我ながら馬鹿だと思った。
たかが罰ゲームに気持ちを奪われ、引き返せないところまで来てしまった。
こんな筈ではなかったなんて言葉はただの言い訳でしかなくて。
“一週間恋人同士”だなんていう罰ゲームを仕掛けたアロイスを恨んだって、
自分の気持ちを攫ってしまったセバスチャンを恨んだって、もうどうすることも出来ない。
それに、二人を恨むのは筋違いというものだろう。
たとえこの罰ゲームを受けたとしても、気持ちが動かないときは動かない。
セバスチャンだって別に気持ちを奪おうとしたわけではなく、自分に言われた通り正々堂々ゲームをしたに過ぎないのだから。
だから結局全て自分が悪い。
でも、もう見てみぬ振りは出来ないから。
自分とセバスチャンが恋人同士になった初日に話したこと。
のんびりと話しがしたい。
仕事もことも全部忘れて、そいつの声を聞いていたい。
それを今日と明日。
“恋人同士”の間だけ、それを叶えてしまおうと思った。
それくらいいいだろう。
それで最後だから。
それで終わりだから。
「…どういう風の吹き回しですか」
「別に。たまにはいいだろう」
仕事を終えた夜の時間。
いつもならこの時間はシエルの趣味…読書の時間なのだが、今日はすでに寝室のベッドに腰を下ろしている。
その隣には困惑した表情のセバスチャンも一緒に腰を下ろしていた。
「ベッドに座れだなんて、昨日逃げていた同一人物だとは思えませんね」
「逃げていたわけじゃない」
どこか苦笑する相手にシエルは頬を膨らまして顔を逸らす。
もう昨日は昨日。今日は今日だ。そう考えなければ胸が潰れてしまう。
セバスチャンはそれを見てどう思ったのかは分からないが、それ以上昨日のことについて話すことはなく“いつものように”頭をそっと撫でた。
「どちらにしても坊ちゃんからのお誘いは嬉しいですよ」
もう少し可愛げがあったらよかったのですが。
きっとシエルの“少し話に付き合え”という台詞を思い出しているのだろう。
シエルは煩い、と頬を少し赤らめながら隣に座る膝を叩けば、痛くも無いだろうに、彼は痛いですよ、と笑った。
「お前がいらんことを言うからだ」
「まぁ、言葉はともかく。その坊ちゃんのお顔は可愛いですけどね」
「んッ・・・!」
頭を撫でていた手がいつの間にか後頭部に回っていて、そのまま引き寄せられる。
そして唇と唇が重なり合い、シエルは咄嗟に胸板に手を差し入れて燕尾服を握り締めて、離せという意を持って揺さ振るけれど相手は唇を離すどころか、閉じた唇に舌を這わしてくる。
「ン…ふ、ぁ…」
その感触にゾクリと背中が粟立ち、我慢できなかった声が漏れ出した隙を逃さず、セバスチャンはシエルの口腔に舌を滑り込ませた。
歯列をなぞられ、上顎を擽られる。奥へ逃げていた舌が絡み合わせられた頃にはクチュクチュと水音が寝室に響き、飲み込めなかったどちらか分からない唾液がシエルの顎を辿る。
抵抗していた手はいつの間にか相手からの熱に耐えるように必死に燕尾服に縋りつく形になっていて。
「ん…ふぅ……んぁ」
恥ずかしさと、でも信じられないほどの嬉しさと。
泣きたいほどの、胸の痛み。
そのままセバスチャンはシエルの頭を掻き抱いたままベッドへと押し倒す。
初めて口付けたときもベッドの上だったけれど、こんな気持ちなんてなかったし、こんな痛みもなかった。
こんな数日間で人間の気持ちとは変わってしまうものなのだろうか。
「ん…坊ちゃん」
口付けを解いたセバスチャンは、いつもは色白の頬を珍しく薄っすらと染めて息を乱している。
その姿が珍しくて、ドクンと鼓動が大きく跳ねた。
「ベッドの上で会話をするのは少々難しいかと」
「なんで、だ」
彼よりも息を乱しながらシエルはもう知っている答えを求める。
するとセバスチャンは赤い瞳を細めながら顎に伝った唾液を厭らしく舌で舐め取り、恋人同士だから、と囁いた。
その望んでいた答えにシエルは唇を噛み締め、ぎゅっと瞳を閉じたが、次に言われた言葉にシエルは羞恥と怒りを込めてすぐに瞳を開くこととなった。
「恋人を同じベッドに腰を掛けさせるだなんて、抱いてくださいと言っているものですよ」
「な!別にそんなつもりはッ…!!」
「えぇ、ないでしょうね。ですがそう受け取れてしまうのですよ」
お子様の坊ちゃんには分からないでしょうが。
挑発するようなそれにカチンときて、シエルは口元を歪ませながらネクタイを引っ張り顔を近づける。
それにセバスチャンは一瞬瞠目するも、すぐ愉しそうに瞳を細めた。
「おや、お子様ではないと身体で説明でもしてくれるのですか」
「誰がそんなことするかッ!一発殴ってやろうと思っただけだ」
「本当に坊ちゃんは酷い恋人ですね」
「酷いのはお前だろうが」
言いながら引っ張ったネクタイを相手の顔に当たるように放り、そのまま両手をシーツへと落とした。
そしてもう一度静かに、酷いのはお前だ、と繰り返す。
「……そうですね」
それにセバスチャンは静かに頷き、まるで痛みに耐えるかのように悲しい笑みを浮かべた。
昨日も扉の向こうでこんな表情をしていたのだろうか。
責めたのは自分だというのにそんな表情はして欲しくなくて、落とした手でセバスチャンの頬を優しく撫でれば、それに彼も手を重ねた。
「セバスチャン」
「酷いのは私ですね」
だって今から。
貴方を抱きます。
頬に触れていた手を己の唇まで導き、口付ける。
そしてまた以前感じたところと同じ場所にチリリと痛みが走り“所有印”を刻まれたのだと理解し、そして言われた言葉に頬を真っ赤に染め上げた。
「ほ、本気か」
「はい」
真摯な声と瞳に、シエルはこれから抱かれてしまうというのに逃げることも抵抗することも出来ない。否、する気も起きない。
自分はただセバスチャンとのんびり話しがしたかっただけだというのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。
けれど今の状況にさほど驚いても、困ってもいない自分も確かにいて。
もしかしたら無意識のところで、こうなることを望んでいたのかもしれない。
「逃げるなら今ですよ」
セバスチャンは言う。
けれどそう言いながらもセバスチャンは優しくシエルの頭を撫で始める。きっとシエルが頭を撫でられることが気に入っているのを知っているからに違いない。
イコールそれは逃がさないという意味で、何とも悪魔な彼らしいとシエルは内心で苦笑した。
「1つ、いいか」
「なんですか?」
「どうしてこれから僕を抱くんだ」
もしかしたらこれは小さな希望の光。
もしもここで。
違う答えが返って来たのならば。
「それは…」
けれどセバスチャンは少しだけ間を置いて。
そして先ほどと同じ悲しい笑みを浮かべながら。
「“恋人同士”だからです」
そう返した。
「あぁ…そうか」
シエルは頷く。
それなら仕方がないな、と。
まったく、本当に。
「反吐が出る罰ゲームだ」
そう笑ったシエルの唇を、セバスチャンは荒々しく塞いだ。
そして彼は…、
“恋人同士”だからと言った彼は。
心だけではなく、
全てを
奪い去って
手の甲のみならず、
その身体を
この身体に
刻み込んだ。
もしも。
もしもここで“好き”だからと返してくれたのならば。
勇気を持って一歩を踏み出せたのに。
その悲しい笑みが、昨日は分からなかった“本物”かどうかを教えてくれたのに。
それなのに。
この“恋人”という関係は、
明日で終わる。

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