ついに誕生日は明日。
セバスチャンは明日の準備をしながらも、ずっとシエルの欲しいものを考え続けていた。
物だけではなく、形のないものまで。
坊ちゃんが望む夢を見させて差し上げる…というのはどうでしょう。
人間らしくしていろとの命令があるが、プレゼントを渡す一瞬くらいいいだろう。
今日の晩に魔力を使って、明日の朝まで素敵な夢を見る。
そして起きた時に自分からのプレゼントだったと言うのだ。
「…いや、喜びませんね」
セバスチャンはボールを片手で持ち、泡だて器で生クリームを作りながら首を横に振る。
むしろシエルはきっと怒るだろう。子供騙しのようなことをするなと。
では、誕生日当日は一日お仕事をお休みして頂くというのは?
しかしセバスチャンはまた首を横に振る。
「誕生日の日は特にこれといった仕事は入れておりませんし、坊ちゃんが仕事をしないと決めてくださればそれで済むことです」
では…とまた考え始める。
一体これは何回繰り返したことだろう。
思いついては首を横に振り、思いついては首を横に振る。
もうスイーツも作りに作り、今日の分と明日の分、いや、それ以上に作り上げてしまっている。
けれど今のところシエルが確実に喜んでくれるのはスイーツということしか分かっていないので、セバスチャンはまだまだ作り続けのだ。
他の使用人四人が眉を寄せながら厨房を覗いていることにセバスチャンは気が付いていない。
「もう時間もありませんし、本当にどうしたらいいのでしょう」
恋人の喜ぶ姿が見たくて一ヶ月前から考えていたというのに、誕生日はもう目の前。
なんだか自分が情けなくなってくる。
悪魔で執事である筈なのに、恋人の欲しがるもの1つあげることも出来ない。
いつも傍にいるというのに…。
もうここは諦めるしかないのだろうか。
「気持ちがこもっていれば、一応喜んでくださりますし…」
きっと自分が何をあげたとしても、シエルは可愛らしく頬を染めて視線を外し、気を使わせて悪かったなッ!と言うのだろう。
素直に自分に向かって感謝を述べる恋人ではない。
そんなところも可愛いいところの1つである。
そして自分はそんなシエルに我慢できず抱きしめて口付けてしまうだろう。
きっとではなく、絶対に。
そんな場面を容易に想像できるが、やっぱり簡単に諦めはつかなくて。
けれどどうしてもシエルが欲しいものが分からなくて。
悪魔としても、執事としても、恋人としても、情けなさ極まりない。
「はぁ…全てにおいて失格ですね」
大きなため息をつけば、急に。
『誕生日を祝う、ということは、誕生したことを祝う、ということだろ?』
一昨日にした会話を思い出されてくる。
「・・・」
一体なぜ急に思い出したのだろうと首を傾げるが、何かが引っかかる。
交わした会話の内容が。
誕生日を祝うということは誕生したことを祝うこと。
『僕は、それが、苦手だ』
この世界に生まれ落ちたことを祝う日。
シエルはそれが苦手なのだと言う。
『許す…か』
我侭も甘えも許すことが出来ない。
けれど自分が喜んで欲しいと望めば、
『……ん』
シエルは頷いてくれる。
自分自身のことは許せなくても、セバスチャンのことは許せるシエル。
ならば。
ならば…。
「プレゼントではなく、単なる私の我侭ですね」
思いついたものは決してプレゼントにはならないだろう。
けれど、セバスチャン自身が一番渡したいもの。
「坊ちゃん…」
セバスチャンは最も愛する恋人のことを想いながら苦笑した。
****
星が輝く夜の時刻。
いつもならばすでにベッドに入っている時間なのだが、今日はまだシエルは執務室にいた。
どうやら明日の仕事を少しでも今日中にやろうとしているらしい。
明日、シエルの誕生日パーティーの時間を入れるために。
本当ならば急ぎの仕事もないのだから、今日に詰め込む必要はないのにと思ってしまうが、そういうところが自分の主人らしいと思う。
「坊ちゃん、そろそろお休みにならないと明日が辛いですよ」
「あぁ。そうだな」
声を掛ければシエルはペンを机に置き、身体をほぐすように伸びをした。
どうやら今日は素直に言うことを聞いてくれるらしい。
無理をしてする必要がある仕事ではないと自分でも分かっているのだろう。
「じゃぁ、そろそろ眠るとするか」
「では寝室の方にナイトティーをお持ちいたしますね。身体も少し冷えたでしょう」
「別にそんな冷えてはいない」
シエル自身はそう言うが、セバスチャンは手に持っていたガウンを羽織らせる。
もし本当に今冷えてなくとも、これから冷えてしまう恐れがあるからだ。
心配性な奴だとシエルは文句を言いつつも、突っ返すことなくガウンを羽織った。
そして執務室を出て、そのまま寝室へと足を運んで行く。
「では、寝室の方で少々お待ちください」
「あぁ」
一礼をしてセバスチャンはシエルと逆の方向へと足を進めて行く。
その間にポケットから懐中時計を出して時間を確認すると、針はもう23時過ぎをとおに指していた。
仕事のし過ぎについては問題ですが、今日は丁度良かったかもしれませんね。
この後、自分のすることを考えながら音を立てて懐中時計を閉めた。
コンコン。
「坊ちゃん、失礼致します」
声を掛け、扉を開ければ窓の外を眺めているシエルが視界に映る。
ベッドのシーツを見る限り、寝室に来てからずっと窓の前に立っていたに違わない。
部屋は暖炉の火によって暖めてあるが、窓の近くだと冷たい風が入ってきて寒いはずだ。
どうしてわざわざ寒いところに行くのですか、貴方は。
セバスチャンはため息をつきながら、テーブルの上に燭台と紅茶のカップを載せたトレイを置く。
「坊ちゃん、何か外に気になるものでもありますか?」
「雪が降っていると思ってな」
シエルは振り返ることもなく答える。
どうやら雪が降っていることに興味が引かれたらしい。
年相応の行動にセバスチャンはクスリと笑ってしまった。
それに気が付いたシエルはやっと振り返り、頬を赤く染めて目をつり上げる。
「笑うなッ!」
「すみません、あまりにも可愛いものでして」
「僕は別に雪が気になったわけじゃなくてだな!」
「はいはい。分かりましたら、こちらに来てください」
身体が本当に冷えてしまいます。
ナイティを持ちながら言えばシエルは仏頂面のまま自分の方にやって来て、ベッドに越し掛けた。
セバスチャンは先ほど羽織らせたガウンを脱がし、素早く軽装のボタンも外して行く。
そして暖炉の火で暖めておいたナイティに着替えさ、再びガウンを羽織らせる。
「寒くはないですか?」
「あぁ」
頷いたシエルにホッと息を吐き、温かい紅茶を注いだカップを手渡す。
一口飲んだシエルは何か考え込むような仕草をし始める。
一体なにを考えているのだろうか。
首を傾げると、シエルは顔を上げてセバスチャンの名を呼んだ。
「なぁセバスチャン」
「はい、どうしました?」
「…明日は積もっていると思うか?」
「ぷっ」
また雪を気にする言葉にセバスチャンはふきだしてしまった。
シエル自身も子供らしい言葉だと分かっているのか、顔を赤くしたまま睨みつけてくる。
それでも先ほどのように怒らないのは、答えを待っているからだろう。
それほどまでに雪が気になるとは。
「どうでしょうね…。クリスマス前には積もるとは思いますが」
「明日は?」
「それは目が覚めてからのお楽しみです」
クスクスと笑いながら言えば、シエルは舌打ちをして再び紅茶を飲み始める。
自分の力で雪を積もらせることが出来るのならば、是非やりたいところだが、悪魔の力をもってしても自然に干渉することは出来ない。
これは数日間待ってもらう他ないだろう。
「さて、そろそろですかね」
セバスチャンはポケットから再び銀時計を出し、時間を確認する。
針はあと数分で明日の時刻を指す場所へと移動していた。
「どうした?」
セバスチャンの行動に疑問を持ったシエルは、紅茶を飲む手を休めて眉間に皴を寄せる。
どこか仕事の時の固さを含んだ声音に、セバスチャンは安心させるように微笑んだ。
そしてベッドに腰を掛けるシエルの前で膝を折り、見上げる形になる。
あと一分…。
胸の中でカウントしながら今度はシエルの飲んでいた紅茶を脇の小さなテーブルに載せ、眼帯を取り外す。
少々不安げな顔をしつつも、セバスチャンの行動に口を挟むことはせずにシエルは黙って見守っている。
あと30秒…。
そして自分の手を包み込む手袋も外し、シエルの手を握り締めた。
契約印を互いに晒し出したまま、互いに見詰め合う。
「10、9、8…」
声に出してカウントし始める。
「7、6、5、4…」
さぁ、もうすぐで。
「3、2…」
貴方が生まれた日。
そして。
「1…」
私が最も感謝する日。
「お誕生日おめでとうございます」
微笑みながら言うと、シエルは驚いたように目を見開く。
「おめでとうございます、坊ちゃん」
もう一度祝いの言葉を口にして、手を握ったまま自分の唇をシエルに重ね合わせる。
啄ばむように口付け、音を立てて唇を離す。
シエルは目を見開いたまま固まっている。
そんなにも驚くことだったのだろうかと、セバスチャンは内心苦笑した。
「坊ちゃん…」
片手を離し、固まったままのシエルの頬を優しく撫でる。
そして額と額をコツンと合わせ、自分の想いを静かに紡ぎ始めた。
「私はね、坊ちゃん。今日のこの日がとても大切な日で愛しい日なんです」
なぜなら。
「貴方がこの世界に生まれてくださった日だからですよ」
ピクリとシエルが反応する。
「生まれてきてくださったから、私は貴方と出会うことが出来ました。この終わらない永遠の闇に一筋の光を与えてくださった貴方と…」
自分は悪魔。
神なんて崇めたりもしなければ、寧ろ忌み嫌う存在。
けれど、今日くらいは感謝してもいいと思う。
「坊ちゃんは誕生日を祝われるのが苦手だと仰っていましたね。でも私は、今日ほど愛しい日はないと思います」
「セバスチャン…」
「この世界は貴方にとって残酷な運命を与えた、辛い場所でしかないかもしれません。生まれてきたことを呪うことも多くあるでしょう」
自分を律する貴方は…心優しい貴方は、課せられた運命を嘆くことはしない。
けれど“無きもの”へとしてきた者たちのことを考えると、自分の運命を呪うのでしょうね。
“生まれてこなければ良かった”という自分自身の思いと、“生まれてこなければ…”という他人への思い。
誰にも気付かれないように。そしてそう思ったことさえも鍵をかけて、鍵ごと捨ててしまうのでしょう。
そして再び剣を強く振りかざす。
「その耳に響くのは、生まれ落ちた喜びの産声だけではありません。どんなに耳を塞ごうとも…」
どんな思いを抱えていたとしても、その剣で切られた者は死を迎える。
屍はどんどん増え、血は海のように広がっていく。
けれど私は。
「それでも、私は」
たとえ、そうであっても私は。
「貴方が生まれてくださったことを、心から感謝いたします」
生まれてきてくださってありがとうございます…。
もう一度、セバスチャンはシエルに音を立てて口付け、そして力いっぱい抱きしめる。
「愛しています、坊ちゃん」
「せばす、ちゃん」
回し返される腕。
その力は酷く弱々しいのに、燕尾服を握り締める手はとても強い。
それがなんだか嬉しくて、セバスチャンは頬を緩めた。
「憶えていてください。私は貴方を愛していると」
「…あぁ」
「貴方が生まれてきてくださったことを、感謝していることも」
だから、許してあげてください。
何を、とは返さずに、シエルは何かを堪えるかのように息をつめ、頷いた。
そんな様子に我慢しなくてもいいのだ、と伝えるように背中を優しく叩けば、数的の雫を肩越しに感じた。
「本当はここで何かプレゼント出来たら良かったのですが…。坊ちゃんが何を欲しているのか結局分からなくて」
セバスチャン自身がシエルに一番渡したかったものは、生まれてきてくれたことへの感謝の気持ちだった。
それにプラスアルファで、誰よりも先に…一番初めに“おめでとう”を言いたかったという我侭な気持ちがあった。
一ヶ月前から考えていて、プレゼントともならないコレだけとは…。本当に情けない…。
「しつこいかもしれませんが、本当に欲しいものはないのですか?」
一ヶ月前には確かに欲しいものがある顔をした。
決して見間違えではないと思う。
けれど聞いてもシエルは、ないの一点張り。
もしかしたらシエル本人も記憶から抹消してしまったり、忘れてしまったりしているのだろうか。
するとシエルは首を横に振って、
「これがいいんだ」
と呟いた。
「え?」
「僕はこれが欲しかった」
少し鼻にかかった掠れ声。
「誰よりも最初に、お前に“おめでとう”を言って欲しかったんだ。最も愛しているお前に。本当は言って欲しいと言おうかとも思った。だけど、どうしても言えなかった」
「…なぜです?」
「言っただろう?誕生日が苦手だと」
シエルは言う。
「お祝いの言葉をねだるなんて出来なかった。こんな僕の弱い感情を認めてくれたけれど…やっぱり言い出せなかった」
話しを聞いて、一昨日名前を呼んだ理由はそこにあったのかと納得する。
そしてあの時と同じ台詞を苦笑しながら言う。
「馬鹿ですねぇ」
「また言うかお前は」
「私にくらい甘えてください」
身体を少し離させ、顔を上げさせる。
顔を見られたくないのか、少し俯いたまま、けれど視線はこちらを向いている。
その瞳には少しだけ涙の名残があって、セバスチャンはそれを唇で掬い取る。
「じゃぁ、もう1つ…我侭言ってもいい、か?」
ぎこちなげに言うシエルに、セバスチャンは、もちろんと満面の笑みを浮かべた。
もしかしたら恋人として我侭を言われるのは初めてかもしれない。
どこか不安げなシエルから出た言葉は。
「名前、呼んで欲しい…」
今にも消えて今いそうな声でシエルは言った。
その言葉にセバスチャンは瞳を見開く。
だってその願いは…。
――― 恋人を名前で呼びたい。
自分が欲しかったものだ。
「いや、その、無理なら」
「そんなわけないでしょうッ!」
引き下がろうとするシエルに慌ててストップを掛ける。
もうどうしてこんなにも色事には逃げ腰なんですか。
ゲームをする時とのギャップが激しすぎて笑えてしまう。
それにしても。
今日は恋人の誕生日だというのに、自分の方が貰ってばかりな気がする。
身体の内がホカホカと温かい。
「セバスチャン?」
燕尾服を引っ張るシエルに、そっと微笑んで。
「…シエル」
「ッ!!!」
名前を呼べば、シエルは一気に顔を赤くして、胸板にしがみつき顔を隠してしまう。
その様子もとても可愛らしくて。
「ねぇ、シエル?」
意地悪く耳元でもう一度。
「そ、想像以上に恥ずかしいな、これ」
「可愛らしいですね、シエル」
「ちょっと待て!そんなに呼ぶな!」
心臓がもたない!と叫び、言い出した筈のシエルが逃げるように話題を変える。
「それより!よく僕が一番欲しかったものが分かったな」
「全然分かっていませんでしたよ。ただ私が渡したかったものを渡しただけです」
ちゃんとしたプレゼントではなくて、申し訳ありません。
そう言えば、シエルはブンブンと激しく首を横に振った。
「お前から物を貰ったらそれも勿論大切にするが、こうやって気持ちをくれるのだって、嬉しい…」
「シエル…」
「えっと、その…あ、ありが、とう」
たどたどしくお礼を述べるシエルに、セバスチャンは胸を鷲掴みにされる。
お礼など滅多に言わないシエルが自分に対して言った。
その真実が自分をたまらなくさせる。
言った本人も恥ずかしいのか、プレゼントを貰ったらお礼だろ?!といい訳をしている。
これ以上は理性が危うくなるので、今度はセバスチャンが逃げるように話題を変えた。
「じ、実はですね!坊ちゃんも私が一番欲しかったものをくださったのですよ」
「え?」
「私だったら何が欲しいか考えたとき、一番欲しいと思ったのは坊ちゃんを名前で呼ぶことだったのです」
「じゃぁ、早く呼べば良かっただろう!」
「あくまで執事として仕えている身ですよ?簡単に呼べませんよ」
苦笑しながら言えば、シエルはどこかいじけるように、唇をとがらせ、でも…と呟く。
「お前は、僕の恋人…だろ?」
「坊ちゃん…!」
「僕も実を言うとだな…、随分前に、僕に欲しい物がないかって聞いただろう?」
随分前とはきっと一ヶ月前の時のことだろう。
セバスチャンは頷いた。
「その時お前の言う通り、欲しいものを見つけていたんだ。誕生日のことはまだ意識していなかったから、おめでとうって言って欲しいのとは別に…」
僕があの時、欲しいと思ったのが。
「セバスチャンに名前を呼んで欲しいと、思ったんだ」
その言葉を聞いて、セバスチャンは再び瞳を見開いた。
ずっとずっと、考えていた。
恋人が何を欲しがっているのかを。
一ヶ月前に、何を欲しいと思ったのかを。
けれど、答えはこんなに近くにあった。
答えは自分の中にあったのだ。
感謝の気持ちを述べたい。
誰よりも早く“おめでとう”を言いたい。
シエルもそれを望んでいた。
恋人のことを名前で呼びたい。
シエルもそれを望んでいた。
自分たちは、お互いに同じものを欲していたのだ。
お互いがお互いのことを想っていたのだ。
あぁ、なんて。
素敵なことだろう。
「僕たちは、同じものを欲しがっていたんだな」
シエルはクスリと笑いながら、セバスチャンの胸板に擦り寄る。
低い位置にある頭にセバスチャンも頬擦りしながら、そうですね、と答えた。
「嬉しいですよ、シエル」
「セバスチャン…」
二人は顔を上げて見つめ合い。
「「愛してる」」
シーツの中へと深く沈んでいった。
外は雪。
地面に舞い降りても、それは解けることなく白く積もって行く。
そう。
まるで、二人の愛のように…。
END
****
あとがき
坊ちゃん、お誕生日おめでとうッ!!!!
大好きだッ!!!←
皆様も長々と文章に付き合ってくださってありがとうございましたorz
リアルタイムでお送りするぜっ!と意気込んだのですが、さっさとUPしたらいいだろうと思った方もいたかと思われます…。
私の我侭に付き合ってくださって、本当にありがとうございました。
無駄に長い文章でしたが、少しでも楽しめたのなら幸いです。
坊ちゃん、本当にお誕生日おめでとう!生まれてきてくれて、ありがとう!!

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