃぁ折角だ。このゲームに勝ったら何か褒美をやろう」
「褒美、ですか」
赤い瞳が光を灯しながら瞬いた。
「褒美というよりも賭けという方が正しいかもしれないな」
「一体何を賭けると?」
「そうだな・・・互いに自分自身なんてどうだ」
シエルは頬杖を付いて微笑む。
そして細く小さい指を相手に向けた。
「僕が勝ったら貴様の秘密を何か教えて貰おうか」
「秘密?」
「1つや2つくらい僕に言っていないことがあるだろう?」
そして僕は・・・。
セバスチャンに向けていた指を今度は自分の方に向ける。
「貴様の命令を1つ聞こう」
「それは一回だけ坊ちゃんを好きに出来ると?」
「そういうことだ」
「ほぉ?」
賭けを聞いたセバスチャンはまるで舌なめずりでもするかのようにシエルを赤い瞳で見つめてくる。
その視線に早まっただろうかと考えるが、その不安はすぐに霧散させる。
このゲームはどう転んだって自分が勝つようにしているんだ。
不安になることなんてどこにもない。
シエルはどこかこれ以上話さない方がいいと判断し、早速ゲームを始める。
「じゃぁ始めるぞ」
「どうぞ」
セバスチャンはその瞳を変えることなく頷いた。
「僕は甘いものが好きだ」
「はい」
「正解」
「じゃぁ、僕は本が好きだ」
「はい」
「じゃぁ、ホウレン草も好きだ」
「いいえ、嫌いです」
「次は」
「ねぇ坊ちゃん」
次の問題を言う前にセバスチャンに声を掛けられる。
その声には何かが含んでおり、背筋がゾクリと震えた。
なんだ、と冷たく返せばコツリといつもの足音を立ててシエルの方へと一歩近づいた。
「随分と簡単な問題ですね」
「・・・そうか」
「私を勝たせるゲーム、ですか?」
「そう言っていられるのも今のうちだと思うが?」
余裕の笑みを浮かべて言ってみる。
ここで動揺を悟られたら全て気付かれてしまうだろう。
いや、もしかしたらもう気付かれているのだろうか。
瞳を細くして相手の出方を窺えばあさっりとそうですかと言い、ゲームの続きを促した。
「中断させてしまって申し訳ございません」
「いや、別に」
「では続きを」
「・・・あぁ」
口元には弧を浮かべるが、鼓動は酷く早い。
しかしシエルはそれを見てみぬふりをして促されるままゲームを続けた。
「紅茶が僕は好きだ」
「はい」
「辛いものも好きだ」
「いいえ」
「じゃぁ、」
ここで本当はニッコリと微笑んでやろうと思ったのだが、なぜか今のシエルにそんな余裕がなく、頬杖をついた状態で絶対にセバスチャンが正解することのない問題を口にする。
「僕には好きな奴がいる。それは人間だ」
「・・・・」
一瞬にして空気が張り詰めたような気がした。
その問題を聞いたセバスチャンの表情は別に動きはしない。
しかし空気だけがザワリと変わった。
「どうしたセバスチャン。本当か嘘か」
それをひしひしと感じながら言う。
するとセバスチャンはまた一歩コツリと踏み出し、またシエルに近づいた。
狭まった距離が嫌で、ゆっくりと椅子ごと身体を後ろに退く。
「さぁ、答えはどっちだ」
「・・・嘘ですね」
静かにセバスチャンは言う。
予想通りの答えにシエルは内心でニヤリと笑った。
「不正解だ」
「それも嘘です」
「は?」
「貴方が好きな人間なんていないでしょう」
セバスチャンはキッパリと言い放つ。
「はッ。何を根拠に」
「私はずっと貴方を見ていましたから」
「魂を、だろう?」
どこか真剣な眼差しにシエルは落ち着かず、椅子から立ち上がって床を見つめながらあとずさるが、それをセバスチャンはゆっくりと追い詰めるかのように追ってくる。
視界の中に靴の先が映るのを焦りながら逃げ続けた。
「魂と貴方自身を、です。知っているでしょう?」
「知るか」
「ダウト」
「っ!」
グイっと腕を掴まれ、そのまま壁に押し付けられる。
驚きに顔を上げれば、甘く微笑む悪魔の顔が目の前にあり、シエルは一気に頬に熱が溜まったのを感じた。
(なんでこんな顔をしているんだッ!!)
違う、こんな顔をさせようとしたわけじゃない。
もっと悔しそうに歪む顔を見ようと思って。不正解と告げた後に馬鹿にしてやろうと思っていたのに。そして相手の秘密も知って弱みも握ろうと思っていたのに。
どうしてどうしてどうして、こんな。
「坊ちゃん、嘘はいけませんよ?」
「や、離れ、ろ」
耳元で囁かれ、シエルは首を反対側に折るが逃げることは出来ない。
両手もセバスチャンの手と絡み合い、壁に縫い付けられている。
睨みつけようとしても相手の甘やかな表情が視界に映り、見ていられない。
「元々このゲームも私に勝たせる気なんて無かったのでしょう?イケナイご主人様ですね」
「なッ!」
「お仕置きが必要ですか?」
「ふ・・・っぁ」
セバスチャンは耳朶を甘噛みし、そのまま中に舌を差し込んでくる。
くちゅくちゅと濡れた音がシエルの聴覚を刺激し、頭が真っ白に染まりそうになる。
このままじゃ駄目だと思うも、口を開けば妙な声が出そうでどうすることも出来ない。
唇を噛み締めながらゾクゾクした感覚をやり過ごしていれば、やっとセバスチャンの舌から開放される。
「さて、次はどんなお仕置きがいいですか?」
「し、主人の僕にこんなことしていいと思っているのか!」
「先に悪いことをしたのは坊ちゃんですよ」
ストレートに言われて、シエルは一瞬息を詰まらせた。
セバスチャンが勝てないと分かっている、否、勝てないようにするゲームを仕掛けたのはシエルからであり、それはゲームとしては“有り得ない”ものだということは自分でも重々分かっている。
だからここで責められてもシエルは反論出来ないのだ。
けれど、だからといって主人である自分にこんなことをするのを許されるわけがない。
甘い笑顔なんて知るか。
怒りという盾をかざし、シエルは潤んだ瞳をセバスチャンに向けて睨みつける。
「下僕のお前に受けるお仕置きなんてないッ」
「反省する気はゼロですか?」
「当たり前だ!僕は貴様の」
全ての言葉を紡ぐ前に口を塞がれる。
もう何度も感じたことのある柔らかさで、シエルはすぐに口付けられているのだと分かった。
すぐさま相手の舌が口腔に入り込み、歯列までもじっくりと舐め回していく。
何をされるのか大分憶えたシエルは舌を縮めて逃げるが、すぐに絡め取られ諌めるように軽く歯を立てられた。
「んっ・・・」
鼻に抜けていく声。
自分のそんな声も嫌で握られている手に爪を立てれば、今度は慰めるかのように舌を優しく吸われる。
正直それが気持ち良くて身体から力が抜けてしまいそうになった。
けれどシエルはそんな自分を叱咤し、震えてしまいそうな足をあげてセバスチャンの足を思いきり蹴飛ばした。
するとセバスチャンは笑いながら唇を開放する。
「・・・貴方という方は本当に情緒とかありませんね」
「そんなもの、どこに必要が、あるんだ!」
乱れた息を一所懸命整えながら相手を睨みつける。
涙でぼやけた視界はなんだか久しぶりというよりも新鮮だ。
「このまま泣かせたいところですが、それも可哀相ですね」
「貴様ッ!」
「じゃぁ、先ほどの嘘を撤回したら許して差し上げましょう」
セバスチャンはシエルの唇から零れた唾液を舌で舐め取り言う。
「嘘を撤回だと?」
「えぇ。簡単でしょう?真実を言えばいいだけです」
「僕は嘘なんてついていない」
「ダウト」
「んぅ」
再び唇が塞がれ、舌が口腔をひとなでしていく。
「ふ、何をするんだ!」
「嘘をつくからです」
「嘘じゃないと」
「じゃぁ貴方は人間の誰を愛しているというのですか」
「それは・・・」
シエルは視線を泳がせ頭を回転させようとするが、白く塗り潰されそうだった思考はすでにいつもよりも機能が衰え、何もいい言葉が浮かばない。
いつもこれでもかというほどの嫌味の応酬になるというのに、これは珍しい光景だといっても過言ではないだろう。
言葉が続かないシエルを満足そうにセバスチャンは見ていた。
「では先ほどの私の答えは間違っていなかったということですね」
「・・・ッ」
「どうせここで私が“はい”と答えていても、僕は誰も好きじゃないと言っていたんでしょう」
呆れたようにため息をつくセバスチャンに、そこまでお見通しだったのかとシエルは正直居た堪れない。
「本当に意地の悪い方ですね」
「貴様に言われたくない」
「それは、そうかもしれないですね」
クスリと笑う声がシエルの耳を擽った。
「先ほどの問題も正解だったということで、このゲームは私の勝ちですね」
「何ッ!?」
「一体坊ちゃんには何をしてもらいましょうかね」
「待て、どうしてこれで僕の負けになるんだ!」
「坊ちゃんとしてはアレが最後の問題だったのでしょう?それに私は正解した。なら私が勝者じゃないですか」
「・・・いや、だが」
「すでにズルしていたところで負けなんですよ」
「んっ」
チュっと今度は額に口付けを落とされる。
こんなことになるんだったら、いつもの意趣返しをしようなんて思わなければ良かったと後悔しても後の祭りだ。
シエルは唇を噛み締めてフイっと横を向けば、今度は頬に口付けを落とされた。
どうやら悔しい顔をさせるよりも、僕はこの悪魔をご機嫌にさせてしまったらしい。
「・・・今度絶対に殺してやる」
「やれるものなら」
楽しそうな声にシエルは深くため息をついた。
もう今は全てを諦めるしかない。
「・・・それで、貴様は僕に何の命令をするんだ」
「おや、今日は随分と潔いですね」
「早く終わらせる為だ」
「そうですねぇ・・・・」
しばらくセバスチャンは考えるような間をあけ、口にした命令は。
「坊ちゃんから口付けをねだってください」
「・・・は?」
一瞬耳を疑った。
僕が何をねだるって?
「キスして欲しい、と言えばいいんですよ」
「だ、だ、誰がそんなことを言うか!」
シエルは顔を一気に赤らめて首を横に振る。
そんなもの一生の恥じになる。
そんな自分からセバスチャンを求めるようなことなんて一生言いたくない。
けれどセバスチャンはその拒否を許すはずもなかった。
「命令です。貴方が言い出した賭けですよ?ゲームはおろか、自分の言葉にも責任を果たせないんですか?」
「~~~~~~ッ」
そこまで言われてしまったら、もうシエルは命令通りにするしかない。
もうこんなゲーム一生するかッ、と心の中で誓った。
「せ、セバスチャン」
「はい」
頬どころか胸も熱い。
鼓動も煩くて嫌になる。
しかしこのままセバスチャンの言いようにも進めるのは癪だ。
シエルは全ての力を振り絞って相手を睨みつけ、
「・・・僕は辛いものが食べたい」
――― ふ、何をするんだ!
――― 嘘をつくからです。
先ほどのやり取りを利用してやれば。
「ダウト」
セバスチャンは一瞬呆気に取られたような顔をしつつもすぐに嬉しそうに破顔し、ゆっくりと唇をシエルに寄せた。
end

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