「ここでいい」
「ですが・・・」
「ここが一番目標の奴の住処に近いんだ。ならここの方が色々と都合がいい」
「・・・かしこまりました」
渋々とセバスチャンは頭を下げ一礼する。
きっとファントムハイヴ家たるものが、こんな古い宿に泊まるなんて気に入らないのだろう。
けれど一番大切なのは女王の憂いを無くすことであって、自分の位のことではない。
女王の番犬たるシエルは文句1つ言わずにこの宿へ泊まる覚悟をしていたのだが。
それは数時間後、覆されることとなった。
(さ、寒い・・・)
シーツを頭まで被りながら、震える体を抱きしめる。
けれどそれだけで暖が取れるわけもなく、寒さは何も変わらない。
どうやらこの宿は見た目が古いだけではなく、家具や寝具も古く錆びれたもので。
特に夜に身体を温める筈のシーツは、これでもかというほど薄いものだった。
(くそっ、やっぱりやめとくべきだった)
舌打ちをしたくなるのを必死に我慢しながら身体を震わせる。
特に今夜は冷えるらしく、もともと寒さに強くないシエルはこの薄いシーツ一枚で足りるわけがなかった。
それでも自分は女王の番犬として、この宿に決めたのだ。
寒さなんかに負けてどうする!
そんなふうに自分を何度も奮い立たせようとするが、寒いものは寒い。
もしかしたらこのまま徹夜かもしれないな、と深くため息をつけば。
「・・・ん?」
フワリと上に何かが乗った重み。
一体何だと顔を出そうとすれば、逆にゴソリとベッドに何かが入ってくるのが分かり、警戒した面持ちで振り返れば。
「セバス、チャン?」
己の執事がそこにいた。けれどいつものように黒い燕尾服を纏った格好ではなく、その下のワイシャツ姿という、あまり見たことがないラフな格好だ。
「だからこの宿はやめた方がいいと仰ったのですよ?」
呆れた顔と共に零されるため息。
どうやら寒がっている自分を知り、隣の部屋からこの部屋に来たらしい。
きっと先ほど感じた重みはセバスチャンの部屋にあったシーツだろう。
「べ、別にこんなのどうってことない」
ここでいいと言った手前、弱みを見せるわけにはいかず、シエルは震える身体を精一杯押さえつけながらプィっとまた身体を反転させる。
もう相手は全て見抜いているのだから強がる必要もないと思うが、これはシエルのプライドに関わる。
「またそうやって強がって。寒いなら寒いと仰ればいいじゃないですか」
「別に寒くない」
「ならどうして身体がそんなにも震えているのです?」
「・・・・・・・貴様には関係ない」
「・・・はいはい、そうですね」
「ちょ、なにを!」
いきなり後ろから手が伸びてきたかと思えば、そのまま抱きしめられてしまう。
背中にセバスチャンの体温を感じて、温かい・・・だなんて思ってしまったが、こんなことされていいわけがない。
シエルは逃げるように身体を動かすが、セバスチャンがその腕を緩めることなく、むしろ暴れる小動物を宥めるように優しく声を掛けてきた。
「こうしたら少しは温かいでしょう」
「僕は、別にッ!」
「私が寒いんです。少し温めてもらってもいいですか?」
「なっ、貴様が寒いと感じるわけ・・・」
どんどん言葉がしぼんでいき、ないだろう、という音は形成されず・・・。
セバスチャンが寒いと感じないのは百も承知。けれど嘘はつくなと言ってあるから、“寒くても別に平気”というのが正しい答えだろう。
けれどそんなセバスチャンが“寒いので温めてください”という台詞を吐くなんて、どう考えても自分の為を思って言った言葉だ。
プライドが高くて意地っ張りな自分のために、向こう側が折れてくれたのだろう。
「~~~~~ッ」
「坊ちゃん?」
「なんでもないっ!」
絶対に今自分は顔が赤い!
セバスチャンは後ろから抱きしめている状態なのだから顔を見られることは無いのに、妙に焦ってしまう。
もしかしたらこの早くなった鼓動は知られているかもしれないけれど。
コイツがこうやって優しくしてくるのはいつまでも慣れない。
優しくしてくるときが少ないからなのか。
嫌味の時の方が見慣れているからなのか。
・・・きっとどちらもなのだろうけれど。
それでも一番慣れないのは、それを嫌がらない自分だ。
こうやって優しくされると、嬉しいと思ってしまっている自分がいる。
変にドキっとしてしまったり、今のように頬が赤くなってしまったり。
そんな時は、いつものように嫌味を言えばいいのに、と思ってしまう。
だって、その優しさが変に苦しい時もあるから。
でも。
「なぁ、セバスチャン」
やっぱり嬉しいから。
「はい」
「・・・温かい」
ありがとうの代わりにそう言い、回されている腕に手を重ねれば。
「・・・はい」
まるで隙間を全て埋めるかのように、もっと強い力で。
抱きしめられた。
end

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