(現代パロ)
隣に住んでいる相手は昔からよく一緒にいた奴で、いわゆる幼馴染に部類する奴だと思う。
幼馴染と言っても歳が10も上なので、まるで兄弟のようだった。
普通高校に上がる頃になれば互いに自分の世界を持ち、自然と接することがなくなるのだろうけれど、奴とは僕が高校生なった今でも一緒にいることが多い。
周りの大人たちから見れば“兄弟のように育ってきたのだから可笑しいことなんて何もない”と言うけれど。
僕としては、“可笑しい”と思ってもらわないと困る。
特に。
奴には“なぜ今でも一緒にいるのか”ということを考えて欲しい。
「・・・セバスチャン」
僕はいつものようにお隣の家に押しかけ、コイツのベッドの上でゴロゴロと横になりながら名前を呼ぶ。
枕に顔を埋めれば奴の甘い香りがして心地いいので、この手にはコイツの枕を抱きしめている状態だ。
「どうしましたシエル」
けれど奴はそんな僕に背を向けて。ベッドを背凭れにした状態で本を読んでいる。
僕の呼ぶ声に振り返ることもしないのが、凄く気に食わない。
チラ見くらいしてもいいだろうと、持っていた枕で背中を殴るが、相手は動かない。
「・・・痛いのですが」
「ならやり返したらどうだ」
「そこまで怒っているわけではありませんよ」
「別に怒ってなくとも、普通じゃれ合う場面じゃないのか?」
「こんなことで毎回じゃれ合っていたら、私の身が持ちませんよ」
パラ、とページをめくる音が響く。
ふーん、僕とじゃれ合うよりも本を読む方が大切か。
そう思いつつも僕はそれを口にはしない。それは相手がそれについてどう答えるか分かりきっているからだ。
きっとこの言葉にコイツはYESと答えるだろう。だから聞かない。
その口から僕よりも本の方が大事だなんて言葉、誰が望んで聞きたいというんだ。
「ふん、このオッサンが」
持っていた枕でもう一度だけ相手の背中を叩き、ぎゅっとソレを抱きしめて顔を埋めた。
息を吸えばコイツの香り。
本体が目の前にいるというのに、香りを嗅ぐのが枕というのもずいぶんと寂しい絵だろう。
それでも相手を肌で感じるには、この手段しかなかった。
昔はもっと自分を構ってくれていた。
遊びに来れば笑顔を見せたし、弟のように甘えれば苦笑しつつも応えてくれた。
けれど今は家に遊びに来ることに文句を言うことはないが、完全に相手にしてもらえなくなった。
話しかければ返事はするが、先ほどのようなことをしても、何も言わない何もしない。
一度自分が何かしたのかと聞けば、綺麗な微笑みを浮かべながら「何も」と、冷たい一言で返され。
それ以来、相手の接し方に疑問を抱いても聞けなくなってしまった。
(どうしてだ)
僕は足をバタバタと動かし、ベッドを揺らす。
きっとアイツの背中も揺れているだろうけれど気にしない。むしろ怒ればいい。
それで僕に突っかかってくればいい。
けれどやはり相手は何も言わずに、本を読み続けるだけ。
「・・・・」
無言で溢れかえる部屋に何だか泣きたくなってくる。
こんな状態の部屋でも過ごしていられるのは、きっと奴の枕を抱きしめているからだろう。
この枕がなければ、きっと一時間もこの部屋にはいられない。
(あぁ・・・もう、なんで)
どうしてコイツはこんなにも変わってしまったのだろうか。
それとも変わったのは自分で、そんな変わった自分に嫌気が差したのだろうか。
もしかしたら基本的に優しいコイツは、それが言えずに嫌々ながら部屋に上げているのだろうか。
まぁ、どちらにしても。
いま僕がコイツに好かれていないというのは、ほぼ正解だろう。
「なぁ、セバスチャン」
「なんですか」
パラリとページをめくる音。
「フラれた」
それがピタリと止まる。
僕はそれを耳で認知しつつも顔を上げることはしない。
顔を見ながら言えるわけがなかった。
それでも、その音が止まったことに喜びを覚えた自分がいて。
可哀相な奴だと酷く哂えた。
「慰めろよセバスチャン」
慰めろ。僕を慰めろ。慰めを口実に僕に構え。僕に触れろ。同情してしまえ。
可哀相だと頭を撫でろ。次があると励ませ。忘れてしまえと肩を叩け。
なんでもいいから。
どんなんだっていいから。
僕に構え。
「好きな人が、いたんですか」
けれど無感情な声。
僕は一瞬ギリリと奥歯を噛みしめ、涙が溢れるのを耐える。
相手が夜寝るときに使うものだ。濡らしてしまうわけにはいかない。
でも、顔を上げて涙を見せるわけにもいかない。
「あぁ、いた。大切に想ってた。ずっとずっと」
だから。
「慰めろよ、セバスチャンっ」
自分を相手に押し付ける言葉を涙声で叫ぶ。
これでも慰めてもらえなかったら、もう諦めよう。
コイツに会うことも、想うことも、そして思い出すことも、やめよう。
そして返って来た運命(さいご)の言葉は。
「ガチャン」
この部屋の鍵を閉める音だった。
end

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